ただ、きみを愛してる。

栗木 妙

文字の大きさ
上 下
35 / 37

【終】―訣別―

しおりを挟む
 
 
【終】



 その場所は、眼下に海を見渡せる高台に在った。
 市街地の喧騒からも遠く離れ、訪れる人影もまばらで、耳に届くのは、吹き渡る風と潮騒の音、そして海鳥の鳴き声、そのくらいだろうか。
 ただひっそりと、また整然とした佇まいでもって、俺たちを迎えてくれた――そこは墓地だった。


「――本当は、リリカの花があればよかったんだけどね……」
 母が好きだったんだ、と、跪いて手向けの花を墓前に供えながら、ぽつりとコルトがそんな呟きを洩らした。
 俺も、その白い可憐な花の姿を脳裏に思い浮かべる。あの花は残念ながら、この時季には咲いていない。
「…リリカの花が咲く季節になったら、また来よう」
 慰めるように目の前の背中へと語りかけると、「そうだね」と振り返ったコルトが微笑み、そして立ち上がった。
 そして、しばしの間、俺たちは共に黙祷を捧げる。


 ここに、コルトの母親が眠っているのか―――。


 あのカンザリア島襲撃事件があってから、もう一月は過ぎ去っただろうか。
 島内に捕らえられ尋問を受けていた襲撃犯たちも他所へと既に移送されており、それに伴って尋問を担当していた公安部の面々も島を引き上げ、だいぶ日常の落ち着きを取り戻してきた昨今のこと。
 念のためと言い渡されていた島外への外出禁止令も、ようやく解除してもらえる運びとなった。
 それを聞いて真っ先に、コルトが俺に告げたのだ。――母の墓前へ参りたいから一緒に来てくれないか、と。


「――やっと、ここに来られた」
 そんな独り言でも呟くような言葉に目を開けると、同時に、コルトのぬくもりが俺の手を包み込んだ。
「声を殺していた間ずっと、僕は母の死から目を背け続けて生きていたんだと思う。約束さえ守り続けていれば、いつか母が迎えに来てくれる、って……そんなことあるはずない、って解っていながら、それでも信じていたかったんだね……」
 繋がれた手のぬくもりを、改めて俺から握り返した。ぎゅっと、力を込めて。
「やっと母に、お別れを言えるよ。それも全部ニールのおかげだから。僕を救い出してくれた恩人であり、かけがえのない人生の伴侶です、って、ニールのことを紹介したかったんだ」
「コルト……」
「今こんなにも僕は幸せです、だからもう、僕のことは心配しないでいいんだよ、安心して眠っていいよ、って……やっと、伝えてあげられる―――」


 コルトの母親の墓所は、レイノルド様が知っていた。
 当のコルトは、大人の誰かに手を引かれて墓前を訪れたことがあったような気がする、という曖昧な記憶しか持っておらず、その詳しい所在地を知らなかったのだ。――ちなみに父親に関しては、在軍中に亡くなったことで軍葬となり、荼毘に付され海へと散骨された為、墓は無い。代わりに、カンザリア島に在る兵士たちの慰霊碑に、その名が刻まれているのみである。
 レイノルド様は、コルトを引き取ると決めた時、いずれ必要になるかもしれないと、彼に関わる大抵のことを、人を遣って調べておいたそうだ。その情報の中に、母親の墓の在所も含まれていた。
 そのおかげで今日の墓参が叶った、というわけだった。


 レイノルド様は……何をどこまで見通していらしたのだろうか。
 コルトが今日という日を迎えることまでをも、そのときから知っていらしたのだろうか。それとも、そうあれと願ってくださっていたのだろうか―――。


「昔、周りの大人たちが話してた。押し入ってきた強盗と鉢合わせしてしまったんだろう、って。――母は、その強盗に殺された、ってことらしいんだ」
 墓標を見下ろして淡々と語るコルトの横顔を、黙したままで見つめた。
「殺される前に母は、僕を長櫃の中に押し込んだ。きっと、その強盗に見つからないように、僕を隠してくれたんだと思う。『呼びにくるまで、ここで耳を塞いでジッとしてるのよ。声を出してもダメ』って、言い聞かせられた。『約束よ』って言葉を最後に、蓋が閉められて……それが、僕が聞いた最後の母の言葉になった。僕が長櫃から発見されたのは、母の死後、二日が過ぎてからだったんだって―――」
「そう、だったのか……」


 ――その『約束』を守ろうとして……だからコルトは、自ら声を殺したのか……。
 彼にとって、母親からの言い付け、そして『約束』は、それほどまでに“絶対”のものだったのだ。唯一の肉親、とも呼べるべき母親を、突如として失い、その庇護のもとから独り放り出されてしまうこととなった幼い彼の拠り所は、きっとそれだけしか無かったのだ。約束さえ守り続けていれば母親が迎えに来てくれる、それを信じていなければ……独りで生きていくことが出来なかったのだ。
 今さらながら……当時のコルトが抱え込まされてしまったもの、その重さに愕然とする。
 そして、改めて感謝する。今ここに、こうやって自分の隣に、コルトが居てくれることに。そのような過去に押し潰されず、ここまで立派に生きていてくれたことに。なによりも、俺と出会ってくれたことに。
 あの襲撃のあった夜に俺の取った行動が、偶然にも彼の母親と同じであったこと、それが彼の声を取り戻す契機となってくれた、ということであれば……もはや、その偶然には感謝しか無い。いっそ、それこそが運命だったのだ、とまでも、声を大にして言ってしまいたいくらいだ。


「その強盗殺人犯は見つからなかったらしいよ。――でもね……今まで誰にも言えなかったけど、たぶん僕は、犯人を知っていると思う」
「なんだって……?」
 唐突に飛び出してきたあまりにも意外なそのセリフに、俺は目を瞠ってコルトを振り返ってしまう。
 しかしコルトは、顔色ひとつ変えておらず。相変わらずの淡々とした口調で、その先を続けた。
「あの頃、何かと母にしつこく付き纏ってくる男が居たんだ。そのときは、街の警備兵だか傭兵だか只のゴロツキだか、そういうあたりの関係者だったんじゃないかとは思ってたけど、詳しいところはわからない。母は、顔見知りに対する礼儀程度に愛想を浮かべて接してはいたけど、全く相手にもしていなかった。むしろ、付き纏われて迷惑だ、って、近所の友人なんかにボヤいていたのを聞いたことがあるよ。母を殺したのは、多分その男だと思う。あの日、夜も更けて寝静まった遅くに、来客があったんだ。目を覚ました僕は、起きて玄関へ向かった母の後を付いていった。母は、扉ごしに相手と短く言葉を交わしていて……それから急に血相を変えて、急いで僕を長櫃に閉じ込めたんだ。あの、扉ごしに聞こえてきた声は、件の男のもの、だったように思う。子供だったけど、相手が酔っていることも察せられたくらい、呂律が回っていない声だった。おそらく、あのまま酔いに任せて押し入ってきて、母を襲ったんだろうね。動機があるとするならば、おおかた母に見向きもされなかったことへの逆恨みじゃないかな」
「そこまで……そこまでわかっていて、何故……!」
 当時のコルトは声を出せなかった、おそらく文字も書けなかった、だから誰にも知っている真実を伝えられなかった、それは理解できる。
 でも、文字を書けるようになり、筆談が出来るようにもなったのだから、その真実をレイノルド様に伝えて、犯人を捜し出してもらうよう働きかけてもらうことだって出来ただろうに。
 おそらく、俺が声には出さなかったその疑問を、全てわかっているのだとでもいうように……そのうえでコルトは微笑み、ゆっくりと首を振った。
「――もう報いは受けているから」
「え……?」
「その男をね、要塞島だった頃にカンザリアで見つけたんだよ。レイノルド様が総督になってから間もなくのことだった。あの男は、カンザリア詰めの一兵士となって、僕の前に現れたんだ」
「素性まで、わかっていて……」
「わかったところで、既に父も亡くなっていた後だったし、文字も書けなかったうえに声まで失っていた僕には、告発できる手段自体が無かったからね。子供心に思うことは色々あったけど、結局そいつから逃れることを選んだんだよ。そいつに見つからないように、って、いつも気を付けながら島での仕事を手伝ってた。でも、そいつの方から、僕を見つけてしまった。やっぱり、要塞島なんていう場所に子供がいると目立つんだろうね。そいつは仲間と、興味本位で僕を見に来てさ……けど、自分が殺した女の息子だ、ってことには気付いていなかったみたいだった。まあ当然だよね。どうせ、付き纏っていた時から、母のことしか見ていなかったんだろうからね。だけど僕は、昔から母親似だって言われてた。どうやら僕も、あいつの好みの範疇だったみたいでさ。悪ふざけの延長、みたいなノリで、仲間と一緒になって僕を手籠めにしようと襲いかかってきた」
 我知らず、繋いだ手に力が籠もっていた。話を聞いているうちに、徐々に徐々に、強く握り締めていったらしい。
 そんな俺を宥めようとしてくれたものだろうか、まさに、安心して、とでも云うかのように、そこでコルトが、軽くぽんぽんと、もう片方の手でその強張った俺の手の甲を、優しく叩く。
「その頃の僕は、レイノルド様に気に懸けていただいていて、自分の身を大事にしろ、無理やり襲われそうになったら逃げろ、って、常に言い聞かせられていたからね。とにかく全力で抵抗して、がむしゃらに男の手を振り払って、何とかその場から逃げ出したんだ。その逃げた先で偶然、島内の散策中だったらしいレイノルド様に鉢合わせした。僕のぼろぼろの有様を目にして、何が起こっているのか、すぐにレイノルド様は察してくれた。追いかけてきた男たちは、もともとレイノルド様にまで劣情を抱いていたようでさ、僕と一緒に居る総督閣下を見るや、即座に情欲を向ける矛先を変えた。レイノルド様は身を挺して、その場から僕だけを逃がしてくれた。だから僕は、そのまま何とか逃げおおせて、信頼できる大人のところに駆け込んだ。そこで、声を出せないなりに何とかレイノルド様の危機を伝えて、数人の大人を連れて急いで元の場所に戻った。何とか間に合って、レイノルド様がまだ無事なうちに現場は押さえられて、その男と仲間は捕らえられた。そうなったら最後、さすがに、雲の上の上官である総督閣下を害しようとして無罪放免、ってワケにはいかないよね。なによりもレイノルド様が、それはそれは烈火の如くお怒りになられていたからね。当然ながら、男たちには厳しい罰が下されることになったよ。勿論、除隊も免れなかった。まあ自業自得だけどね。でも、それだけじゃなくてさ。――実は、その様子を、こっそり僕も見物していたんだ。ずいぶん胸クソ悪い光景だったよ。衆人環視の中、奴らのアレがちょん斬られる、っていう、見苦しい様は、さ……」
 そこで言葉を切り、一つ深く息を吐いたコルトは。
 ようやく俺を振り返って、視線を合わせた。
「母を殺した男とその仲間は、去勢という罰までをも受けたうえで、島を追われることになった。そこまでの問題を起こして軍を放逐された以上、たとえ何処へ流れたとしても、よっぽど上手いこと身上を偽りでもしない限り、もうこの国で軍属に復することは叶わない。そして、男の象徴を失ったことで、女を抱くという悦楽を味わうことも出来なくなった。それからの人生、どんな道を歩んだところで、それまで以上のマトモな生活など、到底、望めやしないだろうね。――人一人の命の報いとしては、まだ釣り合わない、とも思うけれど……自分が今こんなにも幸福だというのに、奴は何処かでドン底の不幸を噛み締めているんだろうな、とでも考えたら、少しは溜飲が下がる気はするよね」
 だから、それでいいんだ、と……やんわりと、コルトは微笑む。
 ああ、だからか、と……そこでようやく、俺にも理解できたような気がした。
 おそらくコルトは、それにもケジメを付けるつもりだったのだろう。
 母親の死を受け入れると共に、これまで誰にも言えずに抱え続けてきた真実を、今ここで、こうして打ち明けることで、捨て去ろうとしているのか、と―――。


 知らず知らず背に負ってしまっていた、“過去”という重荷を下ろして。
 まっさらな心で“未来”を見据え、今ここから軽やかに歩み出そうとしている。


 ――その心は、なんと強くしなやかなのだろうか。


 眩しさに、目を眇める。
 その拍子に、溢れた涙が一しずく、頬を伝った。
 どことなく困ったように微笑みながら、それを優しく指で拭ってくれたコルトと、ほんのひととき、見つめ合う。
 やがて、どちらからともなく瞼を伏せると……ゆっくりと、互いの唇が、合わさった―――。


 あれから――初めて結ばれた時から今に至るまで、ほとんど毎日のように、俺たちは身体を重ねている。
 まだコルトは、俺を抱きながら過去の幻影に襲われることがあるようだ。時々フと身体を強張らせ、息遣いが荒く不規則になり、ここにあらぬものを見ているような素振りをする。
 それに気付くたび、自分を見てくれとばかりに彼を呼び、注意を引き、何とかコルトを“こちら”に呼び戻しているが……そのたびに思ってしまう。
 ――俺ではダメなのかもしれないな……。
 こんな俺のことなんかを『好き』なのだと、言ってくれるコルトの気持ちを疑ったことは無い。しかし、彼を過去の悪夢から完全に切り離すことは、男である俺が相手である限り、やはり無理なことであるのかもしれない。
 幼いコルトに深い傷を残したのが男であった以上、俺との行為は、それを想起させてしまう結果にしかならないのではないのか。コルトにはむしろ、普通に可愛い嫁さんを迎えさせて、子供も産んでもらって、平凡だけどあたたかな家庭を作り上げる道を用意してやるべきではないのか。それこそが、彼を悪夢から解き放ってやることの叶う、最善の道ではないのか。
 しかし俺は、そうと解っていてさえ……自分からは、それを口に出すことすら、出来なかった。
 コルトを苦しめ続けることになると、解ってはいても……互いの想いを通わせ合い、身体を重ねる悦びを知ってしまった今となっては、自分から彼と離れようなんて、思える筈もなかった。――まさしく、自分の欲のためだけに。
 ――俺は、最低だな……。
 相手の幸せよりも、自分の欲を優先させようとするなんて。
 でも既に、そう心を決めてしまった。
 だからこそ、このさき彼から決して離れないことを、自分に誓ったのだ。
 コルトは俺に“赦し”をくれた。こんな俺の汚らわしい部分すら受け入れてくれ、なおかつ、それを『一緒に抱えていく』とまで言ってくれた。それでも怖気づく俺に、二人で愛し合うことの叶う方法も示してくれた。
 もはや諦めきっていた俺の“理想”を、このクソみたいな現実の中に、彼は実現させてくれた―――!
 愛する人と想いを通わせることが叶う未来が、こんなにも穢れきった自分のもとに訪れてくれるだなんて、それこそ夢物語だと思っていたのに。
 それを与えてくれたコルトを、どうして俺から手放せるというんだ。出来る筈なんてない、絶対に。
 だから俺は、腹を決めた。
 たとえコルトを苦しめることになろうとも……決して自分から彼を手放したりはしない、と。
 コルトがそれを望まない限り、俺は常に彼の傍らに在り、最も近い場所から彼を愛し続けてゆく。彼の苦しみを間近に感じながら、それを俺も一緒に背負ってゆく。彼と同じ苦しみを味わって、彼と共に人生を歩んでゆく。――そう、決めたのだ。
 いつか……お互いの傷が癒え、過去の悪夢も、幸せな記憶で上書き出来るようになる、そんな日がくることを祈って―――。


 次第に深くなってゆく口付けに、半ばうっとりと浸っていた俺は……やおら、服の隙間から差し入れられてきた手のぬくもりに気付き、思わずハッと覚醒する。
「――ちょ、おいコラ待て……!」
 咄嗟に、肌の上を滑り始めていたその手を、自分から引き剥がした。
「えーもっと触りたいー……」
 残念そうな素振りで可愛く唇を尖らせる、そんなコルトの表情に、ともすればデレッと緩んでしまいそうになる頬を引き締めつつ、あえて心を鬼にして彼を制する。
「こんな屋外で、何するつもりだよ」
「『何する』もなにも……ナニしよっか?」
 そう下品なセリフを、そんなにも愛らしい屈託の無い笑みで言われてもね……! ――思わずクラリと眩暈すら覚えるではないか。
「ああ、早く島に帰って君と繋がりたい。もう、夜までなんて待てないよ」
「…ダメだろ、今夜は」
 俺を抱きしめ本音らしきものをダダ漏らす、そんなコルトの腰のあたりに自分も両手を回すと、くすりと笑ってそれを返した。
「忘れてんなよ。今日は“先約”があるだろう?」
「…………そうだった」
 どこまでも不本意そうにチッと小さく舌打ちまでした、そんなセリフとタメ息を耳もとあたりで聞きながら、よしよしと子供をあやすように、彼の背を軽くぽんぽんと叩いてやる。
 そのうえで、あえて念を押すように、それを付け加えた。
「今夜はディーと、三人で川の字だからな」
 これは、何日も前から、かつ、『絶対ね!』とまで念を押されたうえで、ディーから約束させられたことだ。
 これまでも何度か『ニールと一緒に寝たい』と言われたことはあったが、夜は常にコルトと一緒だし、しかも、その話が出ると目に見えて彼の機嫌が悪くなることもあって、いつもやんわりと断っていた。
 しかし今回、『最後だから!』とまで言われ、加えて、今しも泣き出しそうな様子にまでなって、懇願されてしまったら……まあの一度くらいなら思い出作りをしてやるのもいいか、と思って承諾したのである。――当然ながらコルトの機嫌は、それを聞いた途端に即、ものっすごい勢いで急降下したけれども。
「今日で本当に最後なんだから、さ……その程度の可愛いおねだりくらい、快く叶えてやろう」
「わかってるよ」
「一日くらい、たまには何もしないで眠る日があってもいいよな……」
「――それは却下」
 言うや、ぐっと抱き締める手に力が籠もる。
 唐突に強く身体を引き寄せられたかと思えば、驚く間もなく、再び口付られる。――深く…そして、激しく。
 また更に、さきほど止めた筈の手が、再び隙間から肌の上へと侵入してきた。
「だから、コルトッ……!」
 やっとの思いで、攻め立ててくる唇から逃れ、肌を這い回る手を掴んで止める。
「こんな屋外で、こういう真似すんなよッ……!」
「だって、今夜はあの憎ったらしいクソガキと川の字、なんでしょ? このまま島に帰ったら、もう今日は、君とこういうこと出来ないじゃない」
「一日くらいいいだろ、しない日があっても!」
「だめです。それには承服しかねます。断固として拒否します。――君が僕の反対を押し切って、あのガキんちょの願いを叶えてあげるのなら……代わりに君が、僕の願いを叶えてくれないと」
 言いながら……言葉と共に空いていた方の手が動いて、俺の頬から首筋を伝い胸のあたりへと向かって、すすっと指で一本の線を撫でる。――ぞくりと、途端に鳥肌が立った。
 更なる快感を求めて粟立つ肌を、そして、疼く下半身をも、自覚しながら……それでも、なけなしの理性を振り絞って、彼を押しとどめようと努める。
「だからといって、こんな人目に付く場所で……!」
「人目、ねえ……」
 どこに? と、そうニヤリと笑ったコルトの言う通り、どこまでも閑散としている周囲に人影など全く無い。
「こ、これから誰か来るかもしれないだろ! それに、おまえ自分の母親の前で、そういうことする気かよ!」
 墓標を指し示し、他人の目以上に身内の目に晒されて事に及ぶ方が恥ずかしいだろう、と、言外に伝えたつもりだったのだが……アッサリ「大丈夫大丈夫」などと、軽く往なされてしまった。
「別に、そんなこと今更、お母さん気にしないよ」
「むしろ、おまえが気にしろよ!」
「ええ~そう言われても、困ったなあ……」
 頭を抱える俺とは対照的に、どこか不思議そうな表情で少し考え込むような素振りを見せたコルトだったが。
 次には「あ、そうか」と、やおらニッコリとした笑みを浮かべる。――それが、ロクでもないことを考え付いたイタズラっ子のそれにしか見えないのは、はたして俺の気の所為なのだろうか。
「つまりニールは、誰かに見られるかもしれない、ってことに、興奮しちゃうんだね?」
「しねえわ!! してたまるか!! そんなへき、ある筈も無いだろうが!!」
「なら別に、どこで事に及んだとしても問題ないよね?」
「あるっつの!! 問題ありありだっつの!! そういったことはだな、秘されるべきものであるからこそ“秘め事”と呼ぶのであって、それを衆目に触れる場で行うということは、公然と猥褻行為を行い著しく風紀を乱しているとも捉えられかねず、常識的に考えてそれは如何なものかという……!!」
「――ならニールは、『衆目に触れる場』でなければ、事に及ぶのも問題はない、と……?」
「だから最初から、そう言ってる……!!」
「じゃあ、試してみようか」
「は? 試す……?」
「そういえば来る時、目隠しにもなりそうな、良さげな繁みがあったんだ。そこでなら、事に及んだとしても、誰の目にも止まらないと思うよ」
「―――はあア!?」
「でも屋外である以上、誰かの目に留まる可能性も、全くのゼロじゃないよね。――そんな状況下で、ニールが普段以上に興奮するのかしないのか、試してみようじゃない?」
「あ…阿呆かテメエッ……!!」
 ――いずれにせよ、青姦まっしぐらじゃねえか……!
 そんな口車に乗ってたまるか、と、即座に掴んでいたコルトの手を振り払い、彼から距離を取ろうとしたのだが……こういう時に限って毎回、コルトの方が一枚上手なのだ。
 俺が動くよりも一拍早く、逆にこちらの手を取り、より強く引っぱり寄せてきたコルトが、「じゃあ行こうか」と、それこそ俺を引き摺るようにして歩き出す。
「おい、ちょっと待て、俺は絶対に、こんなところでなんか、しないからな……!!」
「あはっ、楽しみだなあ~♪ いつもと違う環境で羞恥のあまり興奮して早々にイッちゃうニールとか……うわあ、想像しただけで滾る。ヤバイ、もう鼻血でそう」
「少しは人の話を聞けよコノヤロウッッ……!!」
「大丈夫だよ、心配しないで。こんなこともあろうかと、ちゃんと先達せんだつの教えはいただいているから。屋外での注意事項も押さえているからね、そう無茶なことはしないから安心して」
「――ちなみに、その『先達』とやらは誰だ?」
「もちろん、マーヴさん」
「だから、なんでそう、誰彼問わずに教えを乞うんだオマエはーーーーーッッ……!!!!!」


 それから、抵抗も虚しく――イヤ最初からコルトに対して俺が抵抗らしい抵抗なんぞ出来る筈も無いんだけれども。
 とにもかくにも、そんなこんなで、易々と木々の繁みの中へと引きずり込まれてしまった俺は、当然ながら、やりたい放題のコルトによってアンアン鳴かされるハメとなってしまったのである。


 とりあえず、シュタイナー騎士には謝っておこう。――青姦ナメてましたゴメンナサイ。



しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

トイの青空

BL / 完結 24h.ポイント:177pt お気に入り:635

嫌われた王と愛された側室が逃げ出してから

BL / 完結 24h.ポイント:56pt お気に入り:219

愛され奴隷の幸福論

BL / 連載中 24h.ポイント:2,337pt お気に入り:1,941

【完結】夫と親友に裏切られた先に待つものは

BL / 完結 24h.ポイント:198pt お気に入り:1,383

運命の番を見つけることがわかっている婚約者に尽くした結果

恋愛 / 完結 24h.ポイント:9,102pt お気に入り:257

魔物のお嫁さん

BL / 完結 24h.ポイント:184pt お気に入り:750

処理中です...