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第三部 天 獄
62重ならぬ、想い①※
普通の道順ではレストルの宮へ辿り着けないと分かると、天王は回廊の半ばで立ち止まり、アレンに命じて次男アドリスを連れてこさせた。
父神アレンに襟首を掴まれ文字通り引きずられてきたアドリスに、天王は苛立った眼差しを向ける。
「アドリス! きみがここらあたりに何か小細工してるのは分かってるんだ。今すぐおかしな真似はやめないときみを倒して物理的に強行突破させてもらうことになるぞ」
「ひぃ……っ」
レオンの掌中に青白い光が立ちのぼるのを見てアドリスは後じさりしようとする。だが父神に襟首を掴まれているので虚しく踵で地面を掻いただけだ。
「分かった、分かりました!」
「いい子だ、すぐ通したまえ。……きみはレストルが何しているのか知っているんだな?」
すぐに結界を解除したアドリスは、気まずそうに振り返り、責任逃れともとれる発言をする。
「いや俺は、俺はさぁ……兄貴を止めたんだよ」
「止めるって何をだ!?」
「そ、そのぉ……」
あらわれた扉にアレンが駆け寄る。扉は鍵がかかっているようで開かない。
「アドリス!!」
ここの封印も解けと身振りで示すアレンに、
「オヤジよく見ろその鍵は物理だ、俺カギ持ってない。中から開けねえと」
アレンは壊れるほど強く扉を叩き、中に向かって太い声で呼びかけ始めた。
「レストル! おい、ここを開けろ!……」
けたたましい音を背景に、天王は額に汗を浮かべている。
「絶対に傷をつけちゃいけないと云っておいただろう……どうして……」
「いや傷? 傷はつけてない……つけてないけど、兄貴がもうさ……あいつにハマっちゃって見境なくなってんの。
俺のものにするとか云いだしてさ……。あいつ、でも吐いたりしてどんどん弱ってくから俺、やめた方がいいって兄貴に一応忠告はしたんだけど」
レオンは息を呑み、己の勘違いに気づき両手で顔を押さえた。
「ちょっと待て。しまった、そっちか!! ナシェルに手を出したってこと?!」
なおさら悪い。中はどうなっているのか。
状況を理解したアレンの怒声とノック音が回廊に響き渡る。
「レストル、聞こえないのか!? ここを開けろ!……」
◇◇◇
――そのころ淫欲の果実の匂いたつ閨では、正気ではない睦み合いが続けられていた。
甘い媚薬は内膜からも全身に沁み亙り、しずしずとひた来る官能の嵐がナシェルを寄辺のない泥の澱に沈めてゆく。薬果の造り出す猥らな夢に、彼は陶然と身を委ねた。
やがて指先に灯る炎で焼き焦がすような、レストルの執拗な愛撫が始まると、ナシェルは愛慾以外の何もかもを捨て去り、震える声で啼き喘ぐ。
「っふぁあ、っんやぁ、あつい、ソコ……溶けちゃ、う、はぁっ――」
陰茎に指を絡め果汁まみれの手で扱き上げると、声に艶が混じりますます甘えた調子になる。正気のときには全く見せなかった反応だ。
ナシェルの両手が伸ばされ、レストルの上腕を汗ばんだ掌で握ってくる。もっと、もっととせがむように、指先が白くなるほど強く。
一見熱い睦いに見えるが、ナシェルの表情のなかにあるのは果実の酔夢が生みだす、薄っぺらな、ただの肉体への渇望だけだ。
(こいつは、俺を求めているわけではない)
レストルはすぐにそれを察したが、苦い思いに蓋をするように心の中で目を背けた。もうこうなった以上後戻りはできない……。少なくとも数時間は媚薬の効能で、前後不覚のまま乱れ続けるだろう。
…指戯に素直な反応を見せはじめたナシェルが可愛くて、レストルは愛撫を続けながらその細い顎を掴んで振り向かせ、唇を吸う。
腕の中でナシェルは少しの抵抗も見せずに口を開き舌を受け入れる。
その抜け殻のような媚態が目に映ると、どうしようもなく愛おしいと感じる反面やはり苦しさも覚える。
果実の効能がナシェルの全身を包み込んでゆくにつれ、レストルの心は鬱に沈んでゆくのだった。正気ではない者を愛玩する手応えのなさは、報われなさと虚しさばかり運んでくる。
ひとときだけのかりそめの愛、それすらも手に入れることができず。
残酷な手段で得たものは、中身のない器だけだ。
手荒く扱えば壊れてしまいそうな器。白の輪郭に縁どられた、見事な曲線の器。弾けば美しい音色を奏でる器。ただそれだけだ。
報われない現実から目を逸らすようにレストルは貪る。ナシェルの首筋に唇を押し当て、舐り、甘噛みした。唇を滑らせただけで、ナシェルの上半身は、誕生したばかりの雄鹿のように慄いた。
「ん……、あぁん…………」
嬉しそうな媚声が耳に流れ込んでくる。
それはレストルに向けられたものではない。ナシェルは、白日夢の中にいる。
熱病に浮かされたような群青の眼が、焦点の合わぬまま、レストルを見上げてきた。
「…もっと…もっとシて、いっぱい舐めて…噛んで、」
目の前にいる者が誰であるのかも、もうわからないのだろう。
ナシェルは白い喉を震わせもっともっとと愛咬をせがむ。応じて噛み痕のつくほど肩に歯を立ててやれば、甘い痛みに更に昂ぶった声が上がる。
「ひっ……、あぅん……ぁ……」
苦しげに喘ぎ、身をよじって縋りついてくるナシェルの腰を抱きとめながら、レストルは探した。
心は? 心は、何処へ行ったのだろうと。
手荒く犯したあのときよりも、遙かに口の中が苦い。
この者の虚ろな眼には今、何が映っているのだろう。
切なくて、気が触れそうだ。
「俺を……俺を見てくれ」
もつれたナシェルの黒髪に指を埋め、頭を掻き抱いた。ナシェルに淫欲の果実を与えたのは、自分を求めて溺れて欲しかったからだ。幻を相手にしているナシェルを抱きたかったからではなく。
返ってきたのは譫言のような、哀訴の声。
「ナカの…、取って…あつい…もう無理…、貴方の、あなたのが欲しい……イれて」
ナシェルは中に挿れてくれと懇願し、涙を溢れさせる。
だが物憂げな藍青の瞳には、レストルの姿はやはり映らぬままだ。視線が合わない。
餓えた美獣は目の前にいるのが誰かも判らず、ただ幻の中に、刹那の渇きを満たす交合だけを求めていた。
そしてレストルは跳ねあがる裸身を狂おしく抱きしめながら、どんな卑劣な手段を使っても二人の道をひとつにすることはできないのだと、あらためて思い知らされるのだった。
「……ナシェル。俺を見ろ。ここにいる俺を」
涙に濡れる頬を両手で挟み、声をぶつけた。それが届いておらぬ証に、ナシェルの振り絞るような哀願が被さってきた。
「……挿れ、て……お願、い、お…かし、っなっちゃう――ナカ……あつい、あつい……の」
(そんな風に、かすれた声でせがまないでくれ。
俺でないことは確かだ。
お前のいう『貴方』とは誰だ。お前の瞳に映っているのは――誰なんだ)
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