薄明の契り ―私を喰らう麗しき鬼―

藤川巴/智江千佳子

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 夢に出る男が、あの神主と瓜二つの顔立ちであることに気付いたのは、果たしていつのことだっただろうか。

 そのことを深く思考するたび、頭の奥に靄がかかるような奇妙な感覚に陥る。まるで、正体を掴んではならない何者かの秘密を暴こうとしているかのような、恐ろしい感覚だ。

 知ろうとすればするほど、逆に手招きされているような気さえする。

「……あ、れ?」

 村を出て街へ物売りに行く日は、いつも疲れ切ってぐっすりと眠りに落ちてしまう。そのはずが、どうしてかこのような夜半に目が覚めてしまった。

 ゆっくりと瞼を開いても、視界の先には何も見えない。まるで新月の夜のような暗がりだ。そう、気付いて、無意識に身体が震えた。

 静寂に包まれた一室では、己の心音も、呼吸の音も、すべてが筒抜けになる。気付かれてしまったら、逃げ出すことはできないだろう――と、そこまで考えて、息を飲んだ。

 私はいったい、何から逃げ出そうとしている?

 何かを考えようとすると、暗い霧の中に放り出されるような息苦しさに見舞われる。

 必死で殺していた息も、喘ぐように息継ぎを繰り返すことで、逆に己の存在を強く示しているようなものになってしまった。

 どうにかやり過ごさなくては。気だけが急いて、しきりに視線を動かしている。

 肢体に枷がつけられているかのように身体が重たい。逃げようと思えば思うほどにその重量は増して、ついには指先一つ自由に動かせなくなった。

 心臓が張り裂けそうなほどにうるさく鼓動している。どうにか落ち着かせようと生唾を飲み込んだそのとき、何の前触れもなく、湿った何かが耳殻に触れた。

「……ぁっ!?」

 熱を持った何かが、耳元を這っている。

 それはねろりと耳朶を嬲って、鼓膜に湿った吐息を吹き込んだ。ぴちゃぴちゃと淫猥な音が直接耳元に吹き込まれ、背筋が粟立つ。


 何者かに、耳を犯されている。

 うまく回らない頭で気付いた時には、すでにその者は、無遠慮に着物の袷に手をのばしていた。

「……っ、ぁ」

 必死に拒絶しようにも、指先が動かない。かろうじて第一関節を震わせているうちに、その者は器用に私の小袖の袷を乱して乳房に触れた。

 身体がじっとりと汗ばんでいる。これほど寒い夜に、なぜ自分が汗をかいているのか、理解ができない。混乱しているうちに、煎餅布団に横になっていたはずの身体がいつの間に起こされ、しっかりと後ろから支えられていた。まるで幼い子どもを抱き抱えるような体勢だ。

 鉛のように動かない私の身体をやすやすと後ろから抱き抱える男は、私の動揺など気にも留めずに、汗ばんだふくらみをやわやわと揉んだ。

 乳房を他人に触られるという未知の体験に目を回しているうちに、男は躊躇いなくふくらみの中心にある頂を爪先で弾いた。

「ぅ……っ!?」

 途端、得も言われぬ衝撃が背筋を駆け抜ける。私の身体がぴくぴくと反応するのが面白いのか、男は熱心に耳を舌で嬲りながら、執拗に乳房に触れた。

「ぅ、……ふ、……っゃ」

 唇から零れ落ちる声が、己の物とは思えない。恥じて唇を噛むと、私の腰に回っていた手が咎めるように唇に触れて、無遠慮に指先を押し入れた。

「……っや、ぁ……!」

 無体を働く男の手を舐めさせられている気色悪さに、反射的に声が出た。しかし、身体はやはり少しも動かすことができない。

「……ん、……ぅ、っ」

 ただされるがまま口内を犯され、訳もわからず、時折猫のような声をあげてしまう私の姿を見て、耳を舐めしゃぶっていた男が、喉を鳴らして笑った。

「嘘はよくない」

 腹に響くような低音の声が、おかしそうに囁く。その瞬間、じゅくりと腹の奥におかしな熱が生まれた。

 男は鉛のように動かない私の左手を掴み上げて手のひらに唇を触れさせ、咎めるように強く口吸いした。

「っ、ぁ」

 これはなんだ。得体の知れない熱は、私の口内を犯した男の手が乱れた着物の上から私の腹に触れると、ますます過熱する。

 それがひどく淫猥なことである気がして、必死に首を横に振った。

「ち、が……」

 震える唇で呟くと、男はまたしても喉を鳴らして笑った。

 身悶えながらも懸命に拒絶しようとしている身体は、しかし、男の前ではあまりにも無力だ。恋人をからかうように首筋に接吻することを繰り返していた男が、私の精いっぱいの抵抗をものともせずに着物をはぎ取って、直に私の腿に触れた。

 白檀の香りがする。

 いまさらながらそのことに気付いた。くらくらと眩暈のような酩酊感に襲われ、男の手が徐々に誰にも触れさせたことがない秘すべき所に近づいていても、何一つ頭が回らない。

 何か、大切なことを忘れている気がする。この匂いも、声も、覚えがある気がしてならない。

 熱い。暑苦しい。

「なあ、君」

 私の耳元に囁いた男は、私の返事を待つことなく片手で私の顎を掴み寄せ、予告なく私の口を吸った。

 何の脈絡もない行為に気を取られているうちに、あっけなくもう一方の手が秘所に触れる。

「……っ、ん、ぅ……んん~~っ!」

 ぐちゅり、と粘ついた音を立てて秘所を弄られた途端、視界にちかちかと火花が散った。

 なぜ、自分の身体から、このようなはしたない音が出てくるのかわからない。とてつもなく恥ずかしいことなのだということだけが想像できてしまう。

 絶望に浸る私を抱く男は、私の心情とは裏腹に、やはり喉の奥でせせら笑っていた。

「ほら。嘘はいけないだろう?」

 その声はまるで、粗相をした幼子を諭す大人のようで――しかし、隠しきれない愉悦を孕んでいた。

 目の前で、金色の瞳が光る。男は世にも麗しい顔で笑っていた。この顔は知っている。この声も、聞き覚えがある。なぜ、なぜ、なぜここにいる。

『ああ、ようやく捕まえた』

 夢の中で聞いた言葉と同じ言葉を耳元に囁かれた瞬間、ぷつん、と頭の奥で、何かが千切れる音を聞いた。

「いやっ……!!」

 男の身体から抜け出そうと捩った身体は、畳に投げ出され、頭を強かに打った。それさえも無視して荒れた呼吸を繰り返しつつ、すぐに起き上がって周囲を見渡す。

 何の変哲もない、昨日と変わりない自室だ。襖の隙間から光が漏れている。

 白檀の香りなどない。冷え切った冬の部屋だ。乾ききった空気は、よく知るこの村特有のものだ。決して汗ばむような気候ではない。

「……朝?」

 じっとりと濡れた身体以外は、何一つ普段と変わらない朝だ。

 昨日は街へ降りて、毛皮を売った。私はあとほんの少しで十九になる。

 育ての親は二年前に死んで、それから私は、ずっとこの家に一人で住んでいる。ぼろ切れた麻布あさぬののような私に対して、あのような無体を働く人間がいるだろうか。そのはずがない。

 すべては嫌な夢だった。そう、結論付けて、身体から力が抜ける。

 やはり疲れが取れていないのかもしれない。今日はもっとしっかりご飯を食べて、ゆっくりと眠るべきだ。そうすればおかしなことは起こらなくなるはずだ。

 そう、信じて、立ち上がった。

「着替えて顔を……」

 ぽつりと独り言ちながら寝乱れた着物を正そうと手を伸ばして、はたと気づいた。

 右手の手のひらに、見覚えのない傷がある。

 しばらく呆然とその鬱血痕を見下ろし、やがて、うるさく喚く心音を無視しながら、恐る恐るその手を己の股へと伸ばした。

 そんなことが、あるはずがない。あれは、ただの夢のはずだ。

 そう、願いながら触れたその場所は、たしかに、夢に見たその時と同じようにぐっしょりと濡れていた。
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