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第5章 青龍
第39話 酒と口付け①
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「子琴、私が目覚めたことを陛下に伝えて欲しいの。どうしても渡したいものがあるから馨佳殿にもう一度だけ来て欲しいと、言付けしてくれないかしら」
陛下が私を突き放して後宮を出るように言ったことを知らない子琴は、少々驚いた顔をしながらも馨佳殿を出た。
誰もいなくなった房の中で、私は蔡妃様から受け取った睡眠薬が入った白い包みを開く。中に入っている薬草の粉末に軽く小指で触れ、そのまま自分の口に運んだ。
念のため手鏡で額の花鈿を確認するが、特に何の反応もない。
(――毒は、入ってないわね)
私は房の棚に置いてあった陛下の酒瓶を取り、卓の上に置いた。蓋を開け、白い包みを傾けてサラサラと薬を流し込む。
元々この酒には、よく眠れるように薬を入れてあると陛下が言っていた。その上更に薬を追加するのだ、きっとこれを飲めば一瞬で眠ってしまうだろう。
皇帝陛下に睡眠薬を盛るなど、発覚すれば間違いなく死罪になる行為だ。
(でも陛下、ごめんなさい。私が清翠殿に行くのを止められては困るから)
こうして『玲玉記』の中の世界に生まれ変わり、憧れていた皇帝・青永翔と皇后・鄭玉蘭が恋の駆け引きを繰り広げる舞台、後宮にやって来た。
二人に訪れる悲恋を阻止して、ハッピーエンドに導くために。
それなのに、いつの間にか私の目的は変わってしまっていたようだ。
幼い頃に最愛の母と引き離され、不遇な運命をたどった皇帝陛下。
毎晩のように陛下と共に過ごすうち、彼の心の奥に見え隠れする大きな傷の存在を垣間見た。母である楊淑妃様の無実を証明するために奔走しながらも、陛下はご自分のことはどうなってもいいと思っている。
まるで命を狙って下さいとばかりに毒見を拒否し、毒見を嫌っていることを隠すこともしない。
自暴自棄という言葉がぴったりの、悲しい生き方だ。
前世で『玲玉記』を読みながら、あまりの不憫さに何度も涙したけれど、本物の陛下に対して私が抱いた感情は、それとは全く別物だ。
不憫などという簡単な言葉を通り越して、陛下のことを愛しいと思い始めている。陛下が幸せであって欲しいと願っている。
陛下の幸せのためなら、命の危険を冒して呪術の張り巡らされた清翠殿に入ることを厭わない程に。
(陛下はやっと玉蘭様と会えたんだもの。今更陛下のことを好きになってしまったことに気付いたからと言って、私のやることは変わらない)
夕餉の準備が整い、侍女たちが皆いなくなった後、私は枕の下から蔡妃様の手紙を取り出した。卓の上にそれを置き、陛下の酒瓶をその横に並べる。
戸がカタリと音を立てた気がしてそちらを振り向くと、そこには顔を強張らせた陛下が立っていた。
「明凛、もう会わないと言っただろう。なぜ呼んだのだ」
「でも、来て下さったじゃないですか。大丈夫です。私は陛下の恋路の邪魔をするつもりは毛頭ありませんから」
無理矢理笑顔を作って立ち上がると、陛下は焦ったように私の手を取り、その場に座らせる。
「目覚めたばかりと聞いた。無理はするな。せっかく食事まで準備してもらったのに悪いが、食事も毒見も不要だ。渡したいものとはなんだ?」
「陛下。それを渡したらさっさと帰ってしまうでしょ? お食事くらい一緒に食べて下さい。記念すべき最後の毒見ということで」
「最後の……」
「私は後宮を出たら、こんな美味しい食事を食べることなんてなくなっちゃうんですよ。またあの嫌なお義姉様たちのいる黄家に戻らないといけませんから」
「……すまなかった。ここを出た後も明凛が嫌な思いをしないよう、商儀に色々と手配をさせている」
「分かってます。別にごねているわけではありませんから。私のやるべきことが済んだら、ちゃんと後宮を出て行きます」
ツンと顎を上げて拗ねた顔をし、私は努めて平然と見えるように振舞った。
そして目の前にあった酒瓶に手を伸ばし、両手で持ち上げる。
陛下が私を突き放して後宮を出るように言ったことを知らない子琴は、少々驚いた顔をしながらも馨佳殿を出た。
誰もいなくなった房の中で、私は蔡妃様から受け取った睡眠薬が入った白い包みを開く。中に入っている薬草の粉末に軽く小指で触れ、そのまま自分の口に運んだ。
念のため手鏡で額の花鈿を確認するが、特に何の反応もない。
(――毒は、入ってないわね)
私は房の棚に置いてあった陛下の酒瓶を取り、卓の上に置いた。蓋を開け、白い包みを傾けてサラサラと薬を流し込む。
元々この酒には、よく眠れるように薬を入れてあると陛下が言っていた。その上更に薬を追加するのだ、きっとこれを飲めば一瞬で眠ってしまうだろう。
皇帝陛下に睡眠薬を盛るなど、発覚すれば間違いなく死罪になる行為だ。
(でも陛下、ごめんなさい。私が清翠殿に行くのを止められては困るから)
こうして『玲玉記』の中の世界に生まれ変わり、憧れていた皇帝・青永翔と皇后・鄭玉蘭が恋の駆け引きを繰り広げる舞台、後宮にやって来た。
二人に訪れる悲恋を阻止して、ハッピーエンドに導くために。
それなのに、いつの間にか私の目的は変わってしまっていたようだ。
幼い頃に最愛の母と引き離され、不遇な運命をたどった皇帝陛下。
毎晩のように陛下と共に過ごすうち、彼の心の奥に見え隠れする大きな傷の存在を垣間見た。母である楊淑妃様の無実を証明するために奔走しながらも、陛下はご自分のことはどうなってもいいと思っている。
まるで命を狙って下さいとばかりに毒見を拒否し、毒見を嫌っていることを隠すこともしない。
自暴自棄という言葉がぴったりの、悲しい生き方だ。
前世で『玲玉記』を読みながら、あまりの不憫さに何度も涙したけれど、本物の陛下に対して私が抱いた感情は、それとは全く別物だ。
不憫などという簡単な言葉を通り越して、陛下のことを愛しいと思い始めている。陛下が幸せであって欲しいと願っている。
陛下の幸せのためなら、命の危険を冒して呪術の張り巡らされた清翠殿に入ることを厭わない程に。
(陛下はやっと玉蘭様と会えたんだもの。今更陛下のことを好きになってしまったことに気付いたからと言って、私のやることは変わらない)
夕餉の準備が整い、侍女たちが皆いなくなった後、私は枕の下から蔡妃様の手紙を取り出した。卓の上にそれを置き、陛下の酒瓶をその横に並べる。
戸がカタリと音を立てた気がしてそちらを振り向くと、そこには顔を強張らせた陛下が立っていた。
「明凛、もう会わないと言っただろう。なぜ呼んだのだ」
「でも、来て下さったじゃないですか。大丈夫です。私は陛下の恋路の邪魔をするつもりは毛頭ありませんから」
無理矢理笑顔を作って立ち上がると、陛下は焦ったように私の手を取り、その場に座らせる。
「目覚めたばかりと聞いた。無理はするな。せっかく食事まで準備してもらったのに悪いが、食事も毒見も不要だ。渡したいものとはなんだ?」
「陛下。それを渡したらさっさと帰ってしまうでしょ? お食事くらい一緒に食べて下さい。記念すべき最後の毒見ということで」
「最後の……」
「私は後宮を出たら、こんな美味しい食事を食べることなんてなくなっちゃうんですよ。またあの嫌なお義姉様たちのいる黄家に戻らないといけませんから」
「……すまなかった。ここを出た後も明凛が嫌な思いをしないよう、商儀に色々と手配をさせている」
「分かってます。別にごねているわけではありませんから。私のやるべきことが済んだら、ちゃんと後宮を出て行きます」
ツンと顎を上げて拗ねた顔をし、私は努めて平然と見えるように振舞った。
そして目の前にあった酒瓶に手を伸ばし、両手で持ち上げる。
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