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第三部 天 獄
5 対峙①
「……なるほどねえ、こいつがあのサリエルだってのかぁ。ほんと、お久しぶりだよねぇ。ていうか今さらって感じ?」
馬から降りてきた栗毛の若い男――暁の神アドリスは、レストルに蹴り倒されたサリエルを仁王立ちで見下ろし、童顔に酷薄な笑みを浮かべた。
「サリエル……、何でそんな醜いカッコになっちゃったのさぁ? 天上界に居た頃のアンタは……レオン伯父の傍にはべってたあの頃のアンタは、ほんとヤッちゃいたいぐらいにソソる美人さんだったってのにさ……。
魔族に騙されて冥界に堕ちたって聞いてたけど、その髪の色とかからして、マジでアンタも魔族になっちゃったの?」
「……」
咳き込み、口元の血を袖で拭っているサリエルに、アドリスは無遠慮な問いかけを続ける。
「どうやってあの小汚い冥界の空気の中で生き延びて来たんだよ? 魔族に魂を売ったのか? それとも……気違いだって噂の冥王への、生け贄にされちゃったのかな? それで卑しく彼におねだりして、生気を分けてもらってたとか……ひひ」
「…ッ、冥王は、そのような方では……」
「ふーん。まぁ、どっちにしても今のアンタは、穢れきってるように見えるなぁ」
アドリスは憐憫と好奇の入り混じった眼差しをサリエルに注いだ。
太陽神の第二子である彼は昔から、兄レストルほど鮮明な粗暴さは持ち合わせていないものの、どこかひとを食ったような、ふてぶてしい態度を取る青年神であった。
いつも瞼が半開きのような気だるい目元、口は皮肉っぽいにやにやした笑みを浮かべていることが多く、おっとりした顔立ちに似合わず非情な言動をする男だ。冷徹な乱暴者であるレストルと違いふわふわした空気を漂わせ、半笑いの裏で何を考えているのか読めない。サリエルにとっては兄同様に、厄介な相手であった。
アドリスはぼろぼろになったサリエルをさらに靴先で小突き、少し離れて立つ兄を呼んだ。
「だけどさぁ兄貴、こいつこのまま本当に放っといていいの? やっぱ、一度レオン伯父に見せたほうがいいんじゃ……?」
「伯父上に会わせたところで結果など目に見えているだろう。堕天したこいつの居場所は、もう天上界にはないんだ。働かぬ者は必要ないだろう」
「そっかあ。まあ、それもそうだね……。聞いたサリエル? せっかく逃げてきたみたいだけど、残念残念」
息も絶え絶えなサリエルの耳に、粘性の強い声が吹き込まれる。
「それにしても五月蝿いガキだなあ。黙らせればいいじゃん?」
サリエルを呼び泣いているルーシェを、アドリスは両耳を塞ぎながらげんなりと眺める。だがさすがに年端も行かぬ幼女を小突いたりすることはレストルもしなかった。
彼は白天馬のそばに、王女を小脇に抱えたまま立っていた。ルーシェは藻掻き疲れたのか、じたばたしていた足は、今はだらんと垂れ下がっている。
「サリエル……」
「姫、様……」
サリエルは這ってでも助けに行こうとしたが、眼前のアドリスが爪先でサリエルを再び小突いた。鳩尾に靴先が入り、サリエルは呻いて地表に這いつくばう。
「しつこいな! もうオレたちの仲間じゃないっつってんだから、追いかけて来ようとしても無駄だよ。
……ねえ兄貴、ところでさぁ、そこの穴も放っておいちゃマズイだろう? ほっといたら中から魔族の軍勢がうじゃうじゃ出てくるかもしれないぜ? こわー。どうする?」
「分かっている。だから先程精霊を飛ばして応援を呼んだんだ。じきに到着するだろう」
一度は立ち去りかけたレストルだったが、やはり弟神の云うとおりその洞窟の存在が見過ごせず、こうして天界からの応援の到着を待っているのであった。
這いつくばっているサリエルと、この小さな女神が本当にその穴から出てきたのだとすれば、弟が茶化したような『魔族がうじゃうじゃ』などという軽い言葉で表すべきものではなく、本当にすぐ塞ぐなどの処置が必要だろう。二界を繋ぐ道の存在は、危険すぎるのだ……。
「と、そう云いながらも、怖々覗いてみたくなっちゃうオレなんだよねー…」
「アドリス、あまり近づくな」
「大丈夫大丈夫」
アドリスは兄神の制止に手をひらひら振って応え、呑気な足取りで岩場に近づいた。そして兄と同じ青紫色をした眸で、大岩が二つ折り重なるようにして横たわっている、その重なり目の奥にある洞窟を観察した。
……暗くてよく分からないが、入り口の辺りは緩やかであるものの、奥に進むに従って下への傾斜が急になった洞窟のようであった。
岩場を数歩進んで振り返ってみると、もうその位置は入り口の岩に隠れて兄の視界からは外れている。
「ふぅ~ん……ホントにこの向こうが冥界に繋がってるのかねぇ……?」
入り口付近に立ち、半開きの瞼を疑わしそうにさらに細めるアドリス。語尾が、洞窟の奥の方へ通り抜けてこだまのように反響した。
何者の気配もないことを確めると、どれどれ、とさらに一歩洞窟に踏み入ろうとした。
その瞬間、視界の端で、鋭利な閃光が煌き……、
「!」
彼は、岩場の陰で不自然な姿勢で静止せざるを得なくなる。
――首筋に、ピタリと背後から突きつけられた冷たい感触。
一瞬の出来事だった。
惚れ惚れするほど流麗な美声が、アドリスのすぐ耳元で剣呑な台詞を囁いた。
「動くな。動けば殺す……」
アドリスはゴクリと唾を呑み、首を動かさぬよう注意しながら眼だけで相手を確認した。
いつもは半開きの瞼が、相手を見た途端、めいっぱい見開かれる。
(わ、美人……っ!!)
背後から鋭利な刃を突きつけてきた者に対して抱くには、それは余りに能天気な感想であった。
事態を把握していないわけではない。こういう男なのだ。
「……ものすんごい美人さん……ア……アンタ誰? 魔族?」
「貴様らなどに名乗る名はない……」
アドリスの半開きのまぶたを驚きで全開させた当の男は、耳元でそう切り捨てる。
その群青色の双眸が、冷ややかに暁の神アドリスを見下ろしていた。
虫けらでも見るかの如き目つきであった。
馬から降りてきた栗毛の若い男――暁の神アドリスは、レストルに蹴り倒されたサリエルを仁王立ちで見下ろし、童顔に酷薄な笑みを浮かべた。
「サリエル……、何でそんな醜いカッコになっちゃったのさぁ? 天上界に居た頃のアンタは……レオン伯父の傍にはべってたあの頃のアンタは、ほんとヤッちゃいたいぐらいにソソる美人さんだったってのにさ……。
魔族に騙されて冥界に堕ちたって聞いてたけど、その髪の色とかからして、マジでアンタも魔族になっちゃったの?」
「……」
咳き込み、口元の血を袖で拭っているサリエルに、アドリスは無遠慮な問いかけを続ける。
「どうやってあの小汚い冥界の空気の中で生き延びて来たんだよ? 魔族に魂を売ったのか? それとも……気違いだって噂の冥王への、生け贄にされちゃったのかな? それで卑しく彼におねだりして、生気を分けてもらってたとか……ひひ」
「…ッ、冥王は、そのような方では……」
「ふーん。まぁ、どっちにしても今のアンタは、穢れきってるように見えるなぁ」
アドリスは憐憫と好奇の入り混じった眼差しをサリエルに注いだ。
太陽神の第二子である彼は昔から、兄レストルほど鮮明な粗暴さは持ち合わせていないものの、どこかひとを食ったような、ふてぶてしい態度を取る青年神であった。
いつも瞼が半開きのような気だるい目元、口は皮肉っぽいにやにやした笑みを浮かべていることが多く、おっとりした顔立ちに似合わず非情な言動をする男だ。冷徹な乱暴者であるレストルと違いふわふわした空気を漂わせ、半笑いの裏で何を考えているのか読めない。サリエルにとっては兄同様に、厄介な相手であった。
アドリスはぼろぼろになったサリエルをさらに靴先で小突き、少し離れて立つ兄を呼んだ。
「だけどさぁ兄貴、こいつこのまま本当に放っといていいの? やっぱ、一度レオン伯父に見せたほうがいいんじゃ……?」
「伯父上に会わせたところで結果など目に見えているだろう。堕天したこいつの居場所は、もう天上界にはないんだ。働かぬ者は必要ないだろう」
「そっかあ。まあ、それもそうだね……。聞いたサリエル? せっかく逃げてきたみたいだけど、残念残念」
息も絶え絶えなサリエルの耳に、粘性の強い声が吹き込まれる。
「それにしても五月蝿いガキだなあ。黙らせればいいじゃん?」
サリエルを呼び泣いているルーシェを、アドリスは両耳を塞ぎながらげんなりと眺める。だがさすがに年端も行かぬ幼女を小突いたりすることはレストルもしなかった。
彼は白天馬のそばに、王女を小脇に抱えたまま立っていた。ルーシェは藻掻き疲れたのか、じたばたしていた足は、今はだらんと垂れ下がっている。
「サリエル……」
「姫、様……」
サリエルは這ってでも助けに行こうとしたが、眼前のアドリスが爪先でサリエルを再び小突いた。鳩尾に靴先が入り、サリエルは呻いて地表に這いつくばう。
「しつこいな! もうオレたちの仲間じゃないっつってんだから、追いかけて来ようとしても無駄だよ。
……ねえ兄貴、ところでさぁ、そこの穴も放っておいちゃマズイだろう? ほっといたら中から魔族の軍勢がうじゃうじゃ出てくるかもしれないぜ? こわー。どうする?」
「分かっている。だから先程精霊を飛ばして応援を呼んだんだ。じきに到着するだろう」
一度は立ち去りかけたレストルだったが、やはり弟神の云うとおりその洞窟の存在が見過ごせず、こうして天界からの応援の到着を待っているのであった。
這いつくばっているサリエルと、この小さな女神が本当にその穴から出てきたのだとすれば、弟が茶化したような『魔族がうじゃうじゃ』などという軽い言葉で表すべきものではなく、本当にすぐ塞ぐなどの処置が必要だろう。二界を繋ぐ道の存在は、危険すぎるのだ……。
「と、そう云いながらも、怖々覗いてみたくなっちゃうオレなんだよねー…」
「アドリス、あまり近づくな」
「大丈夫大丈夫」
アドリスは兄神の制止に手をひらひら振って応え、呑気な足取りで岩場に近づいた。そして兄と同じ青紫色をした眸で、大岩が二つ折り重なるようにして横たわっている、その重なり目の奥にある洞窟を観察した。
……暗くてよく分からないが、入り口の辺りは緩やかであるものの、奥に進むに従って下への傾斜が急になった洞窟のようであった。
岩場を数歩進んで振り返ってみると、もうその位置は入り口の岩に隠れて兄の視界からは外れている。
「ふぅ~ん……ホントにこの向こうが冥界に繋がってるのかねぇ……?」
入り口付近に立ち、半開きの瞼を疑わしそうにさらに細めるアドリス。語尾が、洞窟の奥の方へ通り抜けてこだまのように反響した。
何者の気配もないことを確めると、どれどれ、とさらに一歩洞窟に踏み入ろうとした。
その瞬間、視界の端で、鋭利な閃光が煌き……、
「!」
彼は、岩場の陰で不自然な姿勢で静止せざるを得なくなる。
――首筋に、ピタリと背後から突きつけられた冷たい感触。
一瞬の出来事だった。
惚れ惚れするほど流麗な美声が、アドリスのすぐ耳元で剣呑な台詞を囁いた。
「動くな。動けば殺す……」
アドリスはゴクリと唾を呑み、首を動かさぬよう注意しながら眼だけで相手を確認した。
いつもは半開きの瞼が、相手を見た途端、めいっぱい見開かれる。
(わ、美人……っ!!)
背後から鋭利な刃を突きつけてきた者に対して抱くには、それは余りに能天気な感想であった。
事態を把握していないわけではない。こういう男なのだ。
「……ものすんごい美人さん……ア……アンタ誰? 魔族?」
「貴様らなどに名乗る名はない……」
アドリスの半開きのまぶたを驚きで全開させた当の男は、耳元でそう切り捨てる。
その群青色の双眸が、冷ややかに暁の神アドリスを見下ろしていた。
虫けらでも見るかの如き目つきであった。
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