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 うっとりと御伽噺を語る乙女のように囁かれ、瞬時に現世での惨劇が思い出される。わかりやすく血の気が引いた顔をする私を見上げた狐は、あたふたと慌てながら口を開き直した。

「千代様、ご安心くだされ。あの不届き者の下等生物は、私めでも処分できますゆえ。人間の肉などさして旨くもありませんが、千代様の憂いを払うためでしたら、私めが――」
「そ、んなこと、……そんなこと、しないで」
「むう!? で、ですが千代様、あれらは……」
「元に、戻し、てください。すぐに、今すぐに」
「千代様!? 落ち着いてくだされ、何が……」
「お、願いです……。どうか、どうか……全部、全部元に戻し、て」

 あの村で起きたことがすべて私のせいであることが知れたら、おじさまが眠る祠はどうなってしまうのだろう。間違いなく壊されてしまうに決まっている。それだけは、どうしても許しがたい。

「現世に帰してください、お願い。……お願いします。どうか」
「お待ちくだされ、千代様! 旦那様は千代様の安寧のため、このようにしておられるのです!」

 そうだとしても、いずれ私を食らう気でいるのだ。

 現状の何が安寧だと言うのだろう。住み慣れた世界から引き離され、世話をしてくれていた者たちを痛めつけ、おじさまの側で死ぬことも叶わない。


 死ぬことは、恐ろしくなかった。

 この二年間、おじさまがいなくなってしまってからの日々はいつもどこかで死を望んでいた。孤独は嫌だ。すぐにでも黄泉の国へ行って、おじさまと二人で暮らす細やかな幸せを、もう一度手に入れたかった。

 だが、痛いのも嫌だ。鬼に喰らわれるなど、想像もしたくない。そのうえ、食われることで魂を鬼と共存させるというのが真のことなのであれば、私はもう一生おじさまに出会うことができなくなるかもしれない。

 おじさまの魂を祀っているあの祠は今、どのようになっているのだろうか。

 あの村の者たちは、私のことをさぞ恨んでいることだろう。そのうえ村があのような災厄に襲われたと他に知れれば、あの北山に入ろうとする者もいなくなる。そうなればおじさまは誰に供養されることもなく、ただ一人、あの場を彷徨うことになるのかもしれない。

 あのような寒々しいところに、おじさまを一人にはできない。おじさまと引き離されたまま死に至ることだけは、どうしても耐えがたい。

「千代様、どうか気をお沈めください。ぬうう! 幽玄の世こそが、貴女様の安寧の地なのです!」
「約束なんて、していません。私ではないはずです。ですから……、どうか」
「ぬうう! おやめくだされ! 頭を上げてくださいませ! 千代様、ええ、わかりました! 私めが責任をもってあやつらの呪いを解いてまいります! ですから頭をお上げください」
「……私を帰してください、お願いします」

 その願いだけは、どれだけ頭を下げても狐仙に許されることがなかった。

 ◇

 紫苑と呼ばれる鬼が私の記憶にある神主で間違いないということは、日に何度も障子の外から話しかけてくる狐仙の語りを聞くうちにすぐにわかった。

 この屋敷は幽玄の世と呼ばれる、幽世の中でも特に神域に近い世に存在し、現世とは全く異なるところにある。しかし、あくまでも現世と異なる世界というだけで、幽玄の世が死後の世界であるわけではない。

 人間の死後の世界とは黄泉の国という、幽世の中でも最下部に位置している国であり、今私が存在している幽玄の世を神域とするならば、黄泉の国は死した魑魅魍魎が住まう場所なのだという。

 ゆえに、幽玄の世に生きる者は黄泉を忌み嫌って、幽玄の世と黄泉の国を繋ぐ橋を壊してしまった。

 それ以降、紫苑や狐仙のような幽玄の世の住民たちは、死してもなお黄泉には行かず、この美しい幽玄の世に留まるのだという。――つまりこの場所で死ねば、私はもう二度とおじさまとは再会できなくなる。

 あの夢に出てくる世界と同じように、この屋敷ではつねに四季の花々が狂い咲いており、耳を傾けるとひそひそと噂話を囁き合っているのが聞こえてくる。

 障子を開くだけで、私のいるべき世界ではないことが分かるこの屋敷では、どうにも生きた心地がしなかった。

 私が幽閉されているのはこの屋敷の離のようで、紫苑と呼ばれるあの鬼はここへは寄りつかず、本殿で暮らしている。

 狐仙曰く、鬼というのは幽玄の世における最も貴い身分の種族らしく、さらにその頂点に立つ王家の血が流れる紫苑は、この世の支配者と言っても過言ではないようだ。しかし紫苑は王位につくことなく、王権を撤廃し、鬼同士の話し合いで政を行っている。

「旦那様はお人柄もすばらしく、才あるお方なのです!」

 そのような高貴な鬼がなぜ、私などの肉を食らおうとしているのか。わざわざ現世から引き離し、このような異質な世に連れ帰るわけもわからない。

「旦那様は千代さまの安寧を思って、こうしておられるのです!」
「でも結局私を食べるんでしょ?」
「それは……!! ぐぬぬ、そうなのですが、ぬぬ……」

 狐仙は旦那様より優しい方はいないと豪語しているが、私にはどうにもそのようには思えない。

 私の願うことはただ一つ、現世に帰り、おじさまの墓を守りながら暮らすことだ。そしておじさまの近くで死に、黄泉の国でまた二人で暮らすこと。

 幽玄の世に連れられて意識を取り戻してから朝と夜を三度繰り返したが、狐仙に話しかけられてもほとんど応答せず、豪華な御膳を差し出されても一切口を付けなかった。

 二日経って、ようやくこの恐ろしい世界から逃げ出す気力が出た。思い立ったが吉日と外へ出て逃げようともしてみたが、どの道順で歩いても、どうしてか宛がわれた一室にたどり着くだけで別の場所へ行くことはできない。

 結局逃げ出すことを考えていられたのはほんの数時間だけで、次の昼に狐仙が来る頃には、ただ空虚に格天井を見上げていた。


 三日間何も口にしていないはずがどうにも食欲がわかず、豪華な膳を見ても手が動かない。

 毎晩、いつあの鬼が訪れるのか不安に思いながらうつらうつらと浅い眠りを繰り返している。しかしそのせいか、ここに連れられてからの三日間、私は一度もあのおかしな夢を見ることがなかった。

「帰りたい……」

 呟いた言葉は、誰に届くことなく空虚に散った。
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