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しおりを挟む一睡もせずに朝を迎え、覚悟を決めた。
姿を少しでも雪に隠すために、おじさまが遺していった白地に小花が描かれた小袖を着て、胸元に櫛を忍ばせる。この二つは別れの前におじさまに買い与えられたものではあるが、彼が戻らぬ人となってからは大切に箪笥にしまい込んでいた。
万が一、この村から離れることがあれば、この着物と櫛だけは持ち出そうと決めていた。
誰にも見つからぬようにと、足音を立てずに村長の屋敷への道を歩く。
ヤエからは今日は一日中家にいるようにと言われていたが、事態は一刻を争うだろう。
あの神主は、やはり人間ではない。悪鬼だ。
人の精気を喰らって生き永らえているに違いない。だから元服の儀式に私とヤエを呼び込もうとしているのではないだろうか。そう考えれば、辻褄が合う。ヤエも、もしかしたらあの夢を見ているのかもしれない。
夜通し考えて出した答えは、ヤエと旦那様に真実を話すことだった。
ヤエは村で唯一私と話をしてくれる友人だ。ヤエの父親には返しきれない恩もある。決して、悪鬼などに奪われてはならない人たちだ。その一心で恐怖に震える足で雪を踏みしめ、屋敷の前に立った。
声をかけながら屋敷に入り、旦那様の私室へ行くべきか、それとも先にヤエに会うべきかをしばらく悩み、やがて足音を忍ばせて二階へと上がる。
ヤエの部屋は二階の最奥の一室だ。忙しなく歩き、ヤエの部屋の障子の前で止まった。静かにその場に座り、声をかける。
「ヤエちゃん、今少しいい?」
昨晩から、動悸が激しくて眩暈がしそうだ。落ち着かせようと唾を飲み込んで努めて平静な声色を出したつもりが、実際は少し上ずってしまった。私の問いかけに、部屋の中で何者かが動く音がする。
「……千代?」
「うん、そう。早い時間にごめ……」
「どうしてここにいるの?」
ヤエは障子を開くこともなく、私の謝罪を遮る勢いで問いかけてくる。あまりの勢いに、わずかに息をのんだ。
ヤエの声は、私が突然現れたことを不思議に思って問いかけている声というよりも、明らかに咎める意図を持った声色に聞こえたのだ。
「え、ええと、……どうしても伝えたいことがあって」
「今日は家から出ないでと言ったわよね?」
「うん、だけどそのことで……」
そのことで話がしたい、と最後まで口にするよりも先に、音を立てて障子が開かれた。
障子の前に座り込む私を見下ろしているのは、やはりヤエだった。しかしその顔は、明らかに私を歓迎していない。まるで花嫁の白無垢のような純白の着物に身を包んだヤエは、ぎろりと私の姿を一瞥し、あからさまに眉を寄せた。あまりの気迫に、機嫌が悪いようだと気付いても言葉を紡ぐことができない。
「何、その着物は?」
「え? ああ、これは、おじさまが」
「みすぼらしいったらない。いつものに着替えて、それは捨てなさいよ」
吐き捨てるような言葉だ。あまりの物言いに、後頭部を鈍器で殴られるような衝撃に襲われた。
これは、おじさまが遺していった形見のようなものだ。私の姿がみすぼらしいことは知っているが、それでもこの着物は、おじさまが私のために用意してくれたものだった。
その着物をヤエは一目見て、みすぼらしいから捨てろと言った。
「ここで脱いで」
「え、……でも、これは」
「いいから私の言う通りにしなさいよ!」
耳を劈くような叫び声に、びくりと肩が震える。機嫌を損ねてしまったのだ。ヤエは機嫌を悪くすると旦那様と同じく、手を上げることがある。
無意識に怯えて身体を抱きしめると、ヤエはますます目を吊り上げて叫ぶように言った。
「あんた、誰のおかげでここにいられると思ってんの?」
「ヤエちゃん、ごめんなさい、違うの……」
「はあ? 何が違うのよ? あんたみたいな愚鈍な女、話し相手になってあげてるだけでも感謝してほしいくらいなのに、何? 私言ったわよね? 今日は家から出るなって」
「お願い、聞いて……、どうしても伝えたいことがあったの。それをわかってくれたら、今すぐにでも家に帰るから。だから」
「儀式にはやっぱり私が行くとでも言うわけ?」
「え?」
言っている意味が分からない。思わず呆然とヤエの顔を見上げた。
ヤエは私の表情を見て、激しく唇をひん曲げている。殺気立った恐ろしい表情に、意味もわからず小刻みに首を横に振った。
「ち、がうの、あの人は……、あの人は人間じゃない、きっと、何か恐ろしい生き物なの。だから、会わないほうがいいと言いたくて」
「そうやって言えば、あんただけがあのお方と過ごせると思ってるんだ」
ヤエはせせら笑うような声色で言った。否定する間もなく、間髪を入れずに言葉が続けられる。
「それでその着物なわけ? 儀式に使えるような装束を持ってたなんて知らなかった。すっかり騙されていたわけね。……人間じゃない、何か恐ろしい生き物ですって? はっ、笑わせる。あんた、愚鈍なだけじゃなく、言い訳も最悪ね。喋ってるだけでこんなに人様を苛立たせられる人間がいるとは思いもしなかった」
「ヤエちゃ、……」
「呼ばないで、気分が悪い」
ぴしゃりと吐き捨てられ、息が止まった。まるで穢れを見るような目で私を見下ろすヤエが無遠慮に私の腕を掴み上げた。
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