涯(はて)の楽園

栗木 妙

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終章.サンガルディア王都 ─アレクセイ・ファランドルフ─

(1)

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 王宮内には、ありったけの衛兵が配置されている。
 城壁の外を取り囲むように、ずらりと並ぶユリサナの大軍。
 ――血戦の火蓋が切られるのは、もう間もなくだろう。
 物見櫓からその様子を眺めていた俺は、やおら踵を返した。
 俺には俺で、これからやるべきことがある。
「行くぞ」
 短くかけた一声で歩き出したと同時、幾つかの足音が背後に付き従ってくる。
 我々の目的――それは玉座の間。


 そこでは国王が、数人の側近と重臣たちに囲まれて、落ち付かなさげな様子を隠すこともなく、一段と高い位置に座っていた。
「――どこへ行っていた、アレクセイ!」
 扉を開けて入ってきた俺を見るなり、苛立ちに任せて怒鳴り付けてくる。
「仮にも私を護るべき近衛騎士団の長が、この大事に何をしているのだ!」
「申し訳ありません」
 そういう貴様は一国の長だろ、少しは落ちつけよ。――とは思うものの、とりあえず頭は下げておく。
「外の様子をうかがっておりました」
「おお、そうであったか……して、様子はどうだ?」
「始まるのは、もう間もなくでしょう」
 言った途端に、まさに押し寄せる、というに相応しい音量の鬨の声、そして砲撃音が、建物全体を震わせるようにして、こんな王宮の奥深くにまで響き渡ってきた。
 ――始まったか。
 それが聞こえてきたと同時、国王をはじめ、そこにいた皆が息を飲んで身を竦める。
 この場で普段どおり落ち付き払っているのは、俺と、その背後に立つ部下たち数名のみ、だった。
 より一層、平常心を失った王が、まるで怒鳴り散らすように、こちらへ声を投げつけてくる。
「こうしてはいられない! 私はここを出るぞ!」
 ――こちらも、また始まった。
 もう数日前から、こればかりだ。
 ユリサナ軍が王都に向かって進軍しているという報せを受けてから、もたらされるのは、我が軍が劣勢だの壊滅しただのという一報ばかり。
 向かってくるユリサナ軍を止められないと覚ったと同時、国王が選択したのは、自分の身の安全の確保、だった。
 一国の主が、聞いて呆れるではないか。
 さすがに、それは外聞が悪いため、周囲の側近が止めては、何とかここまで王宮に踏み止まってはいたものの。
 こう、まさに踏み入られる直前、という状況に直面してしまったら、それしか考えられなくなってしまったようだ。
 普段よりも強固に「ここを出る!」と言い張る国王の意志は固く、また、普段なら止める側近連中も、本音は自分も逃げたいのだろう、このような事態になったからには仕方ないとばかりに、止めることもせずにいる。止めないばかりか、どのルートを通れば脱け出せるとか、どの門なら敵が居ないとか、もはや王を囲んで逃げ出す算段だ。
 仕方なく、「陛下」と呼びかけ、俺は一歩、足を前に踏み出した。
「ああ、アレクセイ! 我が義弟おとうとよ!」
 ――甚だ不本意なことながら……俺の姉が正妃の地位にあるために、国王とは義兄弟の間柄でもある。
 その所為もあってか、俺はこの春から、近衛騎士団の団長へと昇格していた。
 普段ならこういうことがあるたび、なまじ王家と縁のある実家の権力が鬱陶しい、とでも思っていたところだが。
 今日この時を迎えるにあたって国王に近侍できる立場を得られたのは、まさに僥倖というべきだろうか。
「近衛騎士団の長として、今こそ私を護れ! 共に来て、私をここから無事に連れ出すのだ!」
「お言葉ですが……」
 しかし俺は、前に進む足を止めず、歩きながらそれを返していた。
「陛下には、ここに居ていただかないと困ります」
「なんだと……!」
「最後まで責任を果たされるのが、王たる御方の負うべき責務でございましょう?」
 こちらを見やる国王の眼前まで進み出てから、ようやく俺は足を止めた。
 一段高い場所から見下ろす瞳を受け止めて、睨み付けるように見つめ返す。
「何としても、この場を動かずにいていただきます」
「無礼な……!」
「無礼は承知のうえですよ、陛下」
 言うと同時に、素早く腰に佩いた剣を引き抜き、すかさず切っ先を国王の喉元に突き付けた。
「なっ……!」
「――動くな!」
 同時に周囲を一喝する。
「陛下を害されたくなければ、黙ってそのまま後ろに下がれ」
 まずは王を取り囲む側近たちを一瞥すると、気後れしたかのように、そろそろと後退してゆく。
 剣を帯びた軍部上層の者たちは、既にこちらが連れてきた有能な部下たちにより制圧されていた。――このために揃えた近衛の中でも選りすぐりの精鋭たちだ、抜かりはない。
「アクス、セルマ」
 副官である腹心の側近二人を呼ぶ。
「はい」
「ただいま」
 近寄ってきた彼らに王を任せ、俺は剣を下ろした。
 振り返り、王と同じ位置からその場の一同を睥睨し、告げる。
「見ての通り、陛下がここに留まっていてくれることが我らの望みだ。それ以上は何も望まない。ここに居てくれさえするなら、我々が全力でお護りすると約束する。それでも抵抗する者がいれば切り捨てるまで。こちらも無駄な死人は出したくない。即刻この場から立ち去り、それぞれの持ち場に戻られるがよい」
 王に刃が向けられている以上、この場の誰もが、どうすることも出来なかったとみえる。また、この場で近衛騎士の精鋭を相手にした勝算を弾きだせる頭も、少しくらいは残っていたようだ。
 皆、こちらに促されるまま、素直に退散してゆく。
 余計な人間が閉め出され、この閉ざされた広間に残っているのは、我々近衛騎士と国王陛下、ただそれだけとなった。
「やれやれ……下手な国王奪還計画なぞ考えてくれなければいいのだが……」
 そうなったらなったで、この面々ならば持ち堪えられるだろう自信は充分あるが、ただ単に面倒くさい。
 しかし、まさに敵国に王宮に攻め入られんとされている今、ここにまで余計な戦力を裂くことなどは出来ないだろうという確信はある。――この王に、そこまでの人望があるとも思えないしな。
 また俺にしても、伊達にこれまで手を拱いていたわけではない。裏から手を回した軍上層部の掌握も、まさにこの時のためだけに為したことである、と言っても過言ではないのだから。
「――どういうことだ、アレクセイ……!」
 ふいに背後からかけられた声に振り返る。
 そこには、アクスとセルマの二人に両脇から剣を突き付けられ、既に玉座の肘掛部分に両腕を拘束されている、身動きすら儘ならない国王陛下の怒りに燃えた瞳があった。
「なぜ私にこんな真似を……!」
「言ったでしょう? 国王であるあなたには、王宮に居ていただかないと困るんですよ」
「貴様、私に何の恨みがあって……!」
「恨み……? あなたは、自分が私に恨まれていないなどと、本気で思っていたとでも……?」
 微笑みらしき形に口許を歪ませながら逆に問いかけてやると、そこで王は、ぐっと言葉に詰まったように口を噤んだ。
 そのうえで、更に言葉を浴びせかける。
「どうやら心当たりが、腐るほどあるようですね」
 悔しそうに唇を噛み締めて視線を背けた、その顎を乱暴に掴み寄せ、無理やり自分の方へと視線を向けた。
「心配しなくても、私は何もしませんよ。これでも近衛騎士ですからね。あなたが国王である限りは、その御身はお護りします」
「アレクセイ……おまえは、一体なにを企んでいる……?」
「別に、私は何も」
 そして、どこまでも低い声で告げてやる。
「こちらが何をせずとも、あなたは相応の報いを受けるだろう。ただ黙って待っていればいい。――それは、もう間もなくだ」


 王宮の門が破られれば、彼ならば即座に乗り込んでくるだろうと予測していた。
 国王のおわす玉座の間に至る回廊には、近衛騎士団勢揃いで配置がなされていたが、彼には手を出さず無傷のままここまで通すよう、予め通達してある。
 そう時間を置かずして、やがて彼は姿を現した。
 数名の護衛だけを引き連れて、近衛騎士たちが立ち並ぶ中、臆することもなく堂々と歩いてくる。
 ここへ至るまでに相当な数の人間を斬り捨ててきたのだろう、護衛は勿論、自らの身体にも大量の返り血を浴びていた。
「――やあ、アレク。久しぶり」
 出迎えた俺に、そう気さくな声をかけて。
 しかし次の瞬間には、その視線は部屋の奥、玉座へと向けられていた。
 つかつかと迷いの無い足取りで、彼はそこへと歩み寄る。
「お役目ご苦労だな、カンザリアの英雄」
 からかうように投げかけられたその言葉には、王の傍らに立つアクスが、とても嫌そうに顔をしかめた。
 そして、まさに不承不承といった体で、近寄ってくる彼に言葉を返す。
「御無沙汰しております、――シャルハ殿下」
「トゥーリ・アクス。貴様には、色々と言いたいことはあるが……しかし、それはまた別の機会に譲るとしよう」
 足を止めて、ふっと軽く笑った彼――ユリサナ軍総司令官にしてユリサナ帝国皇太子であるシャルハは。
 そこで改まったように、玉座に拘束される王へと視線を投げた。
「さて、国王陛下――サンガルディア王国国王ルディウス八世」
 ふいに呼びかけられて、まるで向けられた彼の視線に射竦められたかのように、びくっと一瞬だけ身体を震わせ、そのまま王が硬直する。
「この状況は、ご理解なされていらっしゃるか?」
 問われた王は応えない。――応えられない、と言った方が正しいだろうか。
 全身を血飛沫に彩られながら屹立する逞しいシャルハの姿は、まさに鬼神さながらの恐ろしさをもって、見るもの全てを威圧していた。
 整った彼の美貌が、その表情に浮かべられた薄ら笑いが、それに更なる拍車をかけているようにも感じられる。
 王だけでなく、その場に居た誰もが、その時の彼に魅入られていたに違いなかった。
 言葉さえ出せずに息を飲み込み、ただ黙して彼の次の句を待っていた。
「この国は、もう終わりだ。あなたにも王位を退いていただかなくてはならない。これから生まれる新たな国に、もはやあなたは必要ない。――ついては、ご自害いただくことが最もの名誉かと思われるが、如何だろうか?」
「あ…あ、ああ……!」
 唇を戦慄かせながら、王が言葉にもならない呻きを洩らす。
 すぐに、唇だけでなく、全身へと震えが広がっていった。
 呻きながらも、ただひとこと、言葉らしきものが吐き出される。繰り返し、それだけを。
「なぜだ……なぜだ、なぜだ、なぜ……!」
「――それが、レイノルド・サイラークの望みだからだ」
 シャルハがそれを告げた途端、震える王の身体がぴたりと止まった。
「レイノルド……?」
 のろのろと視線をシャルハに合わせ、ぼんやりと、それを呟く。
「レイノルドが、私を殺せ、と……?」
「それは少し違うな」
 言いかけられた言葉を、そうシャルハが遮る。
「あれは優しいからな。言ったのは『国王陛下に玉座から退いていただきたい』、それだけだ。決して殺せとは言わなかった。――殺してやりたいくらいの気持ちはあっただろうに……しかし貴様にとっては、その方がずっと屈辱的だろう」
 言いながら細められたその瞳の色に、恐怖でも感じたか、ひゅっと国王の喉が鳴る。
「貴様の手から、この国を、滅ぼしてでも奪い取れ。――それが、レイノルドの望み」
 おもむろに、すらりと自身の佩いていた剣を引き抜いた。
「そして……貴様の死を望んでいるのは、この私だ」
 既に血で染められている白刃が、ゆっくりと自分の喉元へ副えられてゆく様を、王は視線すら逸らせずに凝視するしか出来ない。
「貴様がレイノルドに与えた傷を思えば、どんなに殺しても飽き足りないくらいだ」
 そんな王に、更にシャルハが言葉を継いだ。
「しかし貴様は、まがりなりにも一国の王。ならば、どこまでも不本意だが、礼儀として最低限の敬意を払ってやるくらい、やぶさかではない。――さあ、好きな方を選ぶがいい。名誉ある自害か、不名誉な処刑か」
 当然ながら、その答えを王が返せるわけはなかった。
「…ならば、仕方ないな」
 ふいにシャルハが、王の両脇に立つアクスとセルマに向かい、「二人とも剣を引け」と命じた。
「陛下の両手の拘束を解いてさしあげよ」
 そして拘束が解かれるも、王は呆然としたまま、玉座から立ち上がることも出来ずにいた。
 やおらその手を取り、上に向けさせた掌に、シャルハが自分の短剣を載せる。
「陛下は我々に屈することを良しとせず、私の短剣を奪い取り、自身の名誉を護るため自害という手段を選ばれた。――そう国民には語ってやろう。なかなかの美談だろう?」
「そん…な……」
「潔く腹を決めることだ」
 手に乗せられた短剣を見つめたまま、それでも王は、微動だにしない。
 その上に、ふいに別の手が載せられた。――アクスの手だった。
「――陛下に、伝えておくべきことがあります」
 のろのろと視線を上げた王を見下ろし、殊更にアクスが、にこりと微笑んでみせる。
「サイラーク閣下が、こう仰っておりました。――陛下が閣下へと向けていらっしゃる気持ちは、ただの執着にすぎない、と」
 言いながら、重ねられた彼の手が、国王の右手に短剣を握らせる。
「あなたのしていることは、お気に入りの玩具を手放したくないとダダをこねる、ただの子供の我が儘と同じなんですよ」
 イイ歳して少々おいたが過ぎますね、と笑いかけるアクスの姿に、――なぜだろう、底冷えするような恐ろしさまで感じてしまった。
「行き過ぎた執着は身を滅ぼす、って言葉を知りませんか? サイラーク閣下に執着した時点で、こうなることが決まっていたんですよ」
 なおも彼は言い募る。普段らしからぬ笑みを振りまきながら。
「あなたのレイノルドは、この俺が貰いました」
 その言葉に王が目を瞠ったと同時、彼の片手が短剣から鞘をスラリと引き抜く。
「いい加減、あのひとへの執着は手放してもらいます。――どうせ、あの世へまでは持って行けないものですからね」
 言うや否や、握り締めていた手ごと短剣を振りかざすと、そのまま躊躇いもなく王の胸へと突き立てた。


「――レイノルド……!」
 過たず心の臓を刺され、込み上げてくる鮮血に喉を塞がれながらも、それでもなお、王はそれを呟いた。
「なぜだ……あんなにも君を、大事にしてあげたのに……!」
 言いながら、事切れた。


 所詮それは、正しき道を誤った国王の、辿るべき哀れな末路でしかありえなかった。



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