文字の大きさ
大
中
小
177 / 262
第四部 至高の奥園
35擾乱①
……話題を変えようと思い、ナシェルは今一つの気がかりを口にした。
「暗黒界に戻る前に疑似天に立ち寄らなければ。
ルゥやサリエルがどうしているか心配です」
「―――ルゥ?」
姫の名を聞くなり冥王の、杯を回す手がぴたりと止まる。
王は、いつもの泰然自若とした王らしからぬ微妙な表情で、重大な事実をナシェルに告げた。
まことの衝撃はこの直後、脳天を劈く勢いでナシェルの頭上に、落ちてきた。
「―――――は…………?」
穴のあくほどに冥王を見つめ、ナシェルは同じ問いを繰り返した。
「もう一度、おっしゃってください。今、なんと……?」
「だから、ルゥは疑似天にはおらぬ、と云っておる」
「では……では姫は今、いずこに」
「天上界だ」
「―――――は…………ッ!?」
室温が零下まで一気に下がる。
素っ頓狂な声を発し、ナシェルは背もたれに背中をぴたりとくっつけたまま、硬直した。
この数日というもの冥王にさまざま振り回されたり衝撃を与えられたりしているが、とりわけこれは極めつけだった。
「な―――、なン、な、何故……ッ!?」
ナシェルは帰ってからの数日、彼らのことを失念していたわけではない。冥王のあの話の流れから、てっきり一緒に無事に帰還し、疑似天に着いているものと思いこんでいたのだ。
せっかく王との関係が雪解けしたばかりだというのに、閨の中でルーシェルーシェと云うのは無粋だし、王が拗ねるだろうと思い、話題にするのを避けていた。
「姫はまだ人質に取られているということですか! 奴らの手から取り戻すことができなかったのですか!?」
冥王は一瞬頷きかけた。ナシェルの怒りの矛先を逸らすという意味においては、彼女が人質として残ったことにしておくのが一番『無難』な理由なのだが、そうするとナシェルは恐らく「取り戻しに行く」といって聞かないだろう……。
そこで冥王は首を振った。
「いや……そうではない。残ったのは姫の意思だ。彼女が『居心地が良いからしばらく残りたい』と申すのでな」
「―――はああぁっ?!」
ナシェルは頭から爪先までぶるぶる震えはじめた。
全身に生汗が浮かぶのを自覚しつつ、口をぱくぱくさせ、なんとか問い返す。
「の、残りたい!? 姫が!? う、嘘でしょう!」
「本当だよ。疑似天よりも広いから過ごしやすい、などと言ってな」
「それで貴方はそれを真に受けて彼女を向こうに置いてきたというのですか!?」
「落ち着けナシェル……。椅子に座れ」
「落ち着いてなどいられるか! どうするつもりなんだ!? 何でそんな酷いことができるんだ貴方は! ……彼女が自分の本当の娘じゃないからか!?」
「何を言っておる。そなたもルゥも、大切な余の子供だよ」
「何をちゃっかりと!……あの子は貴方の子じゃない、私の娘です! いや、そういうことじゃなく」
ナシェルは一度置いたフォークを無意識に握り締めていた。
「だいたい貴方はこの世界の将来について周到に考えておられたのではないんですか!?
混血種の彼女がいなければ冥界に将来はないとか私たちに後を任せるようなことを私に散々言い含めておきながら、なんで肝心のルゥを置いてくる?!
あの子が天上界に奪われてしまったら、本末転倒ではないですか!」
「……まだ成長期の彼女のためにはあの狭い疑似天などよりも、あのまま天上界でのびのびさせてやったほうが良いと判断したのだよ。成長期の間はな」
「天上界で、のびのび!? できるはずない! とんでもない連中ばかりなのに! 異端の神の血を引くとか何かで忌まれ、疎まれ、貴方がかつて味わったような蔑視を受けるに決まっています」
ナシェルは天上界でのルゥの様子を思い出していた。いじめられたといって、顔に傷を作っていたような。(実際にはルゥは同世代の少女神たちに冥王の悪口を言われてキレ、ケンカして勝利した栄誉の負傷なのだからこれはナシェルの一方的な事実誤認だ)
「いや……実際のびのびしておるように見えたがな……。まあ、あの天王とも対等に渡り合っておったし、大丈夫だろう」
ルゥが天王との論争時に割って入り、天王をばっさり両断したときのことを冥王は思い出していた。当然ながら昏睡していたナシェルはそれを見ていない。
「なにを根拠に大丈夫などと!? こんなことしている場合じゃない、とにかく一刻も早く取り戻しに行かなければ!」
「取り戻しに行く必要などないよ。残るのは彼女の意思だと云ったであろう。留学するだけだから心配するなと言われたよ。とりあえずは天上界の神位表で頂点を目指すとか何とか言っていたな。
……それに彼女は自分の役目についてはきちんと理解しておる。『その時』が来たら帰ると、ちゃんと余に約束した」
「や、約束って……相手は幼児ですよ!? まともに取りあうほうがどうかしている」
「忘れたのか。彼女は見た目は幼いがセファニアでもあるのだよ。記憶が融合している今となっては、そなたよりよほど歳上といってもいいぐらいに成熟している」
「……で、では『その時』とは一体、いつのことですか」
「さあ。はっきり約したわけではないが、ざっと600年か700年後ぐらいであろうなぁ……」
600年か、700年。
ブツッ……
なにかが焼き切れる音を、確かに体の深い部分で聴いた気がした。
感想 71
あなたにおすすめの小説
邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ
世間に秘された名門男子校・平坂学園体育科
空手の名選手であった高尾雄一は、新任教師として赴任する
高潔な人格と鋼のように鍛えられた肉体
それは、学園にとって最高の生贄の候補に他ならなかった
至高の筋肉を持つ、精神を削られ意志をなくした青年を太古の神に捧げるため、“水”、“風”、“土”の信奉者達が暗躍する
意志をなくし筋肉の操り人形と化した“デク”
消える教師
山奥の男子校で繰り広げられるダークファンタジー
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
上司、快楽に沈むまで
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
冤罪で堕とされた最強騎士、狂信的な男たちに包囲される
王国最強の聖騎士団長から一転、冤罪で生存率0%の懲罰部隊へと叩き落とされたレオン。
泥にまみれてもなお気高く、圧倒的な強さを振るう彼に、狂った執着を抱く男たちが集結する。
秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆
―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。―
モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。
だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。
そう、あの「秘密」が表に出るまでは。
【BL】惚れた男に嫌われたくなくて「男遊びならしてもいい」と言ったら、本当に男遊びを始められて絶望している侯爵令息の話
多額の借金で没落寸前の実家を救うため、結婚相手を探していた男爵令息のラキにカムグロス侯爵家から求婚状が届く。
お相手は同性のディートリヒで、初対面で歓迎されるどころか冷たく突き放されてしまう。
『必要最低限関わるな』
『愛人を作るな』
『男遊びならしてもいい』
ディートリヒから実家の借金を完済する条件を言われたラキは、学園で令息たちとの交流を満喫中。
褒め上手なラキの周りには可愛い令息が集まり、推し活状態に。
一方、ディートリヒだけが嫉妬で胃を痛める日々。
ラキへの恋心を隠し続けた不器用侯爵令息に、幸せな未来は訪れるのか?
.