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34.私の知らない顔

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「サラ、ここから正面を見て下さい」

 そう言われて見上げてみると、そこには昼間観光したウィーンのシンボルでもあるゴシック様式のシュテファン大聖堂が見えた。

 幾つもの尖塔に取り囲まれた中心の一際高い尖塔が天に向かって聳え立ち、周りの建物を圧倒するようにその存在を誇示している。シュテファン大聖堂はハプスブルク家歴代君主の墓所である他、モーツァルトの結婚式と葬儀が行われた聖堂としても知られている。ライトアップされて映し出される姿は昼間に見た時とはまた趣が変わっていて、まるで別の建物のようだった。

「あの大聖堂の目の前の建物が、目的の場所ですよ」

 シュテファン大聖堂の目の前にあるホテル。立て看板のある建物のドアを入り、エレベーターで6階に上がると目的のバーはあった。

 照明が落とされた店内とは対照的に、一面ガラス張りの大きな窓の目の前に迫るように映し出されるシュテファン大聖堂を下から照らすライトアップのオレンジの眩い光は店内にまで射し込んでいた。

 窓際に設けられた薄いモスグリーンの肘掛けチェアをステファンが引いてくれる。サラは笑みを浮かべて腰掛けた。

 窓から見える景色に、サラが感嘆の声をあげた。

「わぁっ、凄い……とても近くて、手が届きそうですね。素敵……」

 ここからだとシュテファン大聖堂のモザイク画のような大屋根を間近にみることが出来た。

 このバー独自のカクテルが豊富にあるらしいが、ドイツ語の読めないサラはステファンにお任せすることにした。

 珍しくステファンもカクテルを頼み、2人でグラスを傾けて乾杯する。無機質な高音が静かな店内に小さく響いた。

「今日はとても楽しかったです。ありがとうございました、ステファン」
「私もサラとウィーンに来られて、この街を紹介することができて嬉しかったですよ」

 ステファンが目を細めて微笑み、泡の立ったシャンパンゴールドのカクテルに長い指を掛け、優雅に口を付けた。サラもカクテルを傾け、ハァと短く息を吐いた。

「明日、ラインハルトについに直接お会いするのかと思うと緊張して、今夜は眠れなさそうです」

 そう言いながらサラが既に緊張した顔を見せると、フフッとステファンが笑った。

「ピアノの指導の時は厳しいですが、普段は気のいい老人ですので、サラが気に病むことはありませんよ」

 ラインハルトのことを『気のいい老人』だなんて言えてしまうステファンにサラは内心驚きながら、以前コンサートで見た彼の顔を思い出した。

 あの時は……威厳があって、力強いオーラを感じて、『ピアノ界の巨匠』その名の通りだと感じました。

「今回、サラと一緒にウィーンに行くと話したら、是非とも会いたいと言っていましたよ」

 ステファンが少し遠い目をした後、サラに柔らかい笑みを見せた。ステファンが自分の話をしてくれていたのだと思うと、サラはなんだか擽ったい気持ちになった。

「ベンジーはまだ、ラインハルトの家に泊まり込みで師事しているんですか」
「えぇ。現在ラインハルトの元には彼の他に2人が住んでいます」

 ステファンもそこで兄弟弟子の方達と刺激し合いながら、切磋琢磨したのでしょうか……

「ラインハルトは、後継者を育てるのに熱心なんですね」
「……そう、ですね」

 ほんの僅か、ステファンの表情に影が差し、返事に間があいたのが気になったが、サラは気付かないふりをして慌てて次の話題を探した。

「兄弟弟子の方達とも会えるのが楽しみです」
「ふふっ、個性的な面々ですよ」

 思い出したように笑って見つめた先には、自分の知らないステファンのここでの思い出があり、その笑顔が自分ではない誰かに向けられていたのかと思うと、サラの胸にチリチリと焼け付くような焦燥と嫉妬が湧いてきた。
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