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第一部
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キッチンへ行くと、カウンターには食パンが三つも並んでいた。
「すげ……マジでうまそう」
津和は得意そうな顔で、冷蔵庫からハムやらサラミ、数種類のチーズを取り出す。テーブルはあっという間に、食べ物の皿でいっぱいになった。
「どう、こういうの好き?」
「好き好き、すげー好き」
「そ、よかった」
津和は、冷蔵庫から冷えたビールを取り出し、向かいの席に着く。まさかパンの材料の他に、あれこれ付け合わせになりそうな食材まで、買ってきてくれるとは思わなかった。
「全部でいくらだった? 半分出すよ」
「いいよ、別に。その分働いてもらうから。あ、さっそく取り皿取って。あと箸とフォークとグラス二つを並べて」
俺は津和に言われるまま、食器を取り出してテーブルに並べた。これがこの男の優しさだと分かって、赤面の思いでせっせと体を動かす。
「それから、君が後片付けしてね」
「ああ、こんなうまいもん食わせてもらえるなら、片づけくらいいくらでもやるよ」
彼に合わせて、俺も軽口を返す。パンもつまみも、ビールも最高にうまかった。酒を飲んだのは久しぶりで、たった缶二杯で酔ってしまったが、最高に気持ち良かった。
津和は缶ビールを一本空けた後は、ウイスキーだかブランデーだかを取り出して、ゆっくり味わうように飲んでいた。そして帰宅した時とは打って変わって、陽気にしゃべって飲み食いする俺を、面白そうに眺めていた。
「じゃあ、そろそろ寝よっか」
「んー……俺、シャワー浴びてくる」
椅子から立ち上がると、津和も一緒に立ち上がった。洗面所に向かう足取りがおぼつかないが、支えてくれる津和の腕があるから安心だった。
「シャワーは無理そうだな。今夜は諦めて、このままベッドに入るといい」
「やだ、シャワーくらい浴びねーと、ベッドが汚れる……」
「汚れないよ。ほら、顔こっちに向けて」
熱く濡れたタオルで顔を拭われる。そういや汚れた食器を片づけてなかった。ベッドに行く前に、片づけておかないと。
「こら、どこ行くつもりだ」
「ん、キッチン……皿、片づけとかないと」
「いいから、それは明日にしてくれる? 明日起きてから片づければいいから」
「そっか……じゃあ歯、磨く」
歯ブラシを動かす間、後ろから津和が腰を持って支えてくれたが、酔っているせいか全く気にならない。背中に温かい体温を感じて、その心地良さにスッと体の力が抜けていく。
「うん、いい子だね。ちゃんと歯も磨けた」
「もう寝るよ……おやすみ」
「うん、おやすみ」
振り向き様に、唇に触れるだけのキスを落とされても、やっぱり気にならなかった。手を引かれてベッドに連れて行かれる間も、掛布団で肩を包み込んでくれた時も、眠くて気持ちいいだけだった。
それは、慣れた感覚だった。
(痛っ……)
頭に鋭い痛みが走り、目が覚めた。室内は真っ暗で、夜明けはまだ遠いことが分かる。
寝ている間に偏頭痛が起こり、目が覚めてしまうことは過去に何度もあった。右側のこめかみがズキズキと脈打つように激しく痛み、口から漏れる息が細かく震える。
(薬……飲まないと……ヤバい)
背中に感じるぬくもりから離れ、ベッドから這い出ると、ドアへと四つん這いに向かう。
だがドアの手前で、どうしても体が動かせなくなった。うずくまって頭を抱える。
「……大丈夫か?」
「……」
津和を起こしてしまった。だから一緒に寝たくなかったんだ。
「しっかりしろ、頭が痛いのか」
「……ん……」
「今、薬を取ってくる」
遠くから物音が聞こえる。やがて体を支えられ、唇に薬の錠剤を押し付けられた。素直に口を開けると押し込まれ、グラスの縁があてがわれた。
「飲めた?」
「う、ん……」
俺に構わず、先に寝ててくれればいいのに。俺はここで少し休んでいるから、気にしなくていいのに。このまま意識が薄らいで、気を失ってしまえば、目が覚めた時に少しはマシになっていると思うから……放っておいて欲しいのに。
だが背中に感じる温もりは、痛みで意識が無くなる直前まで消えることはなかった。
次に目が覚めた時は、ベッドの上だった。
津和の姿はなく、サイドテーブルには病院名と電話番号が書かれてたメモが置かれていた。きっと頭痛外来のある病院だろう。
スマホで検索してみると、予想通り頭痛科がある病院だった。アクセスを確認し、着替えを済ませて保険証を探す。
(今のうちに行ってこよう)
頭痛はまだするが、歩けないほどじゃない。このタイミングを逃すと、次いつ動けるか分からないから、すぐ行動に移すことにした。
正直こういうキッカケが無ければ、病院へ行くことはなかっただろう。いつまでも市販の薬を使い続けて、しょっちゅう効かなくて具合が悪くなって、仕事にも支障が出たかもしれない。
(いや、すでに出ているじゃないか)
バイト先での失態に続き、昨夜は津和のマンションで倒れた。これで新規の仕事に挑戦しようだなんて、良く考えると無謀すぎた。
病院までのアクセスは悪くなく、思ってた以上に簡単に着いた。予約無しの初診ということで小一時間ほど待たされたが、問診はいたってスムーズで淀みなく、典型的な『偏頭痛』という診断を下された。
偏頭痛に特化した痛み止めを処方せんで出され、帰りに隣接している薬局に寄って購入したら、随分と肩の荷が下りた気がした。もっと早くに、こうしなくてはならない気がしていたのを、気づかない振りをして先送りしていたからだ。
歩いているうちに段々痛みが酷くなってきた為、駅のコンビニで水を購入して、さっそく入手したばかりの薬を服用する。それからベンチに座ってじっとしていたら、三十分ほどで効果が現れた。
(うっそ、全然痛くねーじゃん……)
それは衝撃的な体験だった。強い痛みを堪えていた反動か、立ち上がると体が疲労感でふらついたが、頭は霧が晴れたようにスッキリしていた。
(やった、これなら大丈夫かもしれない……!)
よろこびと同時に、津和への感謝の気持ちで胸が熱くなった。彼がいなければ、病院へ行くこともなく、相変わらず効果の無い市販薬に縋ったままだったろう。
(いや、それだけじゃない……)
彼のお陰で、もう一度チャレンジしようという気になれた。そのキッカケをくれたのも、踏み出す一歩を後押ししてくれたのも、彼がいてくれたからだ。
「すげ……マジでうまそう」
津和は得意そうな顔で、冷蔵庫からハムやらサラミ、数種類のチーズを取り出す。テーブルはあっという間に、食べ物の皿でいっぱいになった。
「どう、こういうの好き?」
「好き好き、すげー好き」
「そ、よかった」
津和は、冷蔵庫から冷えたビールを取り出し、向かいの席に着く。まさかパンの材料の他に、あれこれ付け合わせになりそうな食材まで、買ってきてくれるとは思わなかった。
「全部でいくらだった? 半分出すよ」
「いいよ、別に。その分働いてもらうから。あ、さっそく取り皿取って。あと箸とフォークとグラス二つを並べて」
俺は津和に言われるまま、食器を取り出してテーブルに並べた。これがこの男の優しさだと分かって、赤面の思いでせっせと体を動かす。
「それから、君が後片付けしてね」
「ああ、こんなうまいもん食わせてもらえるなら、片づけくらいいくらでもやるよ」
彼に合わせて、俺も軽口を返す。パンもつまみも、ビールも最高にうまかった。酒を飲んだのは久しぶりで、たった缶二杯で酔ってしまったが、最高に気持ち良かった。
津和は缶ビールを一本空けた後は、ウイスキーだかブランデーだかを取り出して、ゆっくり味わうように飲んでいた。そして帰宅した時とは打って変わって、陽気にしゃべって飲み食いする俺を、面白そうに眺めていた。
「じゃあ、そろそろ寝よっか」
「んー……俺、シャワー浴びてくる」
椅子から立ち上がると、津和も一緒に立ち上がった。洗面所に向かう足取りがおぼつかないが、支えてくれる津和の腕があるから安心だった。
「シャワーは無理そうだな。今夜は諦めて、このままベッドに入るといい」
「やだ、シャワーくらい浴びねーと、ベッドが汚れる……」
「汚れないよ。ほら、顔こっちに向けて」
熱く濡れたタオルで顔を拭われる。そういや汚れた食器を片づけてなかった。ベッドに行く前に、片づけておかないと。
「こら、どこ行くつもりだ」
「ん、キッチン……皿、片づけとかないと」
「いいから、それは明日にしてくれる? 明日起きてから片づければいいから」
「そっか……じゃあ歯、磨く」
歯ブラシを動かす間、後ろから津和が腰を持って支えてくれたが、酔っているせいか全く気にならない。背中に温かい体温を感じて、その心地良さにスッと体の力が抜けていく。
「うん、いい子だね。ちゃんと歯も磨けた」
「もう寝るよ……おやすみ」
「うん、おやすみ」
振り向き様に、唇に触れるだけのキスを落とされても、やっぱり気にならなかった。手を引かれてベッドに連れて行かれる間も、掛布団で肩を包み込んでくれた時も、眠くて気持ちいいだけだった。
それは、慣れた感覚だった。
(痛っ……)
頭に鋭い痛みが走り、目が覚めた。室内は真っ暗で、夜明けはまだ遠いことが分かる。
寝ている間に偏頭痛が起こり、目が覚めてしまうことは過去に何度もあった。右側のこめかみがズキズキと脈打つように激しく痛み、口から漏れる息が細かく震える。
(薬……飲まないと……ヤバい)
背中に感じるぬくもりから離れ、ベッドから這い出ると、ドアへと四つん這いに向かう。
だがドアの手前で、どうしても体が動かせなくなった。うずくまって頭を抱える。
「……大丈夫か?」
「……」
津和を起こしてしまった。だから一緒に寝たくなかったんだ。
「しっかりしろ、頭が痛いのか」
「……ん……」
「今、薬を取ってくる」
遠くから物音が聞こえる。やがて体を支えられ、唇に薬の錠剤を押し付けられた。素直に口を開けると押し込まれ、グラスの縁があてがわれた。
「飲めた?」
「う、ん……」
俺に構わず、先に寝ててくれればいいのに。俺はここで少し休んでいるから、気にしなくていいのに。このまま意識が薄らいで、気を失ってしまえば、目が覚めた時に少しはマシになっていると思うから……放っておいて欲しいのに。
だが背中に感じる温もりは、痛みで意識が無くなる直前まで消えることはなかった。
次に目が覚めた時は、ベッドの上だった。
津和の姿はなく、サイドテーブルには病院名と電話番号が書かれてたメモが置かれていた。きっと頭痛外来のある病院だろう。
スマホで検索してみると、予想通り頭痛科がある病院だった。アクセスを確認し、着替えを済ませて保険証を探す。
(今のうちに行ってこよう)
頭痛はまだするが、歩けないほどじゃない。このタイミングを逃すと、次いつ動けるか分からないから、すぐ行動に移すことにした。
正直こういうキッカケが無ければ、病院へ行くことはなかっただろう。いつまでも市販の薬を使い続けて、しょっちゅう効かなくて具合が悪くなって、仕事にも支障が出たかもしれない。
(いや、すでに出ているじゃないか)
バイト先での失態に続き、昨夜は津和のマンションで倒れた。これで新規の仕事に挑戦しようだなんて、良く考えると無謀すぎた。
病院までのアクセスは悪くなく、思ってた以上に簡単に着いた。予約無しの初診ということで小一時間ほど待たされたが、問診はいたってスムーズで淀みなく、典型的な『偏頭痛』という診断を下された。
偏頭痛に特化した痛み止めを処方せんで出され、帰りに隣接している薬局に寄って購入したら、随分と肩の荷が下りた気がした。もっと早くに、こうしなくてはならない気がしていたのを、気づかない振りをして先送りしていたからだ。
歩いているうちに段々痛みが酷くなってきた為、駅のコンビニで水を購入して、さっそく入手したばかりの薬を服用する。それからベンチに座ってじっとしていたら、三十分ほどで効果が現れた。
(うっそ、全然痛くねーじゃん……)
それは衝撃的な体験だった。強い痛みを堪えていた反動か、立ち上がると体が疲労感でふらついたが、頭は霧が晴れたようにスッキリしていた。
(やった、これなら大丈夫かもしれない……!)
よろこびと同時に、津和への感謝の気持ちで胸が熱くなった。彼がいなければ、病院へ行くこともなく、相変わらず効果の無い市販薬に縋ったままだったろう。
(いや、それだけじゃない……)
彼のお陰で、もう一度チャレンジしようという気になれた。そのキッカケをくれたのも、踏み出す一歩を後押ししてくれたのも、彼がいてくれたからだ。
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