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第三部 天 獄
32焦燥②
しばし慄然としつつも、アシュレイドは黒天馬の鞍上から、城砦に目をやった。
そこもまた砦の上に降り立った他の神によって、阿鼻叫喚の巷と化していた。宙空では闇の精と死の精が奮っているとはいえ、それでもまだ兵らがなすすべなく薙ぎ倒されていく様が視界に映る。
「畜生……、やはり退かぬか!」
闇と死の精霊たちの思わぬ抵抗を受けてさえ、奢る神々の戦意を喪わせることはできぬらしい。
アシュレイドは長槍をかなぐり捨て、馬の腹を蹴って城砦上に降下した。
砦の上は兵らの秩序も乱れ、悲劇的様相を呈している。
旋風とともに降り立ったアシュレイドは、兵らの屍を踏み越えて新たな敵の元へ馬を駆けさせた。
大柄の白天馬に跨る神が、右に左にと大剣を一尖させるつど、直接斬られておらずともその剣の起こす凄まじい爆風に、兵らが呆気ないほど容易に飛ばされていく。壊れた玩具のように、もがれた手足、首など躯の部位が散らばり、辺りは正視に堪えぬ有様だ。
「これ以上、易々と殺させはせん!」
アシュレイドの怒号に、その神がこちらへ振り向いた。白天馬に劣らず見事な体躯の男神であった。
「魔族ごときが、何をほざく!」
男神も揚揚と叫び、アシュレイドへ向け剣を構え直す。その一瞬の身のこなしで、男神が先ほどの神とは比べもつかぬほどの達者であることが判ぜられる。
アシュレイドの黒天馬が翼を水平にし、敵へ向けて疾駆する。待ち構える男神――。
――その時、アシュレイドの視界を、何かが不意に遮った。
両者の間に割って入るような形で舞い降り、着地してきた一対の騎馬がある。
ほんの一瞬の出来事だった。
「……ッ!!?」
アシュレイドは咄嗟に手綱を絞った。高い嘶きを上げて、彼の黒天馬が前脚をばたつかせ静止する。
吹き荒ぶ風の中、アシュレイドは呆然と見つめた。
彼に背を向ける形で、前方の男神と対峙した、その華麗なる騎影を―――。
風を受けてたなびく長い黒髪と、漆黒のマント。そして同色の戦装。
背を向けていてさえ、それはこの世ならぬ凄絶さを感じさせる艶姿であった。
息一つ乱さぬその背中には、場違いなほどの静謐が漂っている。しかし、黒のマントに包まれた肩からは、嗷嗷と沸き立つ憤懣が、まるで黒い靄を纏うが如く、はっきりと目に見える。
「で……、」
殿下!
アシュレイドは安堵の声を発した。
やっと! やっと来てくださったか!
……否、発しかけたが、それは声にならぬままに口の中に立ち消えた。
アシュレイドが言葉をかけようとした瞬間、ちらりと肩越しの一瞥を投げてきたその秀麗な美貌は、主に瓜二つの容をしていながら、その瞳の色は主のそれではなかった。
いまこの砦を彩る唯一といっていい彩色……兵らの流す血の赤と、同じ色をしていたのだ。
(……陛下!)
領主ナシェルの、父神たる冥王であった。
跨りし王馬・闇嶺が、息を詰めたアシュレイドに応じるように鋭く低い嘶きを発した。
「遅くなってすまぬ。よう持ち堪えてくれたな」
冥王は背後のアシュレイドにそう肩越しに声を投げかけると、腰に佩いた神剣を抜き放つ。滑らかな、ゆったりした所作であった。首都たる冥府から黒天馬を早駆けさせてきたとは思えぬほど落ち着いている。闇嶺も然り。
――とたん、黒々とした神気が刀身から溢れ出し、その場の大気をびりびりと鳴動させる。アシュレイドら、その場にいた魔族たちでさえ思わず顔を背けてのけ反り、後退りするほどの、凄まじい闘気であった。
「あとは余に任せよ。皆は退がっておれ」
冥王は静かな声で云い放つと露草模様の鞘を捨て、前方の男神に向き直る。
「闇の神か!!」
冥王を認めた男神が、嬉しげとさえとれるような声を発した。
「天王の片割れにして、神族最強と云われたお前と、まさか本当に一対一で闘えるとはな! 異端として嘗てこの冥界に逃げ隠れたお前を、見つけ出し倒したとなれば、我が名も天界に轟こう。我が名はベレス! 狩猟神である! いざ!」
顔の横で大剣を構え直すベレスに対し、冥王は佩剣を上段に構えもせず切っ先を斜めに降ろしている。その白皙の頬が、何を思ったか不敵に笑んだ。
「……何を勘違いしておる……」
「!?」
「……そなたらのような下級神ごときが、余と直接剣を交えようなどと? そなたの血などこの剣に吸わせたところで、力はおろか錆にもならぬ」
傲然と宣告する冥王の背から発される、静かな憤怒。アシュレイドの見たところ、たしかに王の纏う気は、あれほど戦慄を覚えたはずの目前の神などよりも数倍濃く烈しいものに見えた。
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