特別じゃない贈り物

高菜あやめ

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特別じゃない贈り物

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 逃げるように駆け込んだアパートの部屋は、いつもよりずっと寒く感じた。

(ひどい言い方しちゃった……アーベルさんは、たぶん心配してくれただけなのに)

 今さら後悔しても遅い。俺はしばらく扉を背にしたまま動けなかった。カーテンを掛けてない窓からは、白い月が小さく見える。薄暗がりの部屋の真ん中で、白い息を吐きながら肩を落とした。

(早く寝なきゃ……明日も仕事なんだから)

 別に心配されたのが嫌だったわけじゃない。水仕事で荒れた手が、恥ずかしかったわけでもない。
 ただ酷く甘えた気持ちが芽生えそうで、それを気づかれたくなくて、気づいたらあんなひどい言葉を相手にぶつけていた。

 その夜は、あまりよく眠れなかった。
 それでも時間が経てば夜が明けて、いつもの日常が始まった。
 仕事は相変わらず忙しく、なにかに思い悩む余裕もなく、ただ追われるように一日が過ぎていった。日付が変わる頃になって、ようやく厨房の裏口から帰路に着く。その夜、アーベルの姿はなかった。

 別にこれまでだって、毎日やって来たわけじゃない。特に今年に入ってからは、ほとんど顔を合わせてなかった。
 しかも昨夜は久しぶりに会ったのに、あんなにひどい態度を取ったのだから、今夜現れなくてもちっとも不思議じゃない。
 それなのに、焦燥感に取りつかれている自分は何だろう……自分から拒絶した癖に、何を今さら。

(もう、愛想尽かされちゃったかもな)

 明日は約束の日だ。正午に迎えに来ると言ってたが、こうなっては本当に来るか疑わしい。いや、きっと来ないだろう。
 自業自得とはいえ、俺はひどく落ち込んだ気持ちで、昨夜に引き続きその日の夜も浅い眠りについた。





 翌朝、部屋は冷蔵庫の中のように寒かった。
 悲しいかな、休みの日でも身についた習慣で、早い時間に目覚めてしまう。毛布に包まったままベッドから這い出ると、小さなコンロでお湯を沸かし、薄いコーヒーを淹れた。封の開いた食べかけのクラッカーで簡単な朝食をすませ、顔を洗って身支度を整える。ここまではいつものルーティンだ。

 窓の下を覗くと、大通りから一本奥に入った裏通りは、通勤時間帯を過ぎたせいか閑散としている。痩せた毛並みの悪い猫が、のたのたと道を横切る姿しか見えない。

(せっかく休みなんだから、買い出しに行こうかな。でも一応、約束の時間までに戻ってくるか……)

 アーベルが来るかどうか分からないが、一応約束は約束だ。そう思いながら身支度を整え、少し迷ってから白いマフラーを身に着ける。
 財布を入れた鞄を斜め掛けしてアパートを出ると、大通り沿いの安さに定評がある大型食料品店を目指した。

(うー、寒い……でも、マフラーがあるだけマシだよなあ)

 薄くてあまり防寒を期待できないコート姿だが、首に巻いた白くてふんわりしたマフラーに鼻先まで埋めると、だいぶマシになった。

 路地を抜けて、大通りの人気店にやってきたが、平日のせいか客足はまばらだった。
 とりあえず、いつも買ってるスープストック一箱に魚の缶詰を三つと、それからクラッカーの袋を手に取った。野菜や果物は、ほんの少しだけ買うことにする。
 アパートには冷蔵庫が無いので、生鮮食品はあまり日持ちしない。それでも冬の間は部屋自体が寒い為、窓の近くに置いておけば野菜もあまり傷まないから助かっている。

 食料品を詰め込んだ袋を抱えて店を出ると、通りを挟んだ向かい側の広場では、来週のパレードに向けた飾り付けの真っ最中だった。
 寒い季節で最も賑やかなイベント準備はとても楽しそうで、つい引き寄せ寄せられるように、自然と足がそちらへ向いてしまう。
 公園の入口から中央の噴水へと続く並木道には、たくさんの作業員がせっせと木の枝に飾り付けをしていた。その光景を眺めながらぶらぶら歩いていると、突然後ろから声を掛けられた。

「こんにちは、お買い物ですか」
「え、と……?」

 足を止めて振り返ると、軍服姿の男が立っていた。見覚えがあるような気がするが、誰だったか思い出せないでいると、相手からにこやかに助け船を出してくれた。

「第五部隊所属のキップスです。年末に一度だけ、事務所でお会いしましたよね?」
「あっ、その節はお世話になりました!」

 ようやく目の前のキップスが、第五部隊の事務所に泊まった夜コーヒーとサンドウィッチを出してくれた人物と重なった。あの時はバタバタしていて、お互い名乗り合う事もなかった。
 遅れて自己紹介すると、キップスは知ってますよ、とほがらかに笑った。

「以前から、うちの隊長が大層あなたを気にかけてましたからね。様子を見に、何度かお店まで足を運んだとうかがってます」
「あ、あー……そうですね」

 なぜアーベルが、そんなことを事務所で話していたのか不思議に思っていると、キップスが予想外のことを口にした。

「でも犯人も捕まったことですし、これでひと安心ですね」
「……犯人?」
「年末に起きた、例の通り魔事件のことですよ。表向きは酔っ払い同士の喧嘩になってますけどね。ずっと追跡していた犯人をとうとう検挙できて、我々もホッとしてたとこです」
「え……」
「ほら去年の秋頃から、うちの隊長が夜の街を巡回してたでしょう。見回りの途中に時間が許す限り、セディウスさんをご自宅までお送りしていたとうかがいましたよ。通り魔は深夜に出没するから、仕事で帰りが遅くなるセディウスさんのこと、隊長もずいぶんと気にされてましたからね」
「そう、だったんですか……」
「あれ? 隊長はセディウスさんにお話ししてるとばかり……これは失礼しました! あ、でも犯人も捕まったことですし、もう何も心配ありませんから!」
「はあ……」

 よかったですね、と同意を求められたが、まさに寝耳に水の話に生返事しか出来なかった。

(通り魔なんて、初めて聞いたぞ……)

 キップスと別れた後、広場の時計は正午近くを指していた為、急いで戻ることにした。荷物を抱えて、忙しなく足を動かしながら、俺の頭の中はまだ混乱してた。

(アーベルさんが夜、店の前で俺を待ち伏せしていたのは、通り魔を捕まえるためだった? そのついでに、俺を送ってくれてたって……でも犯人が捕まったから、もう心配ないから、だから最近見掛けなくなったのか?)

 やがて大通りから細い裏通りに入ったところで、安アパートの前には不釣り合いな、御者付きの立派な馬車が一台停まっているのが見えた。
 恐る恐る近づくと、馬車の扉が開いてアーベルが現れた。

「……出掛けてたのか」
「あ、うん……」

 先ほどキップスから聞いた話は、ひとまず頭の隅に追いやることにした。でも、なんだか落ち着かない。
 馬車から降り立ったアーベルは、まごまごしている俺から、ほぼ強引に荷物を奪うと、アパートの玄関へ向かって歩き出した。だが扉の数歩手前でピタリと足を止め、問うような視線を俺に投げた。

「……あ、今鍵開けるよ……」

 先回りして扉を開けると、アーベルは躊躇うことなく足を踏み入れた。
 せま苦しい玄関ホールは、常に薄暗くてほとんど光が差し込まない。天井からは、先月から切れたままの電球がほこりをかぶった状態で吊り下がっている。
 アーベルは辺りを見回しながら、あっけに取られた表情を浮かべた。

「ええと、俺の部屋は二階だから、こっち」
「ああ……」

 二階へと続く、年季の入った木製の階段は、一段登るごとにギシギシと軋む。築三十年の、賃料が格安な木造アパートなんてこんなものだろうが、アーベルはショックを隠し切れないようだ。

(あんな立派な馬車に乗るような人にとっちゃ、こんなとこでも人が住めるんだって驚くだろうなあ)

 ようやく部屋に到着すると、アーベルは荷物を抱えたまま、所在なさげに扉の前に立ち尽くした。

「先に荷物片づけちゃうから、そこのベッドにでも座って待っててよ」

 俺が荷物を片づける間、アーベルはベッドには座らず、何かを検分するように狭い部屋の中を歩き回っていた。窓枠に手を掛けて何か確認したり、暖炉の中をのぞいたりと謎の行動を取っていたが、俺が片づけ終わるタイミングで再び扉の前に戻った。

「扉は、この金具を止めるだけなのか。鍵は?」
「ああ、この間壊れちゃって」
「防犯上問題だろう」
「うちに泥棒なんか入ったって、盗る価値の物なんて何もないよ」
「そうではない……君の身に危険が及ぶかもしれない、という意味だ」

 そうつぶやいたアーベルの顔が苦しそうに歪められ、俺はつい目を逸らしてしまう。いつものお説教のように声を荒らげることもなく、こんな風に心配そうに言われると、どう反応したらいいか分からない。

「あー、うん……修理しておくよ」
「それから窓にも鍵をつけた方がいい」
「んー」
「今日中だ。私が手配をしておく」

 また勝手なことを、と少しだけムッとしてアーベルの顔をにらんだ。

(通り魔は捕まったんだから、もう心配する必要ないじゃないか)

 もしかしたら通り魔だけじゃなく、他にも犯罪者がこの辺りに潜んでるのかもしれない。あまり治安がよくない場所ゆえに、アパートの家賃もそれに比例して格安だ。安いからこそ、俺もなんとか部屋を借りられる。

(もしかして……俺が犯罪者に襲われたりしたら、別の捜査の邪魔になったりするとか?)

 頭に浮かんだその可能性に、俺は憂鬱な気持ちでアーベルの渋面を見返す。

「じゃあ……悪いけど、鍵の件よろしく頼むよ。後で工事費、請求してくれ」

 アーベルは俺の言葉に、ようやく安堵の表情を浮かべた。

「……では、遅くなる前に出掛けるぞ」
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