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白い嘘

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 美姫はふと、以前会った際には薫子が詩織を授乳していたのに、今は哺乳瓶を与えていることに気づいた。

「詩織ちゃんって、もう母乳は卒業したの?」

 美姫は赤ん坊のことは何もわからないので、もう詩織には母乳を与える必要がなくなったのでミルクに切り替えたのかと思ったのだった。

 薫子が少し困ったような笑みを浮かべた。

「詩織が生まれてから母乳育児しようと頑張ってたんだけど、どんどん量が減っちゃって。お腹が空くのか寝つきも悪くて、夜中に何度も目が覚めたりして、私たちも寝不足に悩まされて。本当は最低でも詩織が6ヶ月になるまでは母乳を与えたかったんだけど、あまりにも私が神経質になっちゃってて、悠がもうやめようって説得してくれたの」

 そこには計り知れない育児の苦労が垣間見え、子供のいない美姫は「そうなんだ......」としか返せなかった。

 薫子は、悠から空になった哺乳瓶を笑顔で受け取った。

「でもね、完全にミルクに切り替えてからは精神的にすごく楽になったんだよ。詩織も昼夜の区別がつくようになって、お昼寝の時間とか夜寝る時間とかが決まってきたし。
 そうしたら、少しだけ悠とふたりの時間が出来るようになったし、詩織とも遊んだりする心の余裕がでてきたし、今はミルクに切り替えてよかったって思ってる」

 それから、哺乳瓶を洗うため台所へと向かった。先ほど玄関で渡しそびれたケーキを渡すために美姫は立ち上がり、彼女の後を追った。

「薫子、ケーキ買ってきたからみんなで食べよっ。シルバーニードルズの茶葉も持ってきたから」
「ありがとう、嬉しい!
 あ、これって『ルル ショコラ』の生チョコロールケーキ!? チョコレート専門店から最近売り出したロールケーキだって、話題になってたよね。食べてみたいって思ってたの」

 嬉しそうにケーキを見つめる薫子を見ていると、とても1児の母親とは思えない。学生の時からの愛らしさは少しも失われておらず、それにほんのりと色香が加わった薫子は、同性である美姫から見ても魅力的に映った。

 それは、悠に愛されてるから......なのかな。

 美姫は、暗くなりそうな気持ちを押し込め、紅茶を入れる薫子を手伝った。

 受け取ったロールケーキを早速頬張りながら、大和が不思議そうに尋ねる。

「そんな育児大変なら、そのまま同居してた方が楽だったんじゃないのか? ほら悠のご両親も孫のことすごく可愛がってたし、離れて住むのは何かと不安もあるだろうし」

 悠は指を握る詩織を見つめて微笑んだ後、大和に向き直った。

「親との同居はすごく快適だし、居心地はよかった。 けど、あそこにいたら家事も身の回りのことも詩織の世話も、みんな人任せになってしまう。それでふたりで話し合って、自分たちで出来る事はやるようにしようって決めたんだ。
 リハビリに通うのは今は週に2回だけだから、薫子が生け花教室を教えている月曜と木曜に病院に一緒に行ってる。その間、詩織の世話は母さんがしてくれてるんだ。週末にも家族でご飯食べてるから週に3回は詩織に会ってるのに、それでも少ないって文句言われてる」

 大和と美姫は頬を緩ませた。

「ほんと悠のお母様、詩織ちゃんが可愛くて仕方ないんだね」
「あぁ」
「じゃあ、その時にばあやさんも一緒に詩織ちゃんの面倒を見てるの? 今、ばあやさんは、風間家で働いてるってことなんだよね?」

 このアパートがばあやの所有しているものであり、薫子とばあやがこの部屋に以前住んでいた事を聞いていた美姫は、そう尋ねた。

 本来ならここにいるはずのばあやが見えなかったので、最初はどこかに出かけているのかと思ったが、もし今日大和と美姫が訪ねてくる事を知っていれば、よほどの用事がない限り家を空けるはずがない。それならば、ばあやはそのまま風間家に残り、働いているのだろうと思ったのだった。

 薫子の顔が青ざめ、唇を強く噛み締めた。そんな彼女の手に、悠がそっと手を重ねる。重たい空気が、部屋を包んでいた。

 悠が口を開く。

「ばあやさんは......腰を痛めて、入院中なんだ」
「そう、だったんだ......」

 けれど、薫子の反応はただ腰を痛めて入院しているというにしては、重すぎる雰囲気があった。

 薫子は、唇を震わせた。

「あの、人が......あの人が、あの時ばあやを突き飛ばさなければ、あんなことにはならなかったのに。
 許せない......」

 いつも穏やかで大人しく、怒ったことのない薫子から、禍々しい憎しみのオーラが滲み出ている。

 あの人って......誰なの?

 疑問に思いながらも、とても口に出して聞ける雰囲気ではなかった。
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