姫君の剣-ひめぎみのつるぎー

アイク

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郷の花

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 月を綺麗だと思うとき、人は愛しい相手を月に重ねているのだという。決して届かないところにいて、手を伸ばしてみようなどとはゆめゆめ考えもしない相手であるほど、月は輝いて見えるそうな。

「……フゥ」

 声にならないため息をつきながら、若竹色の布を傍らに置き、夜空を見上げる。その瞳は、白い輝きをたたえた月を映している。
 目を閉じて息を吸い、ゆっくりと吐きながら目を開く。闇に染まる庭の方へ視線を移し、今日の出来事を反芻する。

(あの少年は、何かを知っているのだろうか)





 近く姫君が婚礼の儀を挙げるらしい、という噂が郷守連中の間で広まった。

 先だってその姿を目撃した郷守たちにとって、あれ以来姫君は『顔も見たことのない存在』から『顔は見たことのない存在』へと若干変わり、それなりに身近に感じていただけに、少なからず落ち込んでいた。
「このあいだ姫様が奥屋敷から出てきたのは、婚礼について殿と話をするためだったって話だ」
「郷の花が、誰かのものになっちまうのか」
「ぬかせ。前々から婚約は決まっていただろうが」
 誰かが姫君の話題を出す度に、ユキはあの時見た美しい瞳を思い出し、体温が上昇していくのを感じていた。
 その熱を払うかのように竹刀を振ってみたが、忘れようとすればするほど、あの一瞬のまなざしがユキを捕らえて離さないのだった。


「なあ、由さん」
「どうした?」
 打ち込み稽古を終え、周りに人がいないのを確認してから、ユキはそっと話しかけた。
「由さんは、誰かのことで頭がいっぱいになって、顔が熱くなったり、心臓がどっくどくしたり、そういうのあるのかなと思って」
 てっきり剣術の相談かと思いきや、意外過ぎる質問に面食らったのであろう。もじもじする質問者を前に、由ノ進は持っていた竹刀を取りこぼしそうになった。
「な、なんでまた。誰か好いた相手でもできたのか?」
「そういうのとは少し違うんだけんど。その……由さんは女の人に目がないって平七のアニキが言ってたからさ。三夏村の美人とも仲良しだって。それに、前に皆で姫様を見に行ったことがあっただろ?そのときも張り切っていたし。おいらも、出遅れたけどあの場にいたんだ。身体が小さいから、皆の足元を潜り抜けて、生け垣の一番前まで行ったんだ」
 要領を得ない話にも嫌な顔を見せず、一生懸命言葉を絞り出すように話す少年の肩にそっと手を置き、優しく続きを促す。
「そんなこともあったな。残念ながら、姫様のかんばせは見られなかったが」
「あのとき、鍛錬場に戻る前に……おいら、偶然なんだけんど……」
 もじもじ少年は意を決したか、こぶしを袖ごとぎゅっと掴む。
「ひ、姫様と目が合ったんだ」
「なんと!それはそれは……。羨ましい限りだな」
 由ノ進は心底羨ましいと悔しがってみせるも、当の本人は自慢する風でもなく、顔を赤らめて自分を見上げていた。
「もしや、先ほどの問いは……姫様のことなのか!?」
 困惑しながら頷くユキに対し、流石の由ノ進も二の句を継ぐことはできなかった。



「姫様のお相手は、萌黄郷の当主の弟君だとさ」

 由ノ進に打ち明けてからも、ユキの頭はあの神秘的な瞳のことでいっぱいだった。頭の中から追い払おうとしても、姫君の話題でもちきりの郷守連中の中にいては、どだい無理な話である。

 萌黄郷は、夕月郷と川を挟んで反対側にある同盟郷である。夕月郷には同盟郷が複数あるが、その中でも最も結びつきの強い郷が萌黄郷だ。それには萌黄郷の成り立ちが大きく関わっている。

 その昔、月守家当主四代目の治世、“郷の花” を狙う不届き者が現れた。その者は自らを「黒夜叉」と名乗り、郷を枯らして夕月郷の領地を奪おうとしたが、当時の刀守随一の剣豪によって討たれた。
 その戦いで功績を収めた刀守に褒美として川向こうの領地を分け、その地を萌黄郷と名付けた。さらに、この時助けられた姫と刀守が結婚し、冬守とうもりという名を与えられた。これが萌黄郷当主、冬守家の始まりとされている。

冬守とうもりの若ってことは、年の頃は確か姫様より五つほど上だったはずだ」
「あそこは祖が刀守だからな、武芸に秀でたお方だろうな」
「それなら、我らが姫様のお相手として申し分ないな!」
 見ず知らずの未来の婿君を、あれやこれやと好き勝手言い放題だ。相も変わらず、鍛錬よりおしゃべりに熱心な郷守たちである。

「まったく、あいつら何をやってるんだか。おいユキ、打ち込みやるぞ」
 珍しく稽古に熱心な平七と共に、ユキも頭の中を真っ白にすべく竹刀を振るう。何故か平七は、結構面倒見が良く、武術の心得がないユキに対し手取り足取り教えてくれる。平七が屋敷の外の見回り番でいない時は、由ノ進が剣術を指南してくれた。その甲斐あって、郷守になりたての頃と比べると、ユキの腕前はずいぶん上達した。
「アニキ、おいらやっぱり弓より剣の方が好きだな」
「けっ、すこうし腕が立つようになったからって調子に乗るなよ」

 鍛錬と、見回りと、時々おしゃべり。小さな村で家族と暮らしていた頃に比べると、ユキの日常は随分変わってしまったが、気の良い兄貴分たちに囲まれたこの生活を、ユキはそれなりに気に入っていた。



 本格的に姫君の婚礼話が郷守たちに周知されたのは、それから半年ほど経ってからだ。
 伝統儀礼として、婚礼前に姫君が村々を巡るしきたりがある。これは一種の顔見せのようなもので、常日頃郷屋敷で大切に守られている姫君を、郷の民が目にすることのできる数少ない機会である。姫君は普段、郷の象徴としての神秘性を守るため、そして何よりその命を守るために滅多に外には出られない。姫が郷の民の目に触れるのは、特別な催しや儀式の時、例えば若君のお披露目式や婚礼前の郷巡りくらいである。
 それだけに、警備には相当な力の入れようだ。ユキたち郷守も例外ではなく、姫君の警護に当たることになっている。常春の平和なこの地で物騒なことは滅多に起こらないが、ユキの村のように賊が出ることもある。“郷の花” に万が一があってはならぬと、郷守・刀守たちは相当息巻いている。以前その姿を覗き、もとい垣間見た郷守連中は特に。
 一番人気は姫御輿付近の警護で、姫に近い配置を誰もが狙っている。普段はおしゃべりに花を咲かせている男共も、いつになく真剣な顔つきで鍛錬に取り組んでいる。
「おう、精が出るな。」
「はっ。この通り、日々励んでおります。」
 鍛錬場に顔を出した上役の目に留まり、良い配置に抜擢されないか……あわよくばお役目中に姫の姿を見られないものだろうか……という邪な思惑など丸わかりだということに、残念ながら当人たちは気が付いていない。
 どんなに真面目な顔つきで返答しようが、体つきを見れば日ごろから鍛えているかどうかくらい察しがつく。普段から真面目に取り組んでいる者は、手にたこがあったり、生傷が絶えなかったり、身体が一回り大きくなっていたりしている。一方で此度の郷巡りをきっかけに鍛錬に向き合いだした者は、体力がなく途中でバテるか、無理をして身体悲鳴を上げるか、なんとも情けない体たらくだ。
 ユキはというと、時々口が忙しくなるものの、基本的にはいつも真面目に鍛錬している。村を焼かれ天涯孤独となった自分に役割を与えてくれた月守一族の恩に報いるため、心の底から仕えたいと思っている。その想いを汲んでか、まわりの心強い兄貴分たちが熱血指導してくれているのだ。

「脇を締めろ、そんなんじゃ刀守は遠いぞ。身体が小せえんだから、力まかせに剣を振るってるだけじゃあ、この平七様にゃあかなわんぞ」
 汗だくで打ち込むユキの様子を見て、由ノ進も口をはさむ。
「そうだな、いっそのこと小ささを利用して、下段の構えから一気に間合いをつめていくのが有効かもしれんぞ。体格差には速さで対抗だ、ユキ」
「小せえなりの戦い方か。由さんは上背があるのに、なんで小せえ人間の戦術がわかるんでさ」
「小さい相手と対峙する時に、その者の戦い方をわかっているのといないのとでは結果に大きな差が出るからな。己を知り、相手を知ることで剣は磨かれていくものだ。聞いているか、ユキ」
 さっきから、小さい小さいと失礼な物言いだ。しかし言っていることは至極真っ当なため、口でも剣でも対抗する力のない若輩者は、おとなしく助言に従うのみである。
「ほれ、もっと打ち込んでこい。おめえだって、姫様の近くに就きてえだろ」
 その言葉を耳にしたとたん、ぶわっと顔が赤くなり、ユキの動きが一瞬止まった。その隙を見逃さずに平七が竹刀を振りかぶったものだから、ユキの脳天に衝撃が走った。
「……ッ!!!」
「っお前、急に止まるんじゃねえやい。思いっきり打ち込んじまっただろうが!」

 ユキの動揺に心当たりのある由ノ進は、頭を押さえうずくまる姿を、なんとも言えない顔で見ていた。




 ある日の昼下がり、郷屋敷に仕える郷守・刀守たちが庭先に集められた。勘の良い者は浮足立ち、そうでないものは何か起こったのかと青白い顔をしている。

 喜憂交交の面々の前に、灰色の顎ひげを蓄えた初老の男が姿を現した。ユキも何度か鍛錬場で目にした、上役の刀守だ。
「郷巡りに同行する者を申し渡す。郷の花たる姫の御身、心してお守りせよ」



「ちえー。由さんはともかく、平七とユキのやつも郷巡りのお役目に選ばれよって」
「はは、そういじけるな。郷巡りの間、郷屋敷の守りが疎かになるようなことがあってはならんからな。しっかり励めよ」
 爽やかに応える由ノ進を、留守番役となった伊助・弥助が恨めしそうに見やる。
「なあんで身体も小っさくて弱っちいユキが選ばれて、この立派な体躯の弥助様が選ばれねえんだ」
 それはユキだって知りたいところだ。まさかの任命に驚いているのはユキ自身なのだから。
「何を言う。このところ、ユキの剣の腕前は上がっているからな。もとより鍛錬への取り組みが評価されたのであろう。共に励もうぞ」
「この平七様を忘れるなよ。ここで大活躍すりゃあ、一気に刀守になれちまうかもしれねえな!」
「そんな活躍するような大事、起こらない方が良いんじゃあないのかい、アニキ」
「……まぁ、それもそうだな」
 歯切れ悪く笑う様子に半ば呆れながらも、ユキの心は半分別のところへ――そう、またあの瞳を思い出していた。
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