姫君の剣-ひめぎみのつるぎー

アイク

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守りのちから

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 満月の光に照らされる一輪の花がそこにいた。花といっても生身の人間、郷の花である。
 今日と明日の境、真夜中の月には浄化の作用があるといわれている。月光を浴びて身を清めることで、郷の花としての力が高まる――誰が言い始めたのか、誰に聞いたのか、もう覚えていないけれど、いつの頃からか毎晩の習慣となっている。
 今晩はいつもよりも長いこと、奥屋敷の庭先にある月見台に立っている。まるで祈りを捧げるかのように、目を閉じて両手を合わせ、浅い呼吸を繰り返す。

 翌日、いよいよ郷巡りが執り行われる。


 いつもより忙しなく動き回る男たちの様子を見ながら、ユキは緊張感を持て余していた。ユキの配置は姫御輿ひめみこしの少し手前、刀守かたなもりたちに交じって列を組み、背後におわす姫君をお守りする。
「おう、ユキ。調子はどうだ。二人揃ってお輿の近くたぁ、良い采配だなこりゃ!」
 兄貴分の平七がそばにいるから少し安心できそうだ。由ノ進よしのしんは後列に配置されており、三人一緒というわけでないのが少し寂しいが。
「あれだな、由さんは見目が良すぎるから、郷の娘たちが見惚れちまうんだろ。お輿の陰からおとなしくついてくるしかねえよな」

 なるほど、姫君より目立つような見目麗しい男がいてはせっかくの郷巡りが台無しだ。とはいえ剣の腕を考えるとお役目から外すには惜しいといったところだろうか。自分には一生縁のなさそうな苦労だなと思いながら、ユキは出発の準備を整える。今一度しっかり草鞋を結わえんとかがみこんでいると、頭上から声がかかった。
「なんだ、こんな元服前の子供も同行するのか」
 顔を上げると、通りがかりの刀守たちがユキを囲んでいた。そこには見覚えのある、やたら男前な顔もあった。ユキと同じ郷守のはずだが、屈強な刀守たちの中にいても、遜色のない風格を漂わせている。
「ああ、ユキじゃあないか。この者は私と共に鍛錬に励んでおりました。足自慢の少年で、速さのある剣を振るいますよ」
 さりげない発言から、自分を対等に扱ってくれているという心遣いを感じ、少しくすぐったい気持ちになる。
「持ち場は離れているが、志は同じだ。姫に大事無きよう、しっかりお守りしようぞ。さ、我らも後方隊列に加わりましょう」

 そう言いながらさっと手を挙げ去っていく由ノ進を、男としても剣士としても到底敵わないな、と思いながら見送るユキだった。


 実際に持ち場に就いてわかったことだが、ユキのいる位置と姫御輿ひめみこしは思っていたより近い。真横に配置されている刀守の少し前、姫御輿から見て左斜め前。華美でありながら上品さを持ち合わせた、精巧極まる装飾の細かな部分まではっきりと見える距離だ。
 少し丸みを帯びた三角の面が四つ集まって張られた屋根、その頂に八重の花がしつらえられている。柱やながえには花や草木の他、月の満ち欠けの彫刻が施されており、熟練の職人技を思わせる。そして四隅の柱から薄紅色と藍色の二種の薄布を重ねた帳が下ろされ、中は見えそうで見えない作りになっている。

「郷の花の御成りである!」

 上役が高らかに叫ぶ声が響き、郷守・刀守一同がその場でさっと平伏する。さっきまで男たちの談笑でにぎわっていた場が、嘘のように静まりかえる。

(姫様がきた……!)

 ユキは、身体全体が脈打っているのを感じていた。自分の心臓の音だけがこの場に響き渡っているのではないかと心配になる。
 頭を上げないように上目でそっと衣擦れのする方を見やると、いつぞやの若竹色の長布を纏った姫装束が、剣役と思わしき大男と並んでいるのが見えた。俯きがちにゆっくりと歩みを進める様子は、あの渡り廊下にいた姿と同じものだ。
 手が震える。頬が上気する。滴り落ちた汗が目に染みる。目を伏せて、姫君の歩みに聞き耳を立てる。
 砂利を踏む音が少しずつ近づき、やがて止まった。姫君の気配を背中で感じ、汗がじわっと手のひらを濡らす。
 しばし無音の時間が続く。今、まさに姫御輿に乗り込んでいるはずだが、一切の足音も聞こえない。もしかして姫君には羽でも生えているのだろうか……などと考えていると、またしても上役の号令が響いた。

「面を上げよ。これより出発と相成る」
「「はっ」」

 郷屋敷の重い門が開き、郷の花を乗せた姫御輿が外界へ飛び出した。


 最初は、郷屋敷からほど近い夜越村よこえむらを訪れた。郷屋敷に納める野菜や果物を栽培している主要な農村で、外回りで何度か訪れたことがあるため、列をなす郷民の中に見知った顔がちらほら見える。顔なじみのじいさんが、畑のわきで孫娘を連れて立っていた。孫娘は、そのもみじのような手を一生懸命伸ばし、ユキの背後を指さしている。
 ちらっと右後ろを見やると、薄布を重ねた帳越しに姫君の存在を感じる。人々が自分の方を注目し、囁きあい、喜びの涙を流す姿を見るにつけ、すぐ後ろに姫君がいるという実感が沸々と色濃くなってゆく。

 次に訪れたのは、緑の田園広がる三夏村みなつむらだ。村人たちは田植えの手を止め、歓喜の声を上げる。茶屋の店先では、郷娘たちがぽうっと口をあけ、姫御輿ひめみこしへ憧れのまなざしを向けている。給仕をしている藤模様の小紋を着たきれいな娘も、頬を染めて列を見つめていた。

 姫君の近くに侍るということは、それだけ人々の注目が集まる場所にいるというわけで、大勢の視線を受けて緊張の極みに達していたユキは、郷巡りが終わるまで身がもつのだろうかと心配になってきた。



 街道にでて、やっと人々の注目から解放された。村々を巡るうちに、緊張感も少しずつほぐれてきた。そこで初めて、隣を歩く平七の顔が強張っていることに気が付く。
「あれ、アニキどうしたんでさ」
 小声でそっと話しかけるも、聞こえているのかいないのか、表情は硬いままだ。
 流石のアニキでも緊張しているのか、はたまた真面目くさったよそいきの表情を作っているのか。ここは、お役目に集中していると前向きに捉えておこう。
 何の反応も示さない相手に話し続けるわけにもいかず、好き勝手に考えることにした。

 思えば、初めて出会ったあの晩の平七も、今日のような顔つきだったような気がする。忘れもしない、新月の夜。転んで立ち上がれずいたところ、見回り番の平七がユキを見つけてくれた。

 視線を前方に戻す。太陽の光が照りつける街道。脇に積まれた石が目に入った。郷守たちによって均された道をゆっくり歩きながら、ユキの意識は違う道を駆けていた。

 雨上がりのぬかるみ。絡みつく木の枝、転がる小石、突き出す木の根。生まれて初めて死を覚悟したあの晩の記憶が一気によみがえる。
 村は焼かれ、母と別れ、賊に追われ……森の中を無我夢中で駆け抜け、倒れた。身も心も疲れ切っていた。頬に触れた、地面の温度を思い出す。濡れた大地は、ユキの体温を奪っていった。
 つらい過去を思い出した反動か、うつつのユキの身体もまた熱を失い始めた。冷汗が背中を伝う。やけに冴えた頭の中を、ふと何かが掠めた。

 小さな、小さな違和感だった。

 倒れたきり動かない身体。足もとから差し込む光。振り返れば、その光が照らす月の紋章。郷守の装束を身にまとい、少し険しい表情でのぞき込む平七の姿を、その右手の明かりが浮かび上がらせていた。不安で心がいっぱいだった、あの時――。

「……あの時、どうして後ろから現れたんだ……?」

 ふと頭に浮かんだ疑問がぽろっと口からこぼれ出た、と同時に平七の方へ目線が動く。ユキの視線を避けるように身をねじり、腰元に腕が伸びる。その一瞬の動作が、やけにゆっくり見えた。まるで水の中にいるかのように、まわりの音が消え、時の進みがやたら遅く感じた。

 冷たい川の中に飛び込んだ時のような、寒気がぞわっと全身を襲う。

 周囲の音が急流のように押し寄せ、ユキははっと我に返った。刀の柄に手をかける姿が目に映る。

「……っ何やってるんだアニキ!!」

 考えるより先に身体が動いていた。鞘から抜かれた剣が、太陽の光を反射してユキの目を焼く。ユキは、眩しさに目を細めながらも、姫御輿の方へ踏み出す背に手を伸ばし、刀を持つ腕を両手で掴む。
 一瞬怯みを見せるも、体格も力も平七の方が上だ。掴まれた手を振り払おうと、平七が腕を大きく振り動かす。ユキも全身で抵抗し、腕の動きに合わせてぶんぶん揺り動かされる。
「邪魔するな」
 ドカッとみぞおちを蹴られ、思わず手を放してしまった。痛みを感じているひまはない。今、姫御輿と平七の間を隔てるものは何もない。

「やめろぉぉ!」

 伸ばした手が空を掻く。叫びも虚しく、姫御輿に近づく平七。すると突然、姫御輿の帳が勢いよく捲れ上がり、中から何かが飛び出してきた。

 一陣の風が吹きすさび、瞬きのような速さで何かが閃いた。目の前の平七が、斬りかからんとする体制のまま倒れこんだ。

 何が起こったのか理解できなかった。姫御輿から出てきた<>は、足元から砂けむりをあげてユキの前に立っている。それは一人の人間だった。
 あっけにとられていたのも束の間、その人物が姫装束を着ていることに気が付いた。

「ひめさま……?」

 頭をすっぽりと覆う長布を片手で無造作に脱ぎ捨てた姿は、しかし、まぎれもなく男だった。





 水から解放され、意識を取り戻した。その途端、また水の中に潜る。もう何度目だろうか。身体の自由はきかず、くぐもった音が近くから聞こえる。うっすら目をあけると、見覚えのある大男が厳しい顔で自分に話しかけているようだが、何を言っているのか聞き取ることができない。

(あれは、たしか剣役……)

 薄れゆく意識の中、記憶の糸を手繰りよせていく。剣役は、刀守の中でも最強の男、選ばれし男。姫君ただ一人に仕える男。いつかそう話して聞かせてくれたのは、共に鍛錬を積んでいた仲間だ。いつか刀守になりたいと言った自分を、生意気だと笑い飛ばしたアニキ。そう、平七のアニキ。
 つい最近、初めてアニキに歯向かった気がする。なんだったろう……。

 記憶が断片的によみがえってくる。

 見事な装飾をちりばめた姫御輿。
 姫御輿を見つめる、着飾った郷娘たち。
 鞘から刀身を抜き放ち、背を向けた平七。
 その平七の手を、掴んで離すまいと抵抗した自分。
 そして、風を纏って降り立った姫装束。その瞳は――。

「いい加減にせんかっ!!」

 ハッと意識を取り戻す。手足を縛られて大の字の格好で水車に括りつけられ、数人の男たち囲まれていた。そのまま何度も回転し、水中に沈む。息が続かず苦しみもがき、やっと新鮮な空気に触れたと思えば、また水の中へ。水面から頭が上がっている間も、息継ぎを許さず詰問が入る。

「吐け。誰が首謀者だ。仲間はどこにいる。」

 大男がユキに詰め寄る。哀れなユキは、肺に水が入り、声はおろか息もでてこない。男は無言を抵抗と捉えたのか、呼吸する間も、状況を理解する間も与えられず、また水中に突っ込まれる。

(なんで……おいらがなんで……)

 何かの間違いだ。何も悪いことをしていない。むしろ、悪事を働こうとした平七を止めようと体を張ったではないか。
 一方的に痛みつけられるだけの水責め地獄を何度も繰り返し、まもなく意識を手放すという寸前で、水車の動きが止まった。

(…………?)

 手足を縛るひもが解かれ、地面に倒れこんだ。ゼイゼイとあえぎ、立ち上がろうとするも力が入らない。

「何故あなたが」
「こいつはあの男と一緒にいたんだぞ」
「もう少し続ければ口を割るかもしれない」

 数人の男が何やら言い合っているが、音として認識できても中身が全く入ってこない。耳の中は水が溜まり、歯はガチガチ鳴る。視界はぼやけ、頭の中もぼうっとする。びしょ濡れの服が身体にまとわりつき、その重みと冷たさに耐えようと、両手で自分自身を抱きしめる。

 横から手が伸び、腕をひっぱられ肩の下に手が回る。
 なぜ水責めにあっていたのか、なぜ助け出されたのか、そして誰が肩を貸してくれているのか。何一つわからないが、考える余裕などなかった。ユキはそのまま相手に体重を預け、引きずられるようにその場を後にした。
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