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おさとうごさじ
1.
しおりを挟むここのところ、ひっきりなしに電話が鳴り続けている。
青木先輩が産休に入ってから三週間。二人体制でやってきたものを、一人で賄わなければならなくなってしまった。
もちろん青木先輩は一人でこの業務を回していたらしいし、できないはずがない。そうなのだけれど、それにしても異様なくらいにタスクがかさんできている。
「はい、佐藤です」
『佐藤さん、橘専務の再来週の予定を調整してほしいんですが』
「再来週ですね……。お待ちください」
すこし前まで開いていたシートを閉じて、スケジュールカレンダーを開く。
私がここまで忙しいなら、橘専務が忙しいのは必然だ。
お昼の時間以外のすべてが、びっしりと予定で埋まってしまっている。
夜も会合や会食でいっぱいだ。こんなにも忙しければ、交際相手を構っている暇もなかっただろう。
最近の私は専務が夜の会合に出ている間にどうにかタスクをやりこめている。
会合が終わる一時間前に切り上げて、急いで自宅に帰ってから、ご飯を食べてお風呂まで済ませてしまう。
かなりハードなスケジュールだけれど、遼雅さんの帰宅は私が予想するよりも2時間から3時間くらい遅くなることが多い。
異業種の交流会は一度会長と参加したことがあるからわかるけれど、ああいうものは、お酒好きな社長が多く集まるところだ。
橘専務は若くて見目もいいから、あちこちからお声がかかって、なかなか切り上げられないに違いない。
結局最近の遼雅さんの帰りは零時を過ぎることばかりだ。
この調子だとそのうち体調を崩してしまいそうだと思う。ぐっすり休んでほしい。
初めのうちは、遼雅さんがお風呂から上がるまでずっと起きて待っているようにしていたけれど、そうすると、遼雅さんは私を構おうとしてしまうことがよくわかった。
多忙な遼雅さんには家庭のことをしっかりやってくれる奥さんが必要だったと思うけれど、その一方で、この調子なら本人の休まる時間もないような気がする。
『柚葉さん、今日、いいですか?』
耳に残ってはずかしい。
まるで、そうしてほしくて待っていたみたいだ。
問われてしまうとどうやっても遼雅さんのペースになるから、夜はおかえりの挨拶だけをして、先にベッドに引っ込んでしまうことにしている。
幸いなことに私も疲れきっているからか、お布団に入るとすぐに意識を失ってしまう。一度も目覚めないのは、きっと遼雅さんがしっかりと私を抱きしめて眠ってくれるからなのだろう。
朝のスキンシップがすこし長くなるところは、ちょっと困っているけれど。
とくに昨晩のやり取りのせいからか、今朝はなかなか、大変な目に遭った。
昨日の遼雅さんはかなりお酒を飲まされたらしく、珍しく頬をうっすら赤くしていた。
玄関までお迎えに行けば、ふわりと笑った遼雅さんと目が合ってしまう。
「ゆずは」とやわい声で囁く遼雅さんが心配で肩を貸したのに、躊躇いなく胸の中に抱き込まれてしまった。
ぎゅっと胸に頬を擦らせて、アルコールの匂いにぴくりと身体が反応した。もしかすると、ものすごく酔っているのだろうか。
「ゆずはさん」
「りょ、うがさん、大丈夫ですか?」
「ううん、だめかも」
「えっ、それはたいへんです。お水を……」
「最近、奥さんがつれなくて……、まだ新婚なのに」
「きゃ、わ、わたしですか?」
潰れてしまいそうなくらいに抱きしめられて、息を逃がすように顔をあげる。そのさきで、まっすぐに私を見つめている瞳と視線が絡んでしまった。
「あ、」
「ゆず」
遼雅さんに呼ばれる名前の変化には、一貫性がないように感じていた。
最近になって、ゆず、と呼ばれるとき、いつも遼雅さんのひまわりのようなうつくしい瞳の模様が、ぎらぎらと輝いていることに気づいてしまった。
いつも姉や両親に呼ばれていたような、あまい声なんかじゃない。
「ゆず」
「っん、ぁ」
もっとあつい。
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