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第四部 至高の奥園
40泡沫の夢①
艶麗な装束が、さらさらと落ち葉の如き音を立てながら静かに前を行く。
黒を基調に、新芽のめぶいた枝を萌黄の刺繍であしらった長衣である。水面に落ちる葉の影さえも精密に縫いどられた、世にふたつとない手芸の薄絹だ。
鏡のように磨きたてられた黒曜の廊下を、つれなく揺れる冥王の裾を追い掛けながら、ナシェルは己ばかりが足音を高鳴らせていることを不満に思う。眉間を下げ、唇を結んで、それでも王にこの苛立ちを示すべくパタパタと、少々床を踏み鳴らして続く。
こちらに気づき拝跪して見送る臣たちが、おのれ等の背にどんな視線を向けているのかと想像するに、少し羞恥が沸き上がる。
しかしながら王に目通れば必ず覚えざるを得ぬこの扇情を、ほかには散らす宛てもなく。
『大事な話があるんですけど……』といったきり黙り、追いつこうか否かと迷う風情のナシェルの心情を、王は知ってか知らずか鼻歌混じりに居室に向かう。
大理石の円柱の屹立する壮麗な回廊を折れたところで、振り向いた王に不意に抱き竦められ、息を詰めた。
「!」
驚きの後でじんわりと胸に滲み拡がる熱情。頤を摘まれ、心の高鳴りは忽ち下腹の疼きへと変じてゆく。
「さ、言ってごらん」
「言うって……何を?」
「大事な話があると、そなたが申したのではないか」
貌を近づけて覗き込む王は、無論それが別の想いをひた隠す婉曲な暗示であることを承知でそのような問いを発しているのだ。
「もう。お意地が悪い……判っているくせに、」
辺りに臣下の姿がないか視線を奔らせつつ、ナシェルは王に身を寄せ、その肩の上に素早く両手を添えた。
「……ならば何が希みだ? いくらそなたが求めたところで、うつろう刻を留むるための呪法も、終わりなき夢も、余には与えてやることはできぬというのに?」
「……もぅ、」
そんなのが欲しいんじゃない、とナシェルはかぶりを振る。双眸を閉ざして、拗ねて見せた。
永遠に束縛して欲しいと願ったのは確かだけれど。
「泡沫の夢でも構いませぬ。今宵は……貴方の籃のなかに、」
――閉じ込めて欲しい。
王子が躊躇いがちに寵を求め、頬に血色を奔らせるのを確かめて、王は静謐な微笑とともに彼を懐に巻き込む。
長い袖の裡に包み込まれ、顎をつまむ冷たい指とは裏腹の、王の躯の熱さを悟った。
「……そなたはルゥのことでまだ怒っていると思っていた。しばらくは共寝など、夢のまた夢とあきらめていたよ」
「ええ、無論その件はまだ怒っております」
ナシェルは眉を上げて不機嫌を示しつつも、王の肩に添えた手を離さない。
「けれどこればかりは別の話……今宵ばかりは私をお召しになられた方がよろしいかと、陛下。……自分の城に帰ったら暫く冥王宮へは参りませぬ。定めし淋しくなられるでしょうから」
「『淋しいだろうから今宵は私を召しておけ』などとは……またえらく生意気を申すではないの、この唇は」
王は顎をつまんだ指をくぃと持ち上げて、その親指でナシェルの下唇を横撫でる。
撫でたまま、唇の上で親指を止めた。
要らぬ矜持はもう捨てよ、そなたから誘ってみせよとばかりに。
その視線に、たまらない鼓動の燃え上がりを感じた。我識らず王の親指の先を舐め、口に含む。
そうしてナシェルに指先を含ませながら王は、切れ長の瞳を傲慢に細める。
「寂しくなるのはそなたも同じであろう? ちゃんとおねだりして御覧、」
「ん……ふ……。ら……抱いて下さい……。わが王……」
舌足らずな発音しかできぬナシェルは、青醒めた瞳を恥ずかしそうに泪で潤ませて。
腹立ちまぎれに王の親指をきゅうと甘く噛んだ。
「良かろう……今宵は存分に愛してあげる。ついておいで……」
王は含み笑いをこぼしつつ指を抜く。
臈長けた紅の双眸の奥に、執拗な愛の焔を認めて、ナシェルは安堵と興奮に揺れる。
顎からそっと離れてゆくしなやかな王の指に、己の指を絡ませて、湿った親指を握った。
互いの手を引いて、常夜の地底の宮を往く双面の神々の、階をのぼる玲瓏な青影を、彼らの侍精らが追ってゆく。
うっとりとした嘆息とともに。王の寵を待ち受ける歓喜に、翅羽慄わせて。
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