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叩扉(こうひ)

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 車内にはいつも流れているニュースの音は聞こえず、冷たい空気だけが包んでいた。

 車が発進し、獣道を突き進む。林に囲まれた道は暗く、ヘッドライトを頼りに凛子は車を慎重に走らせた。車は上下に何度もバウンドし、運転に慣れているはずの凛子ですら、ハンドルを握る手に力が入った。

 車がようやく獣道を抜けると、今度はカーブの続く山道へと入った。林を抜けたとはいえ、朝だと思えないほど暗くどんよりした雲が空を覆っている。

 舗装された道へ入ると、突然ラジオからニュースが流れ出した。まるで、突然現実へと引き戻されたような気持ちになる。だが凛子はラジオを消し、再び車内にはエンジンの低い音とブレーキを踏む時の重い音が遠く聞こえるだけになった。

 美姫が少し浮いた躰をシートに沈めると、凛子は静かに息を吐き、口を開いた。

「秀一さんには、ツイッター情報を基に来栖財閥のネットワークを使って居場所を突き止めたって言いましたが.....あれは、嘘です。
 たとえ来栖財閥のネットワークを駆使しても、こんな山道の奥の獣道の先にある人里離れた山荘には辿り着けませんでした」

 美姫は母の言葉に、驚きを隠せなかった。

 じゃあ、誰がお母様にこのログハウスの存在を告げたの!?

 その疑問は、すぐに母の口から伝えられた。

「実は、昨日......秀一さんのマネージャーの方から、連絡がありました」
「え、智子さんが!?」

 思ってもいなかった人物の名前が上がり、美姫は飛び上がりそうになるほど驚いた。

 どう、して智子さんが......

 秀一さんのデビューからマネージャーにつき、あんなに秀一さんに忠実だったはずなのに。

 信じられない気持ちでいると、凛子が話し出した。

「上條さんは、秀一さんのマネージャーであると共に、ピアニスト、来栖秀一を尊敬する崇拝者でもあります。
 彼女も、辛いのよ......こんなことになり、秀一さんのピアニストとしての道が断たれてしまって、深く胸を痛めています」

 美姫は智子の思いを知り、心が沈んだ。

 ピアニストしての秀一の成功のため、デビューから支え続けてきた彼女。それが、姪との恋愛が発覚したことにより失踪し、今まさにピアニストとしての地位を捨てようとしている。

 私のこと、恨んでるかな......

 秀一の命令により、智子は美姫の世話までしてくれていたが、その彼女の心の内はどうだったのだろうと思うと、 美姫は胸を抉られるようだった。

「お母様は、私たちの仲を知って......失望、しましたか」

 あの週刊誌を読んだ時、お母様はいったいどんな思いをされたのだろう。

 お母様は、ウィーンにいる時から私たちの仲を疑っているような言動が見られた。もうあの時から、本当は気づいていたのだろうか......

 凛子は美姫を見つめることなく、ハンドルをしっかりと握りしめて前方を見つめながら答えた。

「美姫。私はあなたの母親ですよ。あなたが誰を見つめ、誰を思っているかなど、分かります。
 美姫が学生の頃から......あなたが秀一さんを叔父としてではなく、ひとりの男性として意識していることに、私は気づいていました」

 母の言葉に、美姫は喉に何かが詰まったように小さい呻き声を上げた。美しい眉が引き上がり、口が小さく開いたまま静止する。

 しばらくして、ようやく美姫のか細い声が落とされた。

「どう、して......」

 どうして、お母様は私が秀一さんを好きなことをずっと知ってらしたのに、何も言わなかったのですか......

「私が、美姫の秀一さんへの気持ちに気付きつつも何も言わなかったのは......今まで築き上げた幸福を、壊したくなかったの。あなたに対しては逞しくしっかりした母を演じていたけれど、本当の私は臆病で何も出来なくて......自分勝手な、人間なんです」

 凛子が自嘲するように、皮肉な笑みを浮かべた。

「お母、様......」
「あなたは、聞いたのでしょう。
 来栖家の、過去を」

 それを聞き、美姫はビクンとした。

『来栖家の過去』

 それは、母が祖父の愛人だったこと、祖父母の死に父が関連していることを示唆しているのだと、美姫には、分かったからだ。

「全て、その通りよ......
 私はあなたのお祖父様である来栖嘉一の愛人でした」

 母から直接聞き、美姫は再びショックを受けた。

 そんな美姫に、凛子は自分の過去を語り出した。
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