虹の向こうの少年たち

十龍

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《2》

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 ジャロリーノ・エリス・ネイプルスは三大貴族ネイプルス家の四男坊だ。
 年齢は十五歳。
 背は百六十五センチで、同年代に比べては小柄。
 アウロラ王国は世界で最も平均身長が高い国とされている。けれど実際のアウロラ王国は、大小さまざまなが国が統合された王国である。よって、その土地土地によって体の大きさは異なってくる。
 それでも、ジャロリーノの身長は、アウロラ国民の同年代男子の中では小柄だった。
 そして細かった。
 服を着こめば気が付かれないが、裸は貧相である。

 ジャロリーノには様々なコンプレックスがある。
 まずは髪、そして眼。
 純アウロランと呼ばれる理想的な姿は、金髪碧眼である。とくに新緑やエメラルド色の瞳が尊ばれる。
 だがジャロリーノの髪はブラックブロンドといわれる。
 ダークブロンドとは若干違い、実際の髪質は美しい金髪なのだ。だが普通の金髪とは艶の色が違う。普通であれば白く輝く天使の輪ができるのだが、ジャロリーノの髪は黒金色に輝く。
 珍しい髪質なのだが、ジャロリーノはこの髪が嫌いだった。
 父も、兄たちも、美しい金髪だからだ。どうして自分だけ違うのか。
 そして緑の目。
 ジャロリーノも瞳は緑だ。だが、透明感がない。父も兄も、美しいエメラルドアイだった。しかしジャロリーノは、オリーブ色。エメラルドに比べて濁った色だと思う。
 そして、貧相な体。
 食べてもあまり肉にならないのか、背は伸びても体重があまり変わらない。
 だから背もあまり伸びないのかもしれない。

 制服に着替えて部屋を出ると、廊下ではネイプルス城付きの奴隷が待っていた。
 黒いスーツ姿で、白い手袋。金製の懐中時計も持っている。
 一見すれば眉目秀麗な執事、もしくは家令である。
 だが身分は奴隷。
 アウロラ王国では厳密な身分制度が敷かれていて、時々その奴隷制度の部分で世界のやり玉にあがる。
 だが奴隷には奴隷の尊厳がある。
 ネイプルス城付きの奴隷になれるのは、奴隷の中でも最上級。
 高級奴隷というやつだ。
 高級奴隷になると、下手な貴族よりも地位が上だったりする。
 奴隷には奴隷王と呼ばれる最上位奴隷がいて、それは王族と三大貴族に匹敵する力を持つ。
「おはようございます、ジャロリーノ様」
「……おはよ」
「本日は、ネイプルス卿も一緒に朝食をお召し上がりなるそうで、食堂でお待ちになられています」
「父上も!?」
「はい。天気予報の予想よりも倍以上積もった雪のせいで、交通機関はマヒしてしまいました。ですから王宮に向かわず、家で過ごされるのだそうです」
「……そうか、父上、……いらっしゃるのか……」
 ジャロリーノは緊張してきた。つい親指の爪を噛んだ。
 父であるジョーヌ・ブリアン・ネイプルス卿は、息子のジャロリーノでさえ畏れ多く感じてしまう威厳の持ち主だ。
 しかし年齢はまだ三十代。背も高く、美しい大人の男性である。
 だからこそ、ジャロリーノは緊張する。
 最近、なぜだか父をまともに見ることができなかった。
 あの夢のせいだ。
 父を性の対象として意識しているのか、そう自分を責めてしまう。
 また、あのような夢を見て、あまつさえそれをネタに自慰ふけってしまう、そんな息子であることが申し訳なくて仕方がない。
 なんにせよ、ジャロリーノは父に会いたくない。
 避けて過ごせるならば、可能な限り避け続けたい。

 奴隷執事の後ろをついて廊下を進み、階段を下りる。ネイプルス城は迷宮のようである。気を抜けば迷ってしまう。
 ネイプルス家の人間は城の中ではめったに迷わないが、いつになっても知らない部屋や廊下が見つかる。
 食堂に近づくにつれ、ジャロリーノはそんな部屋のどこかに逃げ込んでしまいたい衝動に駆られていた。
 心臓は口から出そうだ。
 さっきまで尻に指を突っ込んで喘いでいた自分が、どんな顔をして父の前に出ろというのだ。
 どうか、どうか、あの不潔ではしたない本性を、見抜かれませんように。


 朝の食堂には、新雪から跳ね返った朝日が差し込んでいて、いつもよりも数段さわやかに思えた。
 楕円形の大きなテーブルに、父、ジョーヌ・ブリアン・ネイプルス卿が座っていた。
 そして先ほど起こしに来てくれたシェパイ・ワイト。
 その父であるジンク・ワイト伯爵がいる。
「おはようございます父上。ワイト伯爵。シェパイ」
「おはよう」
 父が言った。その声がジャロリーノの心を揺らす。まるで胸の中で大地震が起きて、あばらにヒビが入ったような振動と痛み。
「座りなさい。朝食にしよう」
「はい、父上」
 震えてしまう手で椅子を引く。
 慌てて奴隷の執事が椅子を引いてくれた。
 それを見て父が溜息をついた。
 ジャロリーノはまたそれで、心が揺れた。つい心臓を押さえた。
「ジャロリーノ様、今朝からやっとまともな食材で朝食をお出しできるようになりました。コックも腕によりをかけて作りましたので、どうぞお楽しみください」
 奴隷執事が微笑みかけてくれる。
「そ、そうか。それは楽しみだ。やっと流通が元に戻ってきたのか」
「そうなのですよ、ジャロリーノ様」
 そう、奴隷執事に続けて言ったのは、ワイト伯爵だった。
 白髪かと思うくらいのプラチナブロンド。六十に差し掛かる細身の男性だ。シェパイのアイスグリーンよりも、少しブルーよりの緑の目をしている。
「戦争のために農業が滞っておりましたが、秋の実りから通年通りの収穫量に戻りましたので、やっと国庫に余裕が出てきたのです。それで、ネイプルス領の備蓄食料を放出することもなくなり、こうやって、我々の食卓にも新鮮な食材が回ってくるようになったのです」
「我がワイト領は、まだまだ困窮してるけどな」
「シェパイ。ジャロリーノ様が気になさるだろう。やめなさい」
「ごめんなジャロリーノ。嘘だ。ワイト領ではブドウが豊作過ぎて、むしろ困っていた。ネイプルス領と物々交換して、ブドウの代わりに麦とジャガイモをもらったから、さほど困窮はしていない。ネイプルス領では美味いワインがのちにできるだろう」
「……そう」
 どこからどこまでが真実で、なにが嘘なのか、ジャロリーノには分からない。
 正面に座る父が僅かに目配せすると、しずしずと料理が運ばれてきた。
 質素ではあるが、海の魚ときのこ類、そしてベーコンの入った野菜スープ。
 色のついた野菜を見るのは久しぶりだ。塩漬け以外の魚を見たのはいつぶりだろうか。

 アウロラ王国は一年ほど前まで戦争をしていた。
 相手は隣国のコーン帝国。
 三年に及ぶ大戦は、アウロラ王国の勝利で幕を閉じ、国境は南下し国土が広まった。そして多くの奴隷を得た。
 戦勝国の利益として、新たに国土となった土地に住む人間と、戦争で捕虜にした人間を、奴隷身分として国に迎え入れたのだ。
 戦争は三年だったが、その準備期間と戦後処理時間を含めると、全体では五年になる。
 戦争の発端が起こった頃、ジャロリーノは十歳だった。
 ジャロリーノが十三の時、父であるジョーヌ・ブリアン・ネイプルスは陸軍総大将として戦地に赴き、戦争が終わってもなかなか帰ってこなかった。
 帰ってきたのは、ジャロリーノが十五の誕生日を迎えた翌日だった。
 父が帰ってきてくれて泣きたいくらい嬉しかったのに、ジャロリーノは父を前にして、どのような態度でいるべきか分からなかった。
 戸惑いの再開。
 戸惑いながら抱き合って、頬にキスをして、わずかな会話を交わした。
 父も、どのように息子と接していいのか分からないようだった。
 再開してから、ジャロリーノは父と二人きりになったことはない。
 
 もしかして、今朝シェパイとワイト伯爵がやって来たのは、父上が俺と二人きりになりたくなくてわざわざ呼び出したから、だろうか。

 そうジャロリーノは考えて、気分が沈んだ。
 二人きりになりたくないのはジャロリーノだ。だが、父を嫌ってではない。
 嫌ってではないのに。

 

「お前にも、奴隷を買う必要があるな」

 唐突に父が言って、ジャロリーノは顔を上げた。
 すかさずシェパイが父に言った。
「それはいい考えです、ジョーヌ様。ジャロリーノには有能で美しい奴隷が必要ですよ。僕でさえ二人いますし。アフタにも四人。今、学校で奴隷無しなのはジャロリーノだけだとアフタも言っていました」
「そうか。それはぬかった。ネイプルスとあろうものが、奴隷もつけていないとは……。ジャロリーノ、すまなかったな」
「え?」
 父からでた謝罪の言葉。ジャロリーノは耳を疑った。
「明日、天気が良ければ一緒に奴隷商の館に行こう。私もそろそろ奴隷商の監視を再開をしなければと思っていたところだ」
「よかったですね、ジャロリーノ様。これで、誰よりも親身になって自分の世話をしてくれる者ができますよ」
 とワイト伯爵がにっこりと微笑み、
「美形を揃えてもらえよ。三大貴族の王子様なんだから。アフタ・グロウにばかりいいとこ持っていかれるんじゃないぞ。ネイプルスの負けはワイトの負けにもなるんだ」
「シェパイ」
 ワイト伯爵は咎めるように名を呼んだ。
「ワイト家はネイプルスに付家として末代までの忠誠を誓ってるんだからな。情けないことにはなるな。じゃないと俺まで情けないことになる。お前がグロウよりも下だと思われないよう、逐一口出しするからな、ジャロリーノ」
「シェパイ!」
「父上、ライアもセレステも亡くなりました。ビガラスは療養でネイプルス領のサナトリウムに入ってます。実質、次期ネイプルス王はジャロリーノなのです。ジャロリーノ付きの奴隷ができるならいい機会だ、もっと自分に自信を持ってもらいたい。いつまでもライアやセレステと自分を比べて、めそめそしているようじゃダメなんですよ。な? ジャロ?」
「……」
 ジャロリーノは答えられなかった。
 そんなの無理だと思った。
 
 長男であり、誰からも信頼されて、リーダーとして肩で風を切って歩いていたライア。
 次男で、頭脳明晰、剣の腕は軍家貴族相手でも勝るとも劣らず、何人もの貴族を僕として引き連れていたセレステ。
 その二人は、ジャロリーノにとって憧れであり、大好きな兄で、越えようと思う存在ではない。
 ずっとついていきたいと思っていた存在。

 沈黙のまま、数分が過ぎた。
 再びシェパイが口を開く。
「……ネイプルスを、順調に回復したビガラスが継ぐとしても、ビガラスは生まれながらに病弱です。ジャロリーノがサポートしなくてはならない。ですから、いずれにしても、ジャロリーノには、……自信にあふれた人間になって欲しいのです。父上。ジョーヌ様」

 自信。
 奴隷がいればそれが手に入るのか、ジャロリーノには分からなかった。
 
 もうジャロリーノは十五歳だ。
 物心ついたときから一緒にいるのが、自分専用の奴隷というやつだ。
 ジャロリーノは四男だった。それゆえ、奴隷は与えられなかった。
 上の兄二人が優秀で、三番目の兄は病弱で、ジャロリーノの優先順位は低かったのだ。
 
 けれど、十歳の誕生日、ジャロリーノにも美しい奴隷を一人持たせようという話が出た。
 しかし現在、ジャロリーノは独りである。
 ジャロリーノに美しい奴隷の友達が買い与えられる前に、戦争が起こったからだ。


 今更、奴隷とか貰っても、打ち解けられる気がしない。

 けれど、とジャロリーノは昏い瞳で思うのだ。

 けれど。自分だけの奴隷ができたら、その奴隷と、あの夢の中のようないやらしいことができるかもしれない。

 そう思って、瞳は昏くなる。

 こんなことのために、シェパイが応援してくれているわけじゃない。
 こんなことのために、父が奴隷を買ってくれるわけじゃない。

 けれど、ジャロリーノは瞳を昏くする。
 あの夢を、現実にできるなら……。


 続く。
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