狡猾な狼は微笑みに牙を隠す

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「おい岩瀬ぇ、この数字なんだ? もうそろそろ締めだって分かってんのか愚図がよ」
「すみません」
「分かってんのかって聞いてんだよ!」
「はい」
「分かってんだったらさっさと客先回って契約取ってこい! 何呑気に昼飯食ってんだこのウスノロ!!」
「すみません。行ってきます」

 今日も今日とて、支店長は怒鳴っている。
 矢造が来てから早一ヶ月。もともと仕事の出来る人だったからこっちの支店でもすぐに大口の顧客を掴んで、そこそこの成績を出しているからか支店長も矢造には罵声を飛ばし辛いらしく、もっぱら俺ばかり怒鳴られている。
 矢造に被害がいかないならむしろ自分が怒鳴られた方がマシだから、全くもって構わない。

「岩瀬くん、ちょっと待って」
「はい?」

 コンビニ弁当を食べている最中に出勤してきた支店長にその弁当を床に投げられ、諦めて外回りに出ようとしたのを矢造に止められた。何か用事だろうか、と床にぶち撒けられた食べ物を拾っていると、矢造が俺の方にスマホを向けて、そしてカシャッ、と写真を撮られた音がした。

「あの……?」
「矢造、テメエ何してんだ」

 矢造の行動に反応した支店長が、低い声で恫喝するみたいに寄ってきた。

「何って、証拠写真ですよ」
「ああ!? なんの証拠だ! 馬鹿言ってんじゃねえぞゴラ!!」
「……馬鹿なのはどっちかなあ」

 矢造は支店長の脅しなんて全く怖くないみたいに目を細めて笑って、それからオフィスの出入り口に視線を送った。釣られてそちらを見た俺と支店長が、そこに人の姿を認めて、そして支店長だけがやおら慌て出した。

「しゃっ……社、長。どうしてここに」
「どうして? 自分の会社に来ちゃいけないのかな?」

 年の頃は六十過ぎくらいだろうか。細身で、しかし肩幅の大きい立ち姿は昔何かスポーツをやっていたんだろうな、と想像させる。支店長に社長と呼ばれた男は大股で歩いてこちらへ寄ってきて、そして俺の方を見て眉を顰めた。

「何をしてるんだい?」
「……いえ」
「床に弁当を落としまして! 愚図な奴で! 自分で拾っているだけです!」

 俺より先に答えた支店長は「そんな事よりこちらへ!」と社長の視線から俺を隠すように間に割って入ってきて、だけれどその姿を見て矢造がクスクスと笑い出した。

「何笑って……! い、いや、何がおかしいんだ、矢造くん」
「これなーんだ」

 いつも通り罵声を浴びせようとして矢造を睨みながら言い直した支店長は、しかし矢造が胸ポケットから出した物を見て震え出した。
 指先大の白いプラスチック製の物体は、恐らくUSBメモリか何かだろうか。それが何なのか分からない俺はどうして支店長が黙ったのかも、矢造が素に近い態度を取っているのかも、どうして社長がここに居るのかも分からず床に蹲んだまま見守るしかできない。

「……し、知らない。俺は関係ない」
「あは、そんな顔で言っても全然説得力無いよねー。ていうか、コレ貴方のデスクから抜いたんですよ?」
「人の私物を勝手にッ!」
「はい、認めましたね。コレ、貴方のですね?」
「違う!!」
「そんなに焦るってことは、コレの中身知ってるんでしょ? 顧客情報と、それに値段を付けてドコに売ったかの一覧表♡」
「知らないっ!」
「こーんな丁寧に記帳しておいてくれるなんて、すごい助かっちゃった。コレ一個見れば貴方がやってた悪事が丸わかり」
「知らないって言ってるだろ!」

 矢造と支店長はしばらく終わりの見えない言い争いをしていたが、社長が咳払いをして双方黙った。
 余裕の笑みを浮かべ続ける矢造を指差し、支店長は社長に縋るように叫ぶ。

「社長! こんな平社員の言うことを信じませんよね!?」
「でも、これは確かに君のパソコンで作られたものらしいからねぇ」
「誰かに嵌められたんです! 私は……、私はこれまでの三十年、この会社に尽くしてきた! そんな私とこの若造、どっちを信じるんですか!!」

 いつもジジイ呼ばわりしていた矢造を今は若造呼ばわりした支店長は、顎を摩って「そうだね」と頷く社長を見て希望を見出したのか口角を上げた。

「知り合ってからの年数が長ければ、それだけ信用出来ると?」
「そうですとも! なんせ私は勤続三十年……」

 続けようとした支店長を、社長は無表情で見つめて矢造からUSBを受け取った。

「なら、尋の方が知っている年数が長いね」
「そうですね」
「……は?」
「何せ尋が生まれた時から知っているからね。ああ、紹介し忘れていたかな。僕の甥っこなんだよ」

 社長の言葉に、支店長が膝から崩れ落ちた。「甥っこ……」と呆然と呟く支店長のスーツの膝の下で、拾い切れていなかったご飯粒が潰れているのを見て少し気分が晴れる。

「まあ、もうこのUSBは調査済みだから、こんな茶番は正直必要無かったんだけどね。どうしても尋が君の情けない姿を見たいって言うから」
「ありがとうございます、伯父さん」

 ニコニコ笑う矢造は床で項垂れる支店長を見下ろしてご満悦のようでいて、どこか興味無さそうでもある。視線はずっと俺の方へ向いていて、まるで褒めて欲しがっているみたいに誇らしげだ。

「この人の処遇は任せても?」
「ああ。……浜部支店長、数日のうちに弁護士から連絡が行くだろうから、逃げないでね」

 逃げたら警察沙汰にするからね、と社長に囁かれた支店長は、青くなった顔を覆ってそのまま動かなくなってしまった。

「岩瀬くん、おいで」
「でも……」
「おいで」

 可哀想だとは全く思わないけれど、放っておいても良いのか心配ではある。矢造に腕を引かれて渋々支店の建物を出ると、社長は俺に「今まですまなかったね」と肩に手を置いてきた。

「触らないで下さい」

 それを素早く払った矢造が、俺と社長の間に割って入るようにして、支店の駐車場に停まっていた車の後部ドアを開いた。

「さ、どうぞ社長」
「なんだよ、せっかく来てやったのに。用が済んだらすぐ消えろってか」
「お忙しいでしょう? ささ、早く本社に帰ってあげて下さい」
「今度ちゃんと紹介しろよ」
「……絶対嫌です」

 親しげに会話する二人に、本当に叔父と甥なんだな、と眺めていたら、不意に二人の視線がこちらに向いて首を傾げた。

「何か?」
「君には辛い思いをさせたね。しばらくは尋と二人で、ゆっくりしてくれればいいから」

 ゆっくり? どういう意味かと問い直そうとする前に、矢造が車のドアを閉めてしまった。濃いプライバシーガラスの向こうで、社長が手を振ったので頭を下げた。
 発進していく車を見送ると、矢造が長い溜め息を吐いた。

「ああ疲れた。ねぇ久斗くん、ご飯行こう、ご飯」
「え?」
「話はご飯食べながらするから」

 今日は和食の気分、と言う矢造はすぐさま通りでタクシーを拾って、それに俺を押し込むと運転手にお勧めの鮨屋を聞いてそこへ向かったのだった。








「……つまり、パワハラの証拠集めをしていたら顧客情報流出の証拠が出てきて、それを調べる為に他の社員を問い詰めたらそっちからもボロボロ不正が出てきた、と」
「簡単に言っちゃえばそんな感じだねー」

 日替わりランチを頼んで食べながら矢造の話す詳細を聞いていたら、頭が痛くなってきて途中でそれに割り込んだ。
 名簿業者に顧客情報を売っていた支店長は、その業者から未契約の鴨リストを買って契約を増やしていたらしい。それに手を貸して分け前を貰っていた副支店長と、角田は小額だが横領していたらしい。白城は唯一マトモに仕事をしていたが、仕事で得た顧客情報を使って新興宗教の勧誘もして回っていたのだという。
 パワハラどころの話ではないな、と茶碗蒸しを掬ったスプーンを口に運ぶと、正面に座る矢造の視線が俺の手の甲に向いてそれとなく角度を変えた。

「もっと早めに助けてあげたかったんだけど……。本当にごめんね」
「え? いえ、別に俺は」

 助けるだなんて大袈裟な。自分のことは自分でどうにか出来ますから、と答えると、矢造は目を細めて一瞬笑顔を消した。矢造の成果を否定する感じになってしまったかな、と言い繕おうとして、けれど彼はまたいつもの笑みを浮かべ直した。

「久斗くん、ほんと強いよね」
「いえ、元からあまり気にしない性質なだけで。それより、今まであの支店に配属された新人の子たちの方が可哀想でしたよ」

 トラウマになってないといいけど、と銀杏を早めに食べるか最後にするかスプーンの先でつついていたら、矢造も「そうだね」と溜め息を吐いた。

「実は、もう何人かには戻ってこないか? って打診してみたんだ。けど、頭が一新したとしても、もうあの支店の建物見るだけで怖くて無理だって言われちゃって」
「完全にトラウマになってるじゃないですか」
「うん、だからね、宇都宮支店は取り潰して、抱えてる顧客ごと佐野支店と合併しちゃおうって話になってね。久斗くんの都合が悪くなければ、来年度から君も佐野支店に移ってほしい」

 それまではゆっくりこっちの支店の後片付けでもしててくれればいいから、と言われて、さっき社長に言われた「ゆっくりしてればいい」の言葉の意味に辿り着いた。でも、確か社長は「尋と一緒に」とも言っていた。

「……矢造さんも、三月までこっちに居るんですか?」
「三月どころか、四月からも一緒に佐野支店に行くよ」
「本社に戻らないんですか」

 柳生に会えなくて寂しいでしょう、と揶揄ったけれど、矢造はミニとろろ蕎麦を啜ってからニッコリ微笑んだ。

「抱えてた担当も教育係も、アレコレぜーんぶ他の人に引き継ぎしてきちゃったから、もう俺があっちに戻っても居場所なんか無いよ」
「……え……」
「久斗くんに会いたくて、追い掛けてきたんだよ」
「……」

 カツン、とスプーンの先で茶碗蒸しの碗を叩いて、何と返事すればこの男が「冗談だよ」と笑い出すのか考える。
 期待するな。呼吸がてら嘘を吐く矢造の言葉に右往左往してやる義理なんて無いんだから。

「一体向こうで何やらかしたんです?」
「何もしてないよ。左遷じゃない。希望して転勤してきたの。久斗くんに会いたくて」
「……そうですか」
「そうだよ」

 冗談めかしてみても矢造は再度『俺に会いたくて』と重ねてきて、だけれどいつもの薄く微笑んだ表情を崩すことなく、平然と茶碗蒸しの碗を持った。
 普通、そんな事を言われたら告白かと思う。思うよな。おかしいかな。いや、転勤だぞ? わざわざ県を跨いで引越しして転勤してくる理由が自分に会いたいからだと言われたら、告白だと思うよな? 
 ……いや、相手は矢造だ。やっぱり揶揄われているに違いない。遠回しな告白なら俺の返事を期待してソワソワしそうなものだけれど、矢造にその素振りは見えないし。
 やはりただの冗談だろう、とスプーンで銀杏を掬って口に入れて、ほのかに甘くてねっとりしたそれを噛んで一人で頷いていたら、スプーンの上に銀杏を載せた矢造が「好き?」と訊ねてきた。

「銀杏ですか? まあ、そこそこ好きですかね」
「ううん、俺のこと」

 咀嚼を止めて固まった俺を見て、矢造が目を糸みたいに細めて笑う。あ、なんだやっぱり揶揄って──。

「久斗くんが俺を好きだったら両思いなんだけど」
「……」
「どうかな」

 どうかな、って。

「え……っと、ちょっと……待って下さい」

 そういう話、ランチで混み合ってる飯屋でするか?
 額を押さえて混乱する頭を落ち着かせようとする俺に、隣の四人席に座るマダム達の視線が刺さってきている。いや、そうだよな。スーツの男と男が平日の真っ昼間からする話じゃないって。
 聞き耳を立てられていると分かっていて本音を返せる訳もないのに、チラと矢造に視線を向けるとこちらへ銀杏の載ったスプーンを差し出してきた。

「好きならあげる」
「……いや、あの、まだ俺なにも」
「銀杏のことだよ?」

 うぐぐ、と俺が両手で頭を抱えて唸るのに、彼は涼しい顔でスプーンを引っ込めて茶碗蒸しを食べ始めた。
 揶揄われて感情を振り回されるこの感じは久しぶりで、懐かしい。こんな衆目の場で告白されて恥ずかしいのに、嬉しくて口元が緩みそうでグッと強く唇を噛んだ。

「そ、そういう冗談は……反応に困るんですが」

 俺の返事を聞いたマダムたちがあからさまにガッカリした表情をしたのが視線の端に見えて、いや見世物じゃないぞ、と苦々しく目を伏せる。
 食べ終えて盆に箸を置いた俺を見て、矢造はさして気にした風もなく頷いた。

「気長に待つから、好きになったら言ってほしいな」
「……はあ」

 答えを急かしはしないけれど、断らせもしない言い回しに呆れて生返事を返すしかない。ああ、そうか。この人、断らせない為にわざとここで言ったな。
 意図に気付いて睨み付けた俺を見つめ返して、矢造は楽しげに両手を合わせて「ご馳走さま」と呟いた。


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