薄明の契り ―私を喰らう麗しき鬼―

藤川巴/智江千佳子

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 日を増すごとに、悪夢を見る頻度が上がっている。新月の夜にしか見なかった男が、週に一度、三日に一度、二日に一度と現れる数を増やし、今では毎晩夢枕に立つ。しかもその夢は、私の願いとは裏腹に段々と克明になっていく。

 白檀の香りはすでに、夢に突き落とされたその瞬間から色濃く匂い立つようになっていた。男の声はいやに耳元にこびり付き、寝ても覚めてもどこかで囁かれているような気がする。

 親密な相手に睦言を告げるように耳元に囁かれる言葉は、その時に耳朶に触れる湿った吐息と共に私の記憶に留まり、私の意識とは関係なく、不意打ちで思い出されるのだ。

「なあ、君」

 むずかる幼子をあやすような、恋人を甘やかすような声音に囁き落される。

 この記憶のすべてが私の身体におかしな熱を生むのだ。

 肌を這う男の武骨な指先の熱が、一向に消えてくれない。恐ろしい夢を見ているはずが、身体が妙に疼いてたまらないのだ。

 これが、己の性的な欲求が見せる夢であるということに気付いてからは、なおのこと気色悪さに口を噤んでいる。いったい、このような奇怪でみだりがましい現象をどのように説明すればいいのだろうか。

 これを打ち明けることができるような相手はどこにもいない。そもそも他には見られぬような気色の悪い瞳を持つ私は、村の人間からよく思われていないのだ。おじさまが戻らなくなってからはますますその傾向にある。声をかけることのできる相手と言えば、旦那様とヤエくらいのものだが――。

「上の空だなあ。俺を差し置いて、いったい何を考えているんだ?」

 極めて愉快そうな声色で私の耳元に囁いた男が、いつの間に私の肩を掴んでいた。驚嘆の言葉を吐く間もなく振り返り、美しく微笑む男の顔を見上げる。


 近頃のこの男は、実によく笑っている。

 ほんの少し前までは、いつも吹雪の中、能面のようにのっぺりとした表情ばかりを作っていたはずの男が、次第に人間のように笑い、冗談を囁き、恋人のように振る舞って私の肌を暴こうとするようになってきている。

 黄金色の瞳は、今日も金塊のように妖しく輝いていた。

 なぜ、ここにいるのだろうか。

 少し前まで――、ほんの少し前まで、ヤエの着物を整理していたはずだった。唖然としながら慌てて周囲を見渡す。そこは私の記憶にあるヤエの私室とは違い、上等な絹布団が一揃い敷かれているだけの異質な場所だった。

 思わず唇から声が零れ落ちかけて、慌てて噤む。

 また、またこの夢だ。まだ昼餉を食べてから半刻も経っていなかったはずなのに、どうしてか私は、寝入ってしまったようだ。


 この夢をはじめに見た日はほとんど何も見えなかった視界も、今では極めて明瞭になっている。

 日を追うごとに、目の前に重ねられていた和紙が一枚ずつ剥がれ落ちていくかのように、徐々に男の顔が見えるようになり、そのうちに周囲の様相もはっきりと見えるようになった。

 この場所はいつも闇夜に美しい花々が咲き乱れている。百花繚乱と呼ぶにふさわしいそれらは、私と男鬼が立つ一室の四方を囲うように咲き乱れており、どのようにしてこの世界に私たちが足を踏み入れたのか、予測することもできない。

 絹布団には、咲き乱れた花々の花弁がぱらぱらと敷かれており、まるで主の寝床に彩りを添えているかのようだ。

 男は機嫌よく私の耳元に囁きかけているが、私はうまく言葉を紡ぐこともできない。拒絶の言葉を口にしようとするたび、声帯がぎゅうと何かに押しつぶされるような閉塞感が襲ってくるのだ。

 いやだ。やめてほしい。

 そう、口にしようと逆らうたびに、ぱちん、と藤の実が弾けるような音が頭に響いて、夢の状態が悪化する。

「っ、……や」

 そのことを理解しているはずが、男の手が着物の袷から胸元に侵入しようとしているのを感じ、思わず引き攣れた声を上げてしまった。

 予想通り、ぱちん、と耳元で破裂音が聞こえた次の瞬間、一度視界が暗転し、すぐに明瞭になる。

「ん、……っ! んん、ぁっ、ぁああっ……!」

 わざとらしく粘液を啜る音を耳に聞く間もなく、呆気なく身体が制御を失った。予想だにしない刺激に、ただはくはくと息を震わせている。

 これは嫌いだ。一番見たくない夢を見せられている。少し前まできっちりと着こんでいた小袖はいつの間に脱がされ、すべてが曝け出されていた。

 どうにか逃れようと身体を捩っても、がっちりと腿を掴まれた体勢では、ほとんど意味をなさないことを知っている。男は私の股の間に頭を寄せて、熱心にその泥濘から零れ落ちる粘液を舐めしゃぶっているのだ。

 艶やかな黒髪が、美しい模様が描かれた行燈からこぼれ出る光に照らされている。男は震える指先でどうにか男の頭を押し返そうとする私をちらと見上げ、世にも美しい瞳で笑った。

「は、……ぁああっ……!」

 私の抵抗がよほど面白いのか、反応を見るようにこちらを見据えたまま、じゅる、とはしたなく音を立てて陰部を啜る。その途端、全身に痺れのような衝撃が走り、足の爪先は空を引っ掻くようにぴくぴくと痙攣した。

「君は才能があるなあ。すぐに達してしまう」

 けらけらとおかしそうに笑う男は、涙に濡れる私の頬を撫でて、自身の帯を解いた。


 少し前に見た夢では、この場面でどうにか目を覚ますことができた。今日も、目覚めることができるはずだ。そう、頭の中で何度も言葉を繰り返している。

 目を覚ませ。早く、早く。はやく。これは夢だ。

 それでなければ、この男が、私を手籠めにせんとするはずもない。

 ずっとこの夢を見るのが恐ろしかった。こうして淫猥な形になってしまう前からずっと、恐ろしく思っていた。

「なあ、君」

 なぜ、貴方のような、神に仕える男が、鬼の姿となって私の夢に降りるのだろうか。

 鬼は私の内心の疑問になど答えることもなく私の顔を覗き込み、しっとりと汗ばんだ私の首筋の皮膚を柔らかく撫でて顔を寄せた。そして、その皮膚に私の許しを得ることもなく勝手に接吻してくる。

 手のひらを吸われた時と同じ、微弱な痛みが皮膚に残された。再び顔を上げた男は、その箇所を柔らかく撫でながら囁く。

「随分といい顔をするなあ。そんなに俺が欲しいのかい」

 腹に響く声でうっとりと囁かれた瞬間、私の秘所に触れたことのない熱がぴたりと寄せられた。

 ――それだけは、どうしてもだめだ。許しがたいことだ。

 そう思うのに、上から私を見下ろす神主は、至極楽しそうに笑っていた。

『君は嘘が下手だな』


 ◇

「――よ、千代!」
「っ、あ……!?」
「ちょっと、何で人の部屋で寝てるの!」

 強く肩を叩かれる衝撃で、はっきりと意識が覚醒する。

 目の前には眉を吊り上げたヤエが立っていた。私のことを覗き込んでいる。怪訝そうな顔つきを見て、慌てて立ち上がった。

 ヤエの着物の整理を頼まれていたのに、途中にぷつりと眠りに落ちてしまったのだ。しかし、いったい自分がどのようにしてこの部屋で眠ってしまったのかがわからない。近頃は確かに夢見の悪さのせいで寝不足気味ではあるが、決して旦那様の屋敷で寝入ってしまうほどではなかったはずだ。

「ごめん、少し……眠ってしまったみたい」
「見ればわかるけど」

 刺々しい指摘に弁明することもできず、ただ頭を下げる。ここで機嫌を損ねてしまったら、私は働き口を失ってしまう。それだけでなく、ただ一人、声をかけてくれている友人さえもなくしてしまうのだ。

「で、頼んでた仕事は終わったの?」
「ごめん、今から……」
「じゃあ急いで。明日は忙しいんだから。わかるでしょ?」

 ヤエは元服の儀が近づくにつれて、少しずつ機嫌を損ねる頻度が上がってきている。詳細は知らないが、神主の反応がよくないのかもしれない。

 明日は一日暇を出す代わりに、絶対に家を出るなと言い聞かせられていた。


 神主によく似た男が怪しげな夢に出てくる。だから、ヤエも極力あの男には近づかぬほうがいい。

 そう、忠告したほうがいいだろうかと考えあぐねている。しかし、顔色を窺うように視線を上げると、ヤエは私の瞳を見て、一層不快そうに顔を顰めた。

「何よ?」
「あ……、ううん。すぐに終わらせるね」

 余計なことを口にするべきではない。これは、私の身体が欲求不満であるからこそ、見ている夢なのかもしれない。なんせ、夢に出る神主は、やはり浮世の物とは思えぬほどに麗しい。

「それならいいけど。私、出かけてくるから」
「うん。わかりました」

 怪訝そうな顔をしつつ、ヤエはわずかに機嫌を直して部屋を出ていく。開け放たれた障子を呆然と見つめ、安堵の息を吐いた。

 ヤエのおかげで、目を覚ますことができた。あの夢の先に進んでいたら、自分がどうなってしまっていたのかわからない。

 体中にまとわりつく熱を隠すようにヤエの部屋を片付け、ふと顔を上げた。

 ヤエの部屋には姿見が置かれている。私が鏡という存在に触れられるのは、この瞬間だけだ。

 鏡に映っているのは、色褪せた小袖に腰布をつけているだけのみすぼらしい女だ。しかしその顔色は、私の想像とは違って、怯えの表情など浮かべていない。

『君は嘘が下手だな』

 姿見に映る己は、神主への思いを語るヤエと、まったく同じ顔をしていた。
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