上 下
37 / 88

37 三月が終わる。のよりさんはまだこの部屋に居た。

しおりを挟む
「ああ……」

 扉を開けたサラダは、Pタイルの上の靴を見てそう言った。

「じゃあブランチ食べに行こうって言うのはまた今度ね」

 え、と私は目を瞬かせた。

「何言ってんの。一緒に行こうよ。あんたすごい久しぶりだったじゃない。一体何処行ってたの」
「ちょっと実家によばれてたから――― それに、いつものお友達と違うでしょ、ミサキさん」

 両肩をひょい、と持ち上げ、くん、と鼻をすするような動作をする。

「何、化粧臭いとかいうの?」
「そうゆうんじゃなくてさ」

 サラダは目を細めた。

「ミサキさんあたしが彼氏と居る時とか、誘わないじゃん。そぉゆう感じ」

 ぎく。

「だからさ、ブランチはそのひとと行ってきなよ。あたしも忙しいしさ」
「サラダ?」

 またね、と言って彼女は笑って手を振った。

 どうしたの、と六畳の方から声が飛んだ。
 昼に近い朝。時計がもう少しで十一時を指す。
 今の今まで、私達は夢の中だった。
 春先は眠い。
 だから私達も眠い。ぬくぬくと、互いの体温の中でまどろんでいる。

「起きたの」
「声が聞こえたから」

 三月が終わる。
 のよりさんはまだこの部屋に居た。
 ケンショーのところを飛び出してから、もうどのくらい経ったのだろう? 
 彼女はずっとそれから私のこの部屋に居着いていた。
 ここからバイト先に通い、知り合いの所へ出かけ、時には実家に電話をしていた。

「ちょっと帰りにくくなっちゃった」

 それはそうだろう、と私は思う。
 いくら何でも、男のところに転がり込んでいたのだ。
 私は幾らでも居ていいよ、と言った。
 リップサーヴィスではない。
 彼女は朝強くない。
 返事はしたけれど、まだベッドの中だ。
 枕を抱いて丸まってしまっている。

「そろそろ起きよう…… コーヒーでも呑みに行こうよ」
「んー……」

 半目開きになる。
 その頬に指を触れさせる。
 くすぐったそうにその目が閉じる。

「ねえ起きてよ。こないだ、新しいカフェ見つけたんだよ。あたし一人で行けって言うの?」

 黙って彼女はゆっくりと身体を起こし始める。
 乱れた髪が肩に落ちる。
 キャミソールの紐が片方落ちている。

「かふぇ~」

 のよりさんは結構カフェという奴が好きだ。

「そうだよ。何かね、一つ一つのテーブルにつけてある椅子が違う種類なの」
「へーえ」

 髪をかき上げて、彼女はの紐を直した。ふわり、と持ち上がったふとんの中から、彼女の匂いが立ち上る。
 その中には私の匂いも混じっているのだろう。
 持ち主には判らない、その匂い。
 その時ようやく私は、サラダが何に気付いたのか悟った。
 女臭い、という奴だ。

「そーだね…… 行こうか」
「そうそう。そういえば、桜が昨日あたりはつぼみだったけれど、今日は咲くんじゃないかなあ」
「桜かあ」

 でもそれは去年は気付かなかったことだ。
 去年は、そんなこと気付く余裕が無かった。仕事のことやら、自分一人の暮らしが手一杯だとか、兄貴のバンドのこととか、……あれ、よく考えてみたら、それは今も同じだ。
 なのに、今年は花を見るだけの目の余裕がある。何だろう。

しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

平凡な俺が総受け⁈

BL / 連載中 24h.ポイント:113pt お気に入り:209

日曜日の午後

恋愛 / 完結 24h.ポイント:14pt お気に入り:4

悪役令嬢候補を幸せにして、私も結婚します

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:35pt お気に入り:187

金に紫、茶に翡翠・リオンの日記

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:14pt お気に入り:14

♡ちょっとエッチなアンソロジー〜肛門編〜♡

大衆娯楽 / 連載中 24h.ポイント:28pt お気に入り:6

【完結】雨降らしは、腕の中。

N2O
BL / 完結 24h.ポイント:42pt お気に入り:99

君を好きになるんじゃなかった

BL / 完結 24h.ポイント:56pt お気に入り:21

処理中です...