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事例1 九十九人殺しと孤高の殺人蜂【解決篇】

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「お姉ちゃん! やめてっ!」

 世界が、ほんの少しだけ歪んで見えた。平衡感覚を失ったかのごとく、岡田の腕を容赦なく捻り上げた姉の姿が斜めになって映る。広瀬のほうへと視線をやると、どうやら突き飛ばされた勢いで気を失ってしまったらしい。ぐったりとしていた。彼のほうに駆け寄ってやりたいのだが、しかし金縛りにあったかのごとく目が姉から離れない。

「――どうして? こいつは悪いことをしたのよ? それこそ、何人もの人間を殺している。殺された犠牲者の命は二度と戻ってこないのに、こいつはのうのうと生き続けるのよ。それって不公平。本当に不公平」

 姉の言動は、縁でさえ理解できないことがある。そもそも、部屋から飛び出した縁を尾け、これまでの一連の流れをどこかから見守り、そして土壇場で飛び出してくるなど、普通の思考を持っている人間にはできないことだ。身内に対してこんなことは言いたくないが――狂っている。坂田とはまた別の狂いかたで。

「そいつは五人もの人間を殺しているから、法が裁いてくれるよ! きっと死刑になる。だから、お姉ちゃんが――」

「縁ちゃん。あなたも知ってるはずよ。法がどれだけ役立たずで、被害者に対して残酷なのかを。被害者のことばかりクローズアップされて、加害者のことなんて二の次なの。加害者は罪を犯したんだから、それ相応の罰を受けて当然。でも、罰を受ける必要のない被害者まで、連日のようにテレビに顔写真が流されて、遺族のところにはマスコミが押し寄せる。警察まで、容赦なく事情聴取を行おうとする。この国はね――加害者に優しい国なの。加害者だけに手厚い待遇が用意されている国なの」

 岡田の腕がおかしな方向に曲がっている。その腕を掴んだままアイスピックを拾い上げる姉。その姿に心臓がどくりと脈打ち、ぐわりと視界が歪む。

「だからって、お姉ちゃんがそんなことをする必要はないよ! 止めて……お願いだから止めてよっ!」

 姉が高々とアイスピックを振りかざした。そして、恐る恐ると振り返った岡田が、恐怖に満ちた表情を浮かべる。その恐怖のあまりか、言葉も出ないようだ。

 もう見ていられない。しかし、目を閉じることも、視線を外すこともできない。姉は岡田を抱きしめるような体勢になると、ぽつりと言葉を漏らしてアイスピックを振り下ろしたのであった。

「さようなら。コンプレックスまみれの殺人鬼さん――」
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