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番外編
兄弟騎士のユウウツ③
細い廊下の角を曲がった先、薄暗がりの中に厠の個室がある。
ヴァニオンは音もなく厠に近づいた。念のため後ろを振り返ったが、酒場の喧騒に紛れ、誰もこの常連客の行動を不審がる者はいない。
厠の鍵が掛かっている。兄弟はその中だ。
ぎりぎりまで近づき、屈んで耳をそばだてた。聞こえてきたのはイスマイルの出す切なげな声だった。
「兄さん……どうなってます……? あぅん、あんまり強く触らないで……」
「ああ、ごめんごめん」
!? いきなりかよ! しかも弟相手にイルファランの奴……! それにしてもこのネタ、美味しすぎる。騎士団の……いや、暗黒界の一大スクープじゃねえの……!?
胸を高鳴らすヴァニオンの耳に、次々とくぐもった会話が飛び込んでくる。
「だって触んないと分かんないでしょ……わぁ、ホントだ。ふふ、可愛いなぁ……」
「兄さん、声が大きいです……、ねえ、どうなってます?……」
「うーん、まだほんと生えかけだねえ……。色も薄くてホント可愛いや……この辺、触るとどんな感じなの?」
「はぁぅん……ぃや……やめてってば……!」
イスマイルの押し殺した声が、泣き喘ぐような声色に変わった。聞き耳をたてるヴァニオンの脳裏では妄想が限りなく膨らんでいく。
……そうか、この兄弟はそういう関係だったのか。
「うーん、こうするとやっぱり刺激が強いのかぁ……」
イルファランの声は相変わらずのんびりとしている。
「あ、当たり前です……。ああ、もう我慢できない……抜いてほしいよぉ……兄さん」
「ふふふ……」
えええー!? おいおいおい……!
汗が噴き出す。
イルファランよ、てめえの渾名の所以はこーゆーことだったのか!
頭上に、不意に人の気配を感じ振り仰ぐと、席に残っていたはずの士官たちがいつの間にか首を突っ込んできている。彼らも好奇心には勝てなかったようだ。
ヴァニオンと騎士たちは顔を見合わせた。
『今のせりふ聞いたか?』 『聞いたよな?』 『聞きました』
目だけで会話する。
イスマイルが危険に晒されているなら助けに入るべきところだが、あろうことか今の声はイスマイル本人のものだった。
いつも城では身軽にてきぱきと働く素直な新米騎士で、まさかこんなキャラとは想像していなかったが……。
「ふふふ、抜いて欲しいって云われてもねぇ……そんなことできるわけないじゃないの……」
「じゃあどうしたらいいの……僕。ここがズキズキしてて、もう我慢できないよ……」
「困ったね。じゃあ、応急処置してあげる。こっち向いて」
イルファランの声がそう云うや、
「ああん、やだ、兄さん、無理にしないで……!」
イスマイルの悲鳴に似た喘ぎが。
閉ざされた空間の中から発されるくぐもった叫びは、戸外にいる三人の想像力を否応なく駆り立てるのだった。
「いや、そんなにしたら痛いってば……んああっ」
「じっとしてて」
「ひあぅ……!」
「大丈夫だよ。少し皮を剥いてあげるだけだから……」
「ああ……おかしくなりそうだよ……ああン」
「しぃー、静かにしないと……駄目だよ……そんな声だしちゃ」
「ひどいよ、兄さん……無理矢理なんだもん……」
ひっく、ひっくとしゃくりあげる声。けっこう痛がっているようだが……皮を剥くって……おいおい!?
男達の頭の中でイスマイルは完全に、厠の中であられもない姿となり、応急処置とやらを施されているのであった。
「よしよし、ほら、もう泣かないの。男の子だろう?」
弟を赤子のようにあやすイルファランの声。
と、とんでもない男だ……。
ヴァニオン達は震撼した。常に笑顔を絶やさぬ男イルファランの、闇の部分をとうとう覗いてしまったのだ。
にこにこ顔の裏で非常に意地悪な男であるとは判っていたが、まさか弟相手にこんな鬼畜な振舞をしているとは!
『冷血の鬼』イルファランが弟に訊いている。
「これのこと……、他には誰にも話してないだろうね?」
「ううん……実は……」
イスマイルの声がもごついている。
「僕が様子が変なのが、ナシェル殿下に気づかれて……、それで……」
「それで?」
「……殿下が見せなさいって仰って……、断れなくて」
「見せたのか……」
「……うあぁ、恥ずかしいよ……!」
(ブッ……)
ヴァニオンは突然出てきた乳兄弟の名前に思わず口を押さえ、土床に転がった。
騎士達も立ち尽くし、目が点になっている。
「はぁ~、僕、次にどんな顔して殿下に会えばいいんだろ……もう死にたいよ……」
「大丈夫さ、殿下なら口外なさらないさ。さあ、もう行こう。皆が不審がるだろうからね。帰ったらちゃんとしてあげるから、それまで我慢して。涙を拭きなって」
厠を出ようとする気配に、男達は死に物狂いでその場を離れたのだった。
飄々とした顔で厠から出てきたイルファランの背後に、弟イスマイルは隠れるようにして立っていた。紅潮した頬を隠すためか、マントのフードをまたすっぽりと被っている。
「諸兄、おまちどおさまでした」
イルファランは紫の前髪を颯爽とかきあげ、さわやかに言い放った。
ヴァニオン達は騎士団一の非常識男ともはや目を合わすのも恐ろしく「お、おう……」などと曖昧に頷き、蒸留酒をがんがんと呷っていた。
そんな彼らの様子を知ってか知らずか、イルファランはわざとらしく残念そうな表情で、
「もう1ゲーム……と言いたい所なんですけど、実は弟の具合が悪いみたいで、今日は連れて帰らなきゃなりません」
「そ、そうか……そりゃ残念だな。負け分を取り戻そうと思ってた所なのによ」
「ヴァニオン殿、この勝負の続きはまた後日ってことで。じゃあ先輩方、お先に失礼します」
ぎこちなくフードごとお辞儀をする弟を連れ、イルファランは酒場を出て行ってしまった。足取りはものすごく軽やかであった。
「……」
「…とんでもないネタ掴んだと思わないか?あの兄弟、ああいう関係だったなんてよ…」
三人は頭をくっつけるようにして頷き合った。ネタを仕入れたら即広める。これが騎士団内の鉄則である。
「だけどヴァニオン卿、噂が広まって情報源が我々ってことがバレたらヤバイですよ。相手はあのイルファランです」
「何云ってんの、お前らあいつの先輩だろ? この一大スクープを放っておく気かよ。あの騎士団一の色男にして非常識男が、実の弟相手にアレだぜ? お前らもしっかり聞いてただろーよ」
「そうなんですが……イルファがキレると厄介だってこと、卿もご存知でしょう」
「それに……ヴァニオン殿も聞いたでしょう、どうやらイスマイルはすでに殿下のお手つきだったんですよ。下手に噂を流して尾ひれがついたら、大変なことになりますよ」
「……」
ヴァニオンは黙り込み、最後の一杯となった蒸留酒を舐めた。もはや酔いも完全に覚めてしまっており、それは突然貴重な一杯へと変わっていた。
◇◇◇
普段なら決まった店順どおりに酒保をもう数軒はしごするはずなのだが、その日に限ってはそんな気にはなれず、ヴァニオンは騎士団員たちと別れて城内に戻った。
酔い覚ましに黒天馬を駆って領地に退がるのが常だが、炎獄界に帰る気もとうに失せている。
恋人のサリエルも、今は疑似天に行っていて不在だ。
ヴァニオンは城内の自室に籠り、領主が起き出す時間になるまで、悶々と眠れぬ時間を過ごした。
いつの間にか寝台でうとうとし、イルファランとイスマイルと領主が三人で絡み合うという悪夢に魘された。
「!?」
がばっと跳ね起きた瞬間にはもう、ナシェルがその三人の中でどういう位置だったのか思い出せなくなっていた。
一番上だった? 一番下ってことはないだろう。真ん中か? おいおい……。
どうでもいいことを考えながら、酒気の残る顔を冷水でさっぱりとさせ、意を決して上階に向かう。
だが領主の在室は階下で確認したにも関わらず、扉を叩いても何の反応も無かった。
そこでヴァニオンは叫んだのである。
「あけろーナシェル! いつまで寝てんの!? 話があんだよ。居留守使ってんじゃねーこの怠け領主! 破廉恥王子!!」……
(続く)
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