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1章.大学授業編

10.宣言

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 始業の振鈴から三十分、化粧室ついでに教室前を通りかかったリディアは目を見張って立ち止まる。

(何で、教室に誰もいないの)

 いまは、エルガー教授の『魔法六法』の講義のはず。
 なのに、たった二人しか教室に残っていない。

 後方扉から入ったリディアは、背を向けて他の生徒と立ち話をするキーファに声をかけた。

「今って、エルガー教授の授業のはずよね。もう終わったの?」
「自習です」

 驚いて言葉を失うリディアに、キーファは淡々と繰り返す。

「いつもですよ」
「――じゃ、俺帰るわ!」

 リディアとキーファが話しだしたので、キーファと先に話していた学生が去ろうとする。

「待って。えーと、ロー、よね。チャス・ロー」

 赤毛で茶色の瞳の小柄な彼は、どこか妖精みたいな雰囲気を持つ。

 多分、その血が入っているのだろう。
 軽快な動作と喋りを見せるし、模擬戦では成績もいい。ただ、落ち着きがない。

「そうすっ。センセのこと噂になってましたよ」

 リディアは、自分の噂という言葉を聞き流す。
 気になるが、それを持ち出す意図がわからない以上、話にはのらない。

「そう。ところでローは、マーレン・ハーイェクと同郷でしょ? 彼の欠席理由を知らない?」

 マーレン・ハーイェク。
 
 東大陸の真ん中にある幾つかの国々の中の小さな王国の第五王子だ。
 小国が沢山ありすぎて、真ん中あたりとしか説明できない。

「さあ。クーチャンスなら知ってるんじゃないっすか? 従者だから」
「従者? 従者って」
「乳兄弟とか? 俺も国にいたときには第五王子の従者なんて聞いたこともないけど、こっちに来たら、常にオマケみたいにくっついてるから有名」

「ヤン・クーチャンスよね。そう言えば、オリエンテーションの時も休みだった」

 マーレンとヤンは、欠席だった。
 まだ授業が開始したばかりだが、欠席が続くと単位が取れなくなる。

「ヤンが王子の出席管理してるから、うまくやるんじゃん? 賄賂とか」
「私は受け取らないわよ」
「教授は受け取るっしょ」

(確かに! 確かにあの人なら受け取るかもしれない)

 リディアはもう自分の教授は信用していなかった。顔を引きつらせていると、さっさとチャスは出ていく。


「――そうそう、噂って。センセが魔法師団の団長の愛人になって奥さんに訴えられたって」
「はあ? えっ!?」
「でも処女っぽそうだから、チガくねって話してたとこー」
「ちょっと、待ちなさい!! ロー! チャス・ロー!!!」

(なんなの!! なんて、奴!)

「ムキになると、余計に奴は煽りますよ、先生」
「だったら、否定しておいてよ!! 違うんだからね!」

 キーファを振り仰いで文句を言うと、彼は僅かに目を見張る。

「ちがっ。愛人ってほうよ! 皆に訂正してほしいのは――」
 
 キーファはリディアよりもだいぶ背が高い。
 ディアンよりも高いだろう。その目元が赤くなっていき、彼は口元を手で押さえた。
 
 リディアもつられたように、手で口を押さえた。


(わたし、何言ってるの――!)

 処女のほうじゃない、そんなことを言うつもりじゃないけど……。

「ごめんなさい――えーと、今の会話は流して。そうじゃなくて、みんながいないのは」
「自習です。課題だけ出されました、いつものことです」
「――確かに、調べればいいことだけど」

 教授の受け持つのは、魔法史と法律について。
 課題をさせれば充分という考え方もあるけど、大学に来ているのに、それって。

「いいです。そんなものでしょうし」

 彼の突き放したような、諦めたような口調に、リディアは胸を打たれる。

 教授は明らかにこの領域に興味がない。立ち上げただけで終わり、後は彼らを卒業さえさせればいい、とリディアに明言した。

 ここを選択した、それは彼にとっても他の生徒にとっても、未来がないということなのだろうか。

「――昨日、ちゃんと帰れた?」
「はい。いつものことなので」
「いつも?」
「論文投稿しようと図書館の閉館までいるんです。俺は研究者になろうと思って」

(頑張ってね、と言うのが正しいのだろうけど)


「――私、一つの魔法以外は全然駄目だったの」


 気がついたら口にしていた。彼の水色の瞳が見下ろしてくる。


「他は全然使えなくて、落ちこぼれだった。その魔法さえも、見せろといわれると全然だめだった。嘘つきと言われたりね。意図して使えるようになったのは、ずっと先。だから、諦めないで」


 彼の瞳は、揺れ動いている。デイパックの肩紐を握る手は、力が入っていなかった。


「私も、精一杯協力するから。魔法――、使えるように、してみせる」









(私! キーファに、なんてこと――言ったんだろう)
 

 無責任すぎる。原因も方法もわかっていないのに。
 
 けれど、まだ諦めてほしくなかった。

(でもこれで、適当に方法を試してみて、やっぱり駄目だったね、なんて言えない)

 本気で取り組まなきゃいけない。 

 ほどほど、どころではないだろうけれど。
 適当に関わって、適当な回答を与えて終わりなんてしたくない、――してはいけない。
 


 リディアは、演習室で魔法省による大学の魔法学科領域設置基準票を見ながら、廃棄する備品を確認していた。


「えーと演習用模型は、三人に一体。人体模型は、必要数、ってことは一体あればいいか。演習用模型ってことは、魔力を込めて動かす傀儡人形のことよね。人型じゃなくてもいいんだ……って人型しかうちにはないし。まさか蛙型とか――蛇型がどこかにあるんじゃないでしょうね……やめてよ。――聖水も魔法水も、設置基準に入っていないのね、全部捨てちゃえ。ああでも新しいものは購入しないと」

 一人薄暗い中での、何十年も放置されてきた場所の片付け。
 焦燥感にやられて、口に出さなきゃやってられない。

 設置基準は、大学の魔法学科の一領域として開設するのに最低限必要と定められた備品の定数のこと。
 別にだれかが定数の確認に来られるわけではないが、捨ててしまって後で定数を満たしていないなんてことがばれたら大変。
 
 ただ、こんなふうに物置に放置されている時代錯誤の備品も多い。

「この魔石標本ももったいないよね」

 天然石なんて貴重過ぎる。どこの施設も、今は合成魔石しか置いていないのに。

「私の時は、これで魔力を計測したんだけど――」

 現在は、簡易魔力計測で魔力値を測る。

 それによって、どの属性の魔力が高いのか客観的に見ることができる。
 
 でも、昔――リディアが初等科で学んだ頃は、天然の魔石で属性を調べたのだ。

「――というか、この魔石標本。別に標本として使ってもないし、魔石は捨てなければどんな形でも、置いといていいのよね……」

好きにしていいと言われた授業。
資料の提出も、内容の報告もいらない。

――だったら、好きにしてもいいよね?
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