よく効くお薬

高菜あやめ

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第一部

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ヒヤリ、と冷たい感触が額にあって目を覚ました。

「……気がついたか。具合はどう?」

 濡れたタオルを片手で押しのけると、目の前には心配そうにこちらの覗き込む津和の姿があった。下はスウェットを履いているようだが、上半身はまだ裸で、その姿に先ほどまでの己の痴態を思い起こされる。

「ご、ごめん、俺……」

 最中に意識を飛ばすなんて、恐ろしい失態をさらしてしまった。激しく動揺する一方、頭の隅っこに鎮座する冷静な自分が頭をもたげる。

(津和は、イケたのだろうか)

 そんな疑問を口に出せずにいると、隙を突いたように唇を甘く吸われた。

「無理させて、ごめんね……初めてなのに」

 キスの甘さとは裏腹に、津和は気まずそうに視線を逸らした。その悔いるような姿に、俺の不安はどんどん膨らんでいく。

「……その、もう終わったの?」
「うん」

 津和のそっけない物言いが、気になって仕方ない。あまり良くなかったんだと、俺は密かに落ち込んだ。 抱かれている最中は、自分の事で精一杯だった。津和の屹立が奥まで届いた感覚は、なんとなく記憶にあるけど、その後の事はあまり覚えていない。
 ただベッドに転がって喘いでいた俺は、されるばかりで、相手を思いやれなかった。抱いている相手が、途中で意識を飛ばしたんだ。気分が悪くて、萎えてしまってもおかしくない。
 恐る恐る顔を見上げると、ムッとした表情の津和に、視界を手で塞がれてしまう。

「……もう今夜は終わり。俺はシャワー浴びてくる」
「あ、待って」

 背を向ける津和の腕を掴み、ベッドから離れようとするのを何とか引きとめた。

「駄目だよ、もう……」

 そっと腕を外される……やはり失敗してしまったのだ。
 言いようのない絶望感に襲われていると、肩越しに振り返った津和の表情にハッとした。それはまるで、拗ねた子どものような表情だった。

「今夜はもう、無理させたくないんだ」
「え……あの」
「なのに君は、俺をベッドに引き留めて、あまつさえ上目遣いなんてあざとい真似して。これ以上俺を煽って、どうするつもり? また抱きたくなったら、どうするの……」

 津和は少し微笑んで首を振ると、観念した様子で唇を寄せてきた。俺は鼻を啜りながら、従順に唇を差し出す。

「あークソッ、可愛い。可愛すぎてヤバい」
「……!」

 甘い言葉に、全身が痺れたように震えた。髪を撫でるやさしい手が、顎を押し上げる長い指が、とてつもなく恥ずかしい。視線が合うと、津和は蕩けるような微笑を浮かべた。

「まだ明け方まで時間があるから、もう少し眠るといいよ。何もしないって約束するから、このまま抱きしめててもいい?」
「あ、うん……あの、シャワー浴びないの?」

 俺の問いには答えず、津和はベッドに再び横になって俺を抱き寄せた。温かい素肌の胸は、心臓の鼓動がやたらと早く聞こえる。 ああ向こうも緊張してるんだ、俺だけじゃないんだと、少し安心して目を閉じた。





「……もう食べないの?」

 ここは都内某所の、とある高級寿司店。 カウンターの前で箸を下ろした俺は、隣に並んで座る津和に顔を覗き込まれて狼狽えた。

「もう腹一杯だよ」
「でも、まだ巻き物しか食べてないじゃないか」
「……玉子も食べたけど」

 俺は引きつった笑いを浮かべる。正直言って寿司は苦手だ。食べられなくはないが、過去に生の魚介類にあたった事があって、普段はなんとなく避けている。

(そもそも、なんでこんな高そうな店、予約したんだか……俺、持ち合わせねーよ)

 今日はバイトが休みなので、津和の提案で夜外食することになった。津和が店を選ぶと言うので任せたら、まさか回らない寿司屋を選ぶとは思ってもみなかった。
 本当は断りたかったが、予約を入れておいたと言われたので、口に出せなかった。仕方ないので、適当に値の張らない物を食べて、やり過ごそうとしたのだが。

「すいません、中トロと赤身二貫ずつ」
「あ、勝手に頼むなよ!」

 津和の袖を引っ張って、小声で止めるも、すでにオーダーは取られてしまった。

「さっき鉄火巻き食べてたから、赤身も食べられるでしょ?」
「食べられるけどっ……」

 値段がべらぼうに高い。このままでは会計の時に、津和に立て替えてもらわなくては。

「……もしかして、具合悪いの?」
「えっ」
「顔色が少し悪い。頭痛?」

 津和はこうして、事ある度に俺の体調を気遣ってくれる。特に頭痛がするかと逐一聞いてくるので、少しだけ鬱陶しくもあるが、同時にこそばゆい感じもする。

「頭は痛くないよ。ただ……今、手持ちがあまり無くて」
「えっ、ここは俺が出すけど?」
「はあ?」

 恥を忍んで告白した俺は、そんなわけにいかないと反論するも、津和は笑って受け付けてくれなかった。

「俺が勝手に店選んで、勝手に予約したんだから、俺が払うのは当然だろ」
「そんな訳いくかよ」
「後で、体で返してもらうから」

 津和の流し目を受けて、俺の脳裏に二日前の痴態が蘇った。

 あの夜、俺は津和に抱かれた。
 津和は、たじろぐ俺を組み敷いて、やさしく情熱的に求めてきた。俺が意識を飛ばしても呆れず、それどころかつきっきりで介抱してくれた。
 俺はただ横になっているだけで、津和が気持ち良くなってくれたかも分からず、本当に不甲斐なく、情けない有様だった。

(こーゆーの、マグロって言うんだよな……)

 その翌朝は、先に仕事へ出てしまった津和が、朝食のテーブルに甘ったるいメモを残していってて、俺は赤面の思いでその場にうずくまった。
 女と付き合ったことはなくは無いが、あくまで学生時代の話だ。アッチの経験もなくは無いが、今回とは立場が逆だった。
 津和と俺では、俺が受け身で、体の負担はかなりのものだった。また精神的にも、これほどまで掻き乱されるとは思わず、自分の裸を見たら萎えるんじゃないかとか、抱いてみたものの具合は良くなかったんじゃないかとか、未だにうじうじと考えてしまう。
 その夜、けっきょく中トロと赤身を食べた俺は、会計を津和に頼るしかなく、色々と情け無さを感じながら帰路に着いた。
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