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「痛っ……!」
「脱ぎなさいよ」

 腕を掴み上げたヤエは、そのまま私の身体を部屋へと投げ飛ばして私の着物の袷へと手を伸ばした。わけもわからずその手を振り払おうとすると、ヤエは鬼のように表情を歪めて私の頬を打った。一瞬怯んだ隙に、私の身体に馬乗りになって乱暴に袷を開く。

「……何、これ」

 私の着物を乱したヤエが、零れ落ちそうなほど目を見開いている。こめかみには、くっきりと血管が浮かび上がっていた。

 悪鬼のような恐ろしい表情に、言葉が出てこなくなる。 

 ただ、あの神主は危険だと伝えたかっただけだ。知らぬ間に視界がぼんやりと潤み始めている。泣き出しそうなのだと自覚するよりも先に、私の瞳を見たヤエが怒鳴るように声を張り上げた。

「これは何!?」
「な、んの、ことを」

 震える声で絞り出した言葉に、ヤエはますます怒りを示して私の首筋に爪を立てた。

 ふいにその首筋を、昨日神主にも見られていたことを思い出す。そのうちに、夢に出たあの男が私の首筋に口吸いしていたことを思い出し、無意識のうちに手のひらで隠そうとしてしまった。

 自身の行動が、ヤエの勘違いを助長するものであったことに気付いても、もう遅い。

「――この、糞尻軽女!」

 違う、とつぶやいたはずの唇は、ただ吐息を漏らすだけだ。血走った目を見開くヤエが、両手で私の首を掴んだ。強い圧迫感に、息が続かなくなる。

「あんた本当に邪魔! どんな手を使って誘惑したわけ? あんたの歳のことなんてあのお方が知ってるはずもないのに! なんであのお方があんたのことを知ってるわけ? なんであんたのことばかり……! 憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い!」
「っ、ぅ、……ぁ……」

 意識が遠くなりかけている。抵抗を続けていた手も、力が入らない。やがて両腕が力を失い、ぼとりと畳の上に落ちた。

 呪詛のような言葉を吐き続けるヤエをぼんやりと見上げながら、ただ茫然と死を意識する。その時、指先に何かが触れた。

 おじさまがくれた櫛だ。そう意識するよりも先に、勝手に身体が動いていた。

「っぐあ……!」

 痺れ切った指先で櫛を掴んだ手は、躊躇いなくヤエの顔にそれを突き出していた。

 彼女の鼻筋にぶつかった櫛は、顔の表面こそ傷つけなかったようだが、ヤエの手が私の首から離れた。途端に全身に空気が巡り、咳き込みながら身体を起こす。

 首を絞められている間、無意識に決死の抵抗をしていたのだろう。部屋は置物が倒れ、乱れきっていた。部屋の中心で蹲るヤエは、やがて鼻筋を手で押さえつつ、私を見上げた。

 顔を上げたヤエの手から、鮮血が零れ落ちている。その血は美しい白無垢を彩るように赤く穢していった。怪我をさせてしまったのだと気づいたときには、すでにすべてが最悪の方向に向かっていた。

「あ……、ヤエちゃ」
「――何の騒ぎだ」

 一方では首筋に痣を作り、着物を乱された下女、もう一方では、鼻から血を流す娘。騒ぎを聞いて駆け付けた旦那様がどちらを気遣うかなど、火を見るよりも明らかだ。

 それなのに、なぜ私は、無駄な期待をしてしまったのだろう。

「これは、……違うんです。旦那様、これにはわけが」

 いまだうまく機能していない声帯を震わせて必死に訴えた。思い違いがあるだけだ。ヤエを思ってしただけのことだった。

 この首筋にあるだろう鬱血も、やましいことがあるわけではない。ただ、この村に潜む怪しい者の存在を打ち明けようとしていただけだった。

 すべてが言葉になる前に、砕けて消えた。

 旦那様は私の目の前に立って、言葉なく私の頬を打った。

 その事実に気付くまで、若干の時間が必要だった。やや暫く経ってようやく頬を打たれたのだと気付く頃には、口内に鉄の味が広がっている。

 ヤエの張り手など可愛らしいものだと思えるほどの衝撃で、身体は再び畳に倒れこんでいた。頬にい草が擦れる。私のみじめな姿を、ヤエはただじっと見下ろしていた。

「お前の育ての親の頼みの通り、私たちはお前をこの村で受け入れてやった」

 決して、快く迎え入れてくれていたわけではないという事実を、どうして私はもっと早くに受け入れられなかったのだろう。村長の目には、ただ冷たい蔑みの色だけが見えた。

「出ていけ。……今すぐに」

 簡潔に命じられた言葉に、何と答えるべきだったのだろうか。すがるように視線を寄こしても、ヤエは異議を唱えようとはせず、ゆるりと微笑んだように見えた。

 あっさりと踵を返して去っていく旦那様の後ろにヤエが続く。

「ヤエ、」
「さっさと地獄に落ちろ」

 心底疎まれているということに気付くのが、あまりにも遅かったのだ。
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