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本編
26.デビュタント(2)
しおりを挟む正面から見たブリュンヒルデはまた素晴らしく美しかった。
いつもは額を覆っている前髪が中央で分けられ、可愛いおでこが覗いている。毛先に軽くウェーブがついて可愛い。顔の両サイドに垂らされた髪の先もくるくるして彼女の肩先で揺れている。可愛い。
いつもはしていないだろう、お化粧が今晩は特別な日なのだと物語っている。目元に入れられた色も口紅の色も、彼女の魅力を数倍上げ、華やかさを増している。こんなに可愛くして、攫って欲しいと言っているのではないか?(言ってない。落ち着け俺)
オフショルダータイプのローブデコルテは彼女の華奢な肩を、より魅力的に見せる。一連だと思っていた真珠のネックレスは小さな花の飾りがついて、鎖骨の中央に鎮座している。あぁ、あそこに唇を寄せられたらどんなに……落ち着け俺。
「こんばんは、ブリュンヒルデ嬢。デビュタント、おめでとう」
クルーガー伯爵夫妻の手前、礼儀正しい言葉を発し、彼女の右手をとって唇を寄せ、その甲に音を立てるだけの挨拶をした。
今晩の俺は“礼儀正しい貴公子”。
決して“奇行士”ではない。
俺を見上げるブリュンヒルデ。可愛い。本当、可愛い。大好き。
「本当に、可愛いよ。ブリュンヒルデ。こんなに美しく可愛い君と踊れる俺は、最高に幸せ者だ」
自分でも自分の目尻が垂れているだろうなぁと判るくらい、にやけている自信がある。いや、そんな自信持ってはいけないだろうが、仕方ない。だってブリュンヒルデが可愛い。
ブリュンヒルデが俺を、俺の目を、見つめている。
どこか、夢見るようにうっとりと。
君、本当に俺の瞳、好きなんだね。また赤紫色に変化している?
意識してにっこりと微笑んだら、慌てたように目を逸らされた。
あー。可愛い。彼女のすることなすこと、全部が可愛い。
イザベラとジークが何か言ってる。
二人がクルーガー夫妻と挨拶? かなにか会話している。言葉の羅列は耳をすり抜けて、俺の脳に留まることなく反対の耳から抜けていったような気がする。
イザベラたちが会話を交わす様を、ブリュンヒルデが微笑みながら見守っている。
そんな彼女を俺は見守っている。
君は本当にイザベラが好きなんだね。イザベラとジークが仲睦まじく話す様子を見守ることも、君は好きなのだ。その穏やかで温かい眼差しでよく解るよ。
俺がぼんやりとブリュンヒルデに見惚れているうちに、彼らの話しがついたようだ。
ジークがイザベラをエスコートし、ブリュンヒルデはお父上の腕を取ってその後に続いて行ってしまった。デビュタントのご令嬢は入場扉が一般とは違うせいだ。……ちょっと寂しい。
って、おい、イザベラ。振り返って手を振るな。子どもじゃないんだから。
俺はその場に残されたブリュンヒルデのお母上、クルーガー夫人をエスコートして入場した。
◇
クルーガー夫人は穏やかで、その落ち着いた声音までもブリュンヒルデに似ている気がする。いや、逆か。ブリュンヒルデがお母上に似ているんだ。だからだろう、夫人の声を聞いていると、とても癒される。
「オリヴァーさまとイザベラさまのおふたかたには、娘が大変お世話になっているようで……ありがとうございます。特に……オリヴァーさま。貴方のお陰で、娘は普通に笑うようになりました」
「え?」
「あの子、お義父さま……前伯爵が亡くなった後から、だったわね……あの頃から笑顔がぎこちなくなって……心配していたけれど、大丈夫だとしか言わないし……どうしてやることも出来なくて、とても歯痒く思っておりましたの……」
夫人は語る。
前伯爵、つまりブリュンヒルデの祖父が亡くなった後から、娘は笑わなくなった、と。
前伯爵夫人も、先代を慕っていた屋敷の皆も彼の突然の死に涙したが、天真爛漫な侍女が居たおかげもあり、徐々に笑顔を取り戻していった。
だが、ブリュンヒルデに笑顔は戻らない。
領地を離れ学園の寮に入り、遠距離なせいもあって娘はなかなか帰ってこない。もっぱら伯爵夫妻の方が王都に出向き面会していた。
受け答えもきちんとするし、学業成績もまずまず。しっかり者である。だが、笑わない。一体どうしたのだろうと心配していた。
初等部三年目の途中からやっと笑える娘と出会った。彼女が語る学園生活の話には度々親友イザベラ嬢とその兄が出てきた。
「オリヴァーさまが、初めてあの子の絵を褒めてくださったそうで。とても嬉しそうに語ってくれましたのよ。“水墨画を初めて褒められたの。凄いって賞賛してくれたの”って」
緻密な絵、繊細な絵は誰にでも褒められたが、墨の濃淡のみで表現する水墨画は評価されたことがなかった。
酷評ばかりの中、自信を失いそうになっていたところに貰った“凄い”という単純なことばがとても嬉しかったのだと。
「それに、自分は笑えないのだと言ったら“君はちゃんと笑っている” って言って、どんな時に笑っているのかきちんと教えてくれたって。
“笑った顔、可愛いね”って言って笑ってくれたオリヴァーさまのお顔こそ、可愛かったと娘は申しておりましたわ」
その可愛かったオリヴァーさまを中心にスケッチしていたら、それを彼のファンクラブ会員に見つかった。
咎められるかと思ったが、彼女たちに思わぬ賞賛を頂いた。
彼の絵を描いて彼女たちに渡すと驚くほど喜んでもらえた。
こんな絵を描いて欲しいとリクエストを受けて描く。喜ばれる。喜んでもらえて嬉しいからまた描く。また喜ばれる。
自然と自分の周りに笑顔の輪が広がっていた。
同年代の少女たちと、いつの間にか共通の話題で盛り上がり、笑い合うことができるようになっていた。
その輪はいつのまにか王女殿下にまで広がっていた。
「オリヴァーさまが娘の笑顔を見つけてくれたお陰だと、娘本人が申しておりました。それ以来、自信をもって振舞えるようになったと。今まで悩んでいたことが嘘のように、微笑むことが出来るようになったのだと」
だから、ありがとうございます。わたくしからもお礼を。
そう言って微笑んだクルーガー夫人のことばに、俺は泣きたくなるほど嬉しくなったのだ。
※ブリュンヒルデ嬢は親に絵を描いて喜ばれた、とは言ったが、どんな“絵”なのか詳細を話していない。
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