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第四部 至高の奥園
39氷瀑の棺②
「半神半魔として生きた者のなれの果てだ。これの魂は我らの眷属となる来世をも拒み、この体に死してなお棲み続けておる。
魂をこの肉体に残したまま『浄炎の焔』に投げ入れるのはむごいことだ。たとえ魂が鳴動しておらぬでもな。
よって余は、せめて魂がこの骸に永劫に留まれるよう、この氷の柩を造らせた」
「では、エベールはこうしてここに、未来永劫眠り続けると……」
「他にどんな方法がある? 魂が精霊となり得ず、肉体が先に朽ちれば、魂は行き場を喪う。無念の魂は『幽鬼』と化して、我らのこの世界に害悪を及ぼすやもしれぬ。それを防ぐには、こうして氷の柩にでも収めるよりほかはない。肉体が滅びぬように」
ナシェルは淡々と語る冥王の、横顔を窺った。なんらかの表情を汲み取ろうとして。
それを遮るように王は語りかけてくる。
「エベールの眸を見よ。ナシェル。曇りなく美しい眸だ」
王が初めてエベールの眼差しを誉めたことに、ナシェルは気づいた。
「……種族の線引きに逆らい、この神魔の間の子をこの世に生み出してしまった責任はすべて余にある。今さら語ることではないやも知れぬが、そなたには知っておいて欲しい。聞いてくれ」
王は過去に思いを馳せるように目を閉じ、語りだした。
「余は試さねばならかったのだ。魔族との間に神の子が成せるか否かを。
魔族との間に我が子を成し、その子がもし『神司』を持ち得るのであれば、天上界から消滅の危険を伴ってまでわざわざ新たな女神を迎える必要はない……。容易にこの地に「神の血累」を作り上げることができるのではないか、と考えたのだよ。
余の亡きあと、そなたにただひとり冥界神としての孤独を、味わわせる訳にはいかぬと思っていたから……」
冥王の声には、幽かな悔恨の色が滲んでいる。
「…だから子を成すために女公爵と契ったのですか。単なるお戯れであったとばかり……私は思っていました」
「戯れで女を抱くには、まだそなたの母を愛しすぎていたからね……。そしてティアーナを喪って、余はあの頃、神も死するのだという事実に衝撃を受けていた」
「だから、判断を誤った?」
「誤ったのではない。確かめる必要があったのだ。『魔族との間に成した余の子が、果たして神司を持って生まれてくるか否か』を。だからこそ魔族の内でも最たる高い魔力を持つ、女妖界の頭領を相手に選んだ。
……結果はこの通りだ。結末のみを見ればやはり「判断を誤った。失策であった」ということになるのであろうな。
この中途半端な者をこの世に成してしまった責任を、余はこやつ自身の咎にかこつけて、このような形でとってしまった……。二重の罪だ」
「…………」
「余は万人の罪を裁く神である。だが余の犯した罪は一体誰が裁くのだろう?
いつか転位したのちにでも……」
「父上」
ナシェルは父の袖を掴んで遮った。その先は言わせるわけにはいかない。
「父上、貴方のなさることに罪などありませぬ。このことは、必要悪だったということです。貴方は遅かれ早かれ、いつかはそれを試さなければならなかった。
この混沌の地を神の力で永劫平かにしてゆくために。
そしてそれに対する創世神からの答えが、これだったということでしょう。
エベールもまた神ならぬ身でありながら、分不相応の寵を希んだがゆえにこうなったのです。
この者以外に咎を負うべき者がいるとするならば、むしろそれは、初めからこの冥界に男女つがいの神をお遺しにならなかった創世神の方です。
ヤツが中途半端な世界の造り方をしたまま無責任にどこか別次元へ消えたせいで、父上ばかりが、とんだ災難続きだ。…違いますか?」
「……そうだな、ナシェル。ありがとう。そう思うこととしよう」
冥王は王子の吐いた毒にようやく苦笑し、紅の双眸を閉ざした。
「そなたが居てくれて、本当に良かった……」
――その言葉の持つ様々な意味を、ナシェルは汲み取った。
「第二王子エベール。これはこの先もずっと、この氷の柩から余を見つめ続ける……。
余はこの視線を体に感じながら、もう二度とこのような不幸な者を生みださぬよう誓って参ろう。
神と魔は交わってはならぬ。それが創世神の答えなのだ。
エベールのような子は再び成してはならぬ。無論そなたも気をつけねばならぬよ」
「……ご心配なく。私には、ルゥがいますので」
「子供の心配がないからといって、男とも駄目だよ」
「……分かってますって……」
双神はしばらく黙して佇み、亡き王子の骸を弔った。
いつのころよりか兄弟らしからぬ遠き仲となっていた。それゆえ悲しみはなかったが、悼みは確かにナシェルの心中に去来した。
ナシェルはいつしか王の腕にそっと寄り添っている。
…さきほどの王の言葉を反芻しながら。
『そなたが居てくれて、本当に良かった』……。
―――王がこれまで抱えてきた、多くの宿命と重荷。
いわばそれらを王と分かち合うために、母が遺していったのがこの私……。
けれど、自分はまだ何もしていない。
あまりにも浅いところで、足首だけしか冷水に浸かっていないのに冷たい冷たいと騒ぎたてていたようなものだ。
父はもうずっと、はるかに深い水の底を漂っていたというのに……。
「……父上。それにしても貴方は私に話していなかったことが多すぎますよね。セフィの件にしろ、この件にしろ。私が子供じみた意地を張って貴方に逆らってばかりいたから、腹を割って話せなかったのは仕方ないにしても……。
私を愛するあまり、余計に話せなかったのも分かりますけど、水くさいなとは正直思うし、……浅慮な思考で貴方と向き合うのを避けていた自分が、情けなくもあります。
ね、……これからは、もっと何でも私に話して下さい。もっと私を頼りにしてください。私はこれより先は、全てにおいて貴方の助けになりたいし、貴方の荷が勝ちすぎるなら、その荷を可能な限り、分かち合って生きたい。
今までだって、本当はそうしたかったけど、貴方の荷の本当の量を知る由もなかったし、とにかく貴方の前では感情が屈折してしまって……。
父上がこの世界の不条理に気づいてそれに抗しようとしていたこと、たくさんの秘密と責任を、一人で背負われていたこと……、今はもうちゃんと理解しています。もう子供じゃないし……だから……」
「ああ、ナシェル……」
王は意を汲んでくれたようで、感極まったようにナシェルの頭を引き寄せ顳に唇を寄せてくる。――髪に埋められた指の感触。
ナシェルはそのまま王の肩に凭れてみる。
鼻の奥に、つんとした痛みがある。視界が、端のほうからじわじわと緩む。
そう、もっと貴方の、支えになりたい。これからはそう在るべきなのだ……自分は。
……そうして双りの神はしばらく寄り添っていた。
やがて王は声に朗らかさを取り戻し、ナシェルを扉のほうへ促す。
「さあ、そろそろ参ろう。ルーシェの件は、もう納得できたのか?」
ナシェルは、その質問には応じない。ルゥの件は、また別問題だ。
「……ところで何故、扉の外にヴァルトリス公爵が?」
「あれもエベールの死に対しては責任を感じているのであろうよ。ここでよく会う」
「あの変態ヤブ王医にしては殊勝なことですね」
「実をいうとな、エベールの死について余もヴァルトリス公も、女公爵から疑義の眼差しを向けられておる。それで執務の後は女公爵に鉢合わせぬようお互い逃げ回っておるという次第だ。……笑うなよ」
父は冗談か真かわからぬようなことを云い扉を開けた。扉の外ではファルクが拝礼して迎えた。
王はナシェルの手を持ち上げ手の甲に、熱の籠った接吻を施した。
「ではおやすみ、ナシェル……善い夢を。公爵も、退がってよいぞ」
「はい、お寝みなさいませ、陛下」
「………………」
おいおい最後の夜なのだぞと、ナシェルは父を睨んだ。
……さっきからのあの流れで……なぜ私を召さぬ?
王はしかしナシェルの視線を受けとめずに黒髪をさらりと靡かせ、歩み去ろうとする。
ナシェルは低く拝跪しているファルクと、王の豪奢な後姿を、交互に睨みやった。
「………………、」
王の背中が、ナシェルがどうするのかを窺っているようにも見える。
誘うように、黒の裾を揺らめかせて歩んでゆく。
顎を突き出し耳を赤らめ、唇を尖らせながら、結局ナシェルは足早に王の後を追う。
「……父上。お寝みになる前にまだちょっと、大事なお話が……、あるんですけど……」
そうした王子の分かりやすい動向を、ファルクは上目遣いに盗み見、噴き出すのを必死で堪えていた。
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