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第四部 至高の奥園
1 双神
剣戟の音を頼りに天王がその回廊に辿りついたとき、冥王と太陽神の闘いはまだ決着がついてはいなかった。
決闘は封鎖された天宮の一角で繰り広げられていた。
交わし合う刃が火花を散らす。
――獰猛な突きを放つアレンと、ひらり優雅に身を躱すセダル。
攻守はその都度入れ替わり、冥王の神剣が稲妻のように劈けば、それをがっしりと受け止めるアレンにも全く怯みはない。
「――やるではないか」
剣を合わせたまま冥王が唇を歪める。
「何を偉そうに余裕ぶっている? 戦神たる俺に敵うと思うか! 意気がるのは止してさっさと降参したらどうだ」
アレンが吠える。二人の対峙する様を遠目に確認し、
「……ん、どうやら間にあったようだ」
と天王は胸を撫でおろした。
ここには今、三界のうち最も高位の三神が集ったことになる。冥王と彼らとは、数百年ぶりの再会だが、当然のことながら和やかな雰囲気とはならず、天王を迎えたその場には張りつめた緊張感とただならぬ殺気が満ちていた。
天王の姿を目にするや、冥王は鍔競り合うのをやめて太陽神から離れた。飛び退り、二神を交互に見据えて視線の高さに剣を構え直す。
双子の兄弟であってもかける言葉など必要ないと云いたげに、薄い唇は固く引き結ばれたまま。
天王は対照的に薄笑う。
「久しぶりだね、セダル……セファニアの一件以来か」
冥王の、水平に構えた切っ先は寸分も揺れることなく真っ直ぐに天王に向けられる。足先が微動する。一瞬でも隙があれば跳び掛る構えである。
対角上にいたアレンは滑らかに立ち位置を変え、冥王と、天王との間に立ちはだかった。天上界一の豪の者として知られる彼だが、地の利を得ぬ冥王を相手に互角の闘いでは苦戦しているといってもいい。冥王の怒りはそれほどのもので、アレンは卑怯の謗りを承知で、今は天王を護るため光の精霊と剣の精霊を防御に廻させねばならなかった。
「アレン。精霊を使うのは卑怯ってものだよ。セダルはここでは助力を得られないのだからね」
と窘めるのは当のレオンである。
アレンがちらと見れば、天王は意外にも暢気な顔をして円柱にもたれかかった。二神の闘いを傍観する姿勢。
レオンは口元に冷笑を浮かべ、さっさと勝負をつけろという素振りで手の平を上向きに差し出した。
「さ、私に構わず続けたまえ」
レオンの本来の目的は制止のはずだが、ここへきて勝負がどう決まるか不意に気になったようだ。
「兄上! 他人事のようにおっしゃいますな」
アレンが叫べば、冥王がそれに声を被せる。
「こちらはふたり相手でも一向に構わぬぞ」
冥王は苛立っていた。
ここに天王を交えて二対一になったとしても吝かではない。全く負ける気がせぬ。
それよりも今の焦燥はただ一つ――吾子の呼び声が途絶えたこと。近くに来てさえ神司を感じられぬことだ。
何処にいる、……あの子は。こんな所で足止めを食っている間にも、時間は刻一刻と過ぎてゆく。
思わず、舌打ちが漏れる。
「まとめてかかってくるがいい。貴様も剣を抜け、レオンよ!」
「やだね」
天王の惚けた返事に、冥王とアレンは暫く静止した。
虚をつかれて見詰める二人に対し、天王は両手を広げて肩を竦め、
「何故なら私は急いでいたので剣を忘れたんだ。丸腰なんだよ。ん? もう手合わせは終わりか?」
「…………」
著しく戦意を損なわれた冥王が、緩い動作で神剣を下げた。それに応じてアレンも構えを解く。
冥王は、再び冷敏な無表情を作った。
天王には己を返り打ちにする意図がないのが明らかになると同時に、このアレンとの闘いも手合わせ程度の意味合いしかないと判明したのだ。
天王が到着するまでの時間稼ぎに、付き合わされた形だ。
「……相変わらずの腑抜けよな、レオン」
冥王は吐き捨てる。
「我が参った目的は承知しておろう。さあ子供たちを返してもらうぞ」
「……まあそう慌てるな、セダル。二人ともちゃんと生きてる」
「……ではなぜあれの神司を感じぬ? 王子に会わせろ。……今すぐにだ!」
冥王の抜き身の剣先が、ガッと音を立てて石床に突き立った。硬い石床が砕けて砂利が跳ねる。
苛立ちと怒りを隠さない冥王の姿を、天王は目を眇めて観察した。
「……いつになく取り乱しているじゃないか? お前らしくもない」
「……今すぐあれの所へ案内しろと云っている。同じことを云わせるな! それとも会わせられぬ理由でもあるのか」
天王は肩を竦める。
「仕方ないな……ついて来い。お前に、天宮の中で暴れられてはかなわない」
埒があかぬと見るや、天王は踵を返して冥王を誘った。会わせる前にせめて状況を説明させて欲しかったが、この調子では聞く耳も持つまい。
……ナシェルの意識はいまだ深い昏迷にあった。
あのあと天王の手で天宮の別の一室に移されて、清拭され真新しい衣に身を包み、清潔な寝台に身を横たえられた後でも、死んだように眠り続けていた。
案内された冥王が遂にその姿を発見したときでさえ、彼は待ち望んだはずの主の来訪にも目を覚すことはなかった。
冥王はゆっくりと歩を進め寝台の脇に立つ。長らく見失っていた至宝を、遂に双眸に入れる瞬間であった。
「………!!」
何ということか! これが我が半身?
闇の神である己に匹敵するほどの神司の持ち主であった死の神……暗黒界で若き生命力を漲らせていたはずの吾子は、今や見る影もなく衰えきった姿で、瞼を閉ざし、晒し者のようにただそこに横たわっていた。
出会ってすぐにかけてやりたいと思っていたさまざまな言葉は唇の奥で争い合い、結局どの言葉ももどかしく絡まって、口を衝いて出ては来ない。
変わり果てたナシェルの姿に、セダルの舌は急激な渇きを覚えていた。
冥王は眠る世継ぎにはじめの言葉をかけるのをあきらめ、静かに寝台の縁に腰掛けてナシェルの頬に触れた。
白い頬やこめかみに残る、幾筋もの涙の筋に気づく。もう随分前に流されたものなのか、乾いて薄っすらとこびりついていた。
(泣いていたのか……余を呼びながら……?
その涙を誰に見せたのだ)
誰に着せかけられたものか、乱れのない白い衣装を纏って。
窶れてなお損なわれておらぬ麗しさが、今はかえって痛々しく映る。
セダルは胸元に手をやり、衿の合間に覗く白い鳩尾に触れた。呼吸を確かめるように。
そのまま僅かに衣を寛げてみれば、肩に残る甘噛みの痕がちらと見える。
(……誰に抱かれた)
冥王は一目でナシェルの状態を把握していた。闇の神司を感じぬどころか、躯の奥に複数の光の神司を流し込まれているのが感ぜられる。
それらの異物は混ざり合い溶け合って、ナシェルの躯を内側から蝕んでいるようだ。特に強い神司を浴びたのであろう、ここに囚われていた時間は数日に過ぎないにも関わらず、この病み衰え方は尋常ではなかった。
怒りが沸きたち、今すぐ強大な神司を発揮して天王宮もろとも吹き飛ばしてやりたい衝動に駆られる。
冥王は戸口に立つレオンを肩越しに睨みつけた。冥王の嚇怒を察したか、天王は開いた扉に肩を凭せかけたまま重い口を開く。
「……予想外の事態というものは常に起こるものだ。……お互いにな」
「……お互いに、だと?」
セダルはナシェルの躯に触れていた手を外し立ち上がった。
「我が王子と王女が地上界に侵入したこと、それは確かに余の予想を超えた事態であった。だがこちらの責といえるはその一点のみであろう!
捕虜とはいえ、王子がこのような状態になるまで傷めつけられねばならぬ理由はないはずだ。
レオン、貴様、この子を滅ぼすつもりであったのか? この子は、冥界の未来を背負っているというのに!」
「だから予想外の事態だったと云っている。その咎は全て私が負う……申し訳なかった」
冥王は天王が口開いている隙に、音もなく彼に肉迫した。
「!」
懐から抜き放った短い懐剣がセダルの指の間で閃き、レオンの鎖骨の上でぴたりと静止する。
「――やったのは貴様か?」
刹那の出来事であった。
懐剣の鋭利な切っ先を喉元に感じ、レオンは僅かに顎を上げる。
数歩離れた廊下で待っていたアレンが、再び剣を抜こうとした。
「兄上!」
「アレン、手を出すな。セダル……少し落ち着いたらどうだ? お前らしくないじゃないか」
「答えろ、我が王子を犯したのか。それのみを訊いている」
「……私だったとしたら、あの子はとうに消滅しているよ。分かるだろう」
天王は冥王の手首を素早く握った。二人ともそのまま退かず、二人の拳にはみるみる力が入る。
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