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【一】六・風薫る頃の聖女たち
083. デートのその後と女神の愛し子
しおりを挟む「――フィフィ姉さまー! おはようございまーす!!」
まだ空の薄暗い早朝。ひとりで眠る私の部屋に、イラリアが押しかけてきた。
約束の時間には早いから、まだ……と。私はイラリアの声を無視して、布団を掛け直す。
今日は、待ちに待ったデートの日。
ふたりで街に出かけ、一緒にお買い物をする予定を立てている。
多忙な日々のなか、特にストレスフルだったとある日――面倒な神官たちとついに弁論合戦を繰り広げ、どうにか休日を勝ち取った時は爽快だった。
「わたしイラリア。今、あなたの部屋に入ってきたの」
「……」
「わたしイラリア。今、あなたのベッドのそばまで来てるの」
「……」
「わたしイラリア。今、あなたのベッドの中にいるの」
「……貴女って、本当に私を寝かせてくれないわよね」
どうして私の口は、こうなのだろう。
彼女にこんな扱いをしてしまうのだろう。
イラリアは『ツンデレ姉さまも可愛いです』なんて言って愛してくれるけれど……。
――貴女でなければ、私をこんなにも愛してはくれないわね。きっと。
イラリアはベッドの中にまで侵入し、ふふふと笑って私を抱きしめた。
「フィフィ姉さま、今夜は寝かせませんよ?」
「今夜も、の間違いではなくって?」
「うへへへ~」
彼女は半月以上も私を慮って我慢してくれたのに、私はこんな言葉を吐く。
――今夜は甘やかしてあげるから、許して頂戴。なんて、甘えたことも想うのだけれど。
「私と結婚する気があるのなら、はしたない笑い方はおやめなさい」
「えへへっへへ~」
こんな笑い方も、可愛くて。
――貴女のことが、大好き。
「……婚約を破棄しましょうか」
「やだぁ! 姉さまごめんなさい。ちゃんと良い妻になりますから――」
そんなこんなで、朝からいちゃいちゃツンツンデレデレした私たちは、初夏の街に出かけていくのだった。
一緒にごはんを食べて、おそろいの服を買って、いっぱい話して――……
「――姉さま。今日、楽しかったですか?」
「ええ、楽しかったわ。ありがとう、イラリア」
「ふふっ、どういたしまして。……私が姉さまと結婚して侯爵夫人になっても、たまにはお忍びデートもしてくださいね」
「貴女からの頼みなら、検討してみるわ」
「……フィフィ姉さま」
イラリアは立ち止まると背伸びをして、私にちゅっと軽やかなキスをした。
「今日も、一緒にいてくれてありがとう。大好きです」
「私も、貴女のことが好きよ。イラリア」
私からもキスを返すと、彼女は嬉しそうに微笑む。
こんな平和な日々が、どうかずっと続いてほしい――
「さっきも言った通り、今夜は寝かせませんから」
「そう、ちゃんと楽しませてくれるのかしらね」
クスクスと笑い合って、手を繋いで帰っていく。
日が暮れかけている空に、一番星がキラリと光った。
「あのね、イラリア」
「はい、フィフィ姉さま」
眩い一番星の下、私は彼女に想いを告げる。
「私も、貴女と一緒にいたいわ。私も、どれだけ一緒にいても足りないわ」
それに――私には、もう、十年も無いのかもしれないのだから。
「今夜からは、堂々と一緒にいましょう。女神さまの思惑を考えても、きっと、この方がいいと思うの。ほら、物語って、ひっくり返した方が面白いでしょ?」
「ふふ、そうですね。私と姉さまは、あの物語どおりなら、結ばれない関係。えへへっ、抗うなら、とことん抗うといたしますか!」
「女神さまへの宣戦布告ね」
恋人の明るい笑顔が、今日も頼もしい。
――いつか、ひとりになっても。ひとりでも、笑って、前向きに生きてくれる? 貴女は。
「女神さまは、いまのところ、まるで元の道に戻したがっているかのように思えるわよね。神殿の様子からして、私と貴女は引き裂かれようとしている」
「残念ながら、そうですよねぇ。むむむ」
「――もう、元に戻ることなんてないのに。あの人たち自身も、彼らの記憶も帰ってこないし。それに私が死んだところで、貴女やドラコが悲しむだけで、なにも面白くない気がするのよね。ここからまた悪女に堕ちるのかしら? そしたらざまあみろになる?」
「もしもおかしな力がはたらいても、姉さまが堕ちないように、私が止めてみせますよ」
「ありがとう、頼りにしてるわ」
「こういう、人間たちの抵抗や葛藤を。女神さまは、面白がっているのでしたっけ」
「ええ――」
その日、私たちは女神さまの話をした。
――私たちの声も、貴女に、聞こえているのでしょうか? 貴女は、この姿も見ているのでしょうか?
聖女は神の愛し子だというけれど、このごろは特に、私は神に愛されている気がしない。むしろ嫌われているのではないかしらとさえ思う。恨まれているのかしらとも。
女神さまは、人間の営みを面白がる。人間の心や体で遊ぶ。
圧倒的な力の下で、ただ人は無力だ。彼女はすべてを破滅させる力をもちながら、手加減をして遊び笑う。そのはず、だ。
――貴女の〝愛〟って……何?
「フィフィ……」
「……イラリア」
初夏の夜。愛しいひとに抱かれながら、私は、遠い神の目を意識した。もしかしたら、今の姿も見られているかもしれない。音や声を聞かれているかもしれない。
「イラリア、好き……、だいすき……」
――滑稽ですか? 私たちの関係は。
聖女という生き物は、女神さまに〝愛されている〟からこそ、彼女により強く振り回される運命だというならば。
私たちは、ずっと、こうなのかもしれない。
――抗うことさえ、貴女の思惑どおりなのか。貴女の望みは、何なのか。わかるようで、わからないの。どの答えも、満点になれない気がするの。ねえ、貴女は……
ふたりの汗の匂いと混ざるように、夏の匂いがした。
甘い快楽と愛に満たされて落ちた夢の中、私は誰かの声を聞く。
『――もう一度、貴女は――になる――絶対に』
その声は、どこかで聞いたことがあるような、なんだか懐かしいような、とても不思議な声だった。
それでいて、私は彼女の言葉を強く拒絶したかった。
――私は、二度と、なりたくない……。あんな女には、もう、ならない……!
翌日から、一時、オフィーリア・フロイド・リスノワーリュという聖女の祈りは、ぱたりと止まった。神殿から、彼女はこれまでのようには求められなくなった。
「姉さまが毎日お家に帰れるようになって嬉しいです」
「私も、貴女やドラコの顔を毎日見られて嬉しいわ」
束の間の平穏――そして、
「こんばんは、姫様、あるいは、いつかの女王陛下」
「私は姫ではあっても、女王ではありません」
私、聖女オフィーリアは、この地を治める国の姫になる。どこかの誰かの言葉を借りるなら、――再び。
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