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番外編
兄弟騎士のユウウツ②
暗黒界の城下町。
冥王宮のある冥府には及びもつかないが、エレボス城の城下にも今や、小さな魔族の集落が存在している。一般兵の家族の住居であったり、兵卒向けの商店や酒保などが軒を連ねている。
酒保の一角で、ヴァニオンはこの日も、黒翼騎士団員三名を相手にカード賭博に興じていた。
「あーまた俺の負けかよ。今日はついてねえ」
ヴァニオンは勝負ありと悟るや、手持ちの札を乱雑に机に放った。賭けごとが好きで、よく城の上級士官を賭博場に誘うわりに滅法弱いと評判である。この夜も騎士団員たちの格好のカモとなっていた。
「負けが込んできやがった。財布がすっからかんだ……もう撤収しようかなぁ」
懐具合を確めながらぼやく御曹司の肩を、傍らの青年騎士イルファランがにやりと笑って叩く。
「ヴァニオン卿、そう云わずにあと1ゲームやりましょう。足りなかったら僕の貸しにしておきますから」
肩より少し長めの、紫がかった黒髪を右耳元で束ねた、涼しげな濃紫の瞳の青年である。黒翼騎士団に4名いる副団長のひとりとして約600騎を指揮する彼は、魔獣界出身の冥界貴族。
優男のわりに剣を持たせると一変し、彼の通った跡にはペンペン草も生えぬという噂だ。いつもにこにこと笑顔を絶やさないが、騎士団内では何をしでかしてついた渾名か『冷血の鬼』『歩く非常識』と呼ばれその笑顔すら恐れられていた。
「お前ら俺からどんだけ巻き上げる気だよ。ああ、こんなことなら盤駒でもやったほうがマシだったぜ。カードは運だけど、盤駒ならまだ勝てる見込みがあるからな。あと1ゲームだけだぞ……」
ヴァニオンはしぶしぶ、蒸留酒の杯を干した。
そのときヴァニオンの正面、酒場の木戸が開いて一人の客が入ってくるのが見えた。
フードつきの地味なマントですっぽりと体全体を覆っており、服装も顔つきも窺えないが、背丈からするとまだ成人前の若者だろうか。未成年はお断りの店には、場違いである。
しかしその人物はきょろきょろと酒場を見渡し、ヴァニオンたちの円卓を認めるとまっしぐらに歩いてきた。
「?」
ヴァニオンが近づいてくるその人影を注視していると、フードの下から覗くクリクリとした瞳と目が合った。
「あっ、イスマイル……」
フードの人物は慌てたように人差し指を立ててヴァニオンを黙らせながらも、皆に目礼してきた。そしてヴァニオンと隣席のイルファランの間に立ち、黒翼騎士団の『歩く非常識』イルファランにそっと耳打ちした。
「兄さん、ちょっといいですか……」
フードの中身は、イルファランの年の離れた弟イスマイルであった。ヴァニオンが彼をよく見知っている理由は、このイスマイル少年がナシェルに仕える小姓だったからだ。いつも青いお仕着せを着て、甲斐甲斐しくナシェルの世話を焼いていたが先年、念願叶って兄と同じ騎士団に入った……。
人目を隠すようにしてフードを目深に被ってはいるが、兄に似て、男にしておくのは惜しいほどの美形だ。青年というよりは、まだ少年のような稚さも残している。兄イルファランにはとても怖くて手が出せないが、弟ならどうか……などと昨今、騎士団員たちの間でもっぱら評判になっている話題の新米騎士であった。
可愛い弟を、イルファランはにこにこと振り返った。
「ん? どうしたの? きみ、今夜は非番だったっけ」
「今しがた勤めが終わったところです。あの、兄さん、ちょっと話があるんですけど……」
「え? 今からヴァニオン卿と最後の1ゲームなのに。いったい何?」
「あの、ここではちょっと云いづらいんですけど……」
もじもじとイスマイルは俯く。フードの下にかすかにのぞく頬が、何故だかほんのりと紅潮している。
ヴァニオンと残りの2名の騎士団員は、彼の小声を聞き取ろうと全員耳をそばだてた。ここでは云えないと云われたら、余計気になるというものだ。
「何さ、もったいぶって。ここで云えないなら聞いてやんないよ」
兄はカードを切りながら冷たくあしらおうとした。そこでイスマイルは仕方なく兄の耳元に唇を寄せ、押し殺した声で囁いた。
距離の近かったヴァニオンは、瞬時にめいっぱい体を傾けて内緒話を聞き取った。彼の耳にはこう聞こえた。聞き間違いでなければ。
「あれが……生えてきちゃったんです……。僕、もうどうしていいか……」
アレが……生えてきた……。
何だか知らないが非常に気になる発言だ。聞き間違いか?
ヴァニオンは聞こえなかったふりをしながらも全神経をイルファランに傾けた。彼の反応はというと。
「マジで? おめでとう。それで僕に真っ先に見せにきたってわけ?」
「だって、どうなってるか兄さんに確めてほしくて……おめでたくなんかないよ」
フードの下のイスマイルの頬は、薔薇のように染まっている。
なんだ、この会話は……?おめでとうって何が……。
「宿舎に帰るまで待てないの?」
「だって兄さんとは勤務表がずれてていつもすれ違いじゃない。兄さん、勤務空けは遊んでばっかでいつ帰ってくるか判らないし、探してたんだ」
「よーし分かった」
イルファランはカードの束を机に放り出しすっくと立ち上がった。彼の表情は炯炯と輝いているように見える。
「見てあげるから、ついておいで」
み、見てあげるって、何をよ……?
何だかよく分からないがどきどきし始めたヴァニオンと、会話を聞き逃したのかぽかんとしている二人の先輩騎士に向けて、イルファランは
「諸兄。失礼、ちょいと席を外します」
と言い残し、弟のマントを引っつかむようにして足早にふたり、店の奥に歩み去ってしまった。厠に向かったようだ。
……え? トイレかよ!?
狼狽するヴァニオンの横で、騎士たち二人が会話を交わしている。
「何だろな、いきなり。顔隠してたけどあれ、イスマイルだったよな」
「イスマイルでしょう。皆狙ってるって話です。ヴァニオン卿、いまの何て言ってたか聞こえました?」
「アレが生えてきた」「見てあげる」……
云々の会話を交わした若年の兄弟がトイレに向かったとなれば、それはもうアレとはアレのことしかないではないか……!
ヴァニオンの脳裏を妄想が掠めていく。
がたん!
椅子を倒す勢いで立ちあがったヴァニオンを、騎士たちが驚いて見上げてきた。ヴァニオンは笑いを押し隠して真面目な表情をつくる。
「お前らここに居ろ……俺、ちょっと様子窺ってくるわ」
「え、ちょっと、ヴァニオン卿……」
止めようとする士官たちをその場に残し、ヴァニオンは素早く二人の後を追った。
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