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4. 俺が買わせてもらった

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 寝返りを打つたびに、ギシギシときしむ不安定なベッドで、ナタリーはロイと手をつないで横になっていた。

 今日は一緒に寝たいと、珍しくワガママを言ったロイの頭に頬を寄せると、ほんのりと温かい子どもの体温が、何ともいえず心地良い。

 焦燥感が先立ち生活に追われ、両親の死を悲しむ暇さえなく、涙すら出なかった自分は薄情な娘なのかもしれない。

 先日返済の催促にきた金貸しに、残りはもう少し待ってほしい旨を伝えたところ、案の定「その気になれば借金などすぐに返せる」と、身売りを要請してきた。

 なんとしてでも爵位はロイに残してあげたい。
 そして今、ナタリーが売れるものといえば、自分自身だけだった。

「それでも、売れるモノがあって良かった」

 両親であるアーデル子爵夫妻が亡くなり、莫大な借金があると分かるや否や、皆、手のひらを返し離れて行った。

 親族も、婚約者も、誰一人助けてはくれなかった。
 今回ナタリーが自身を売ったお金で借金は完済し、それどころかまとまった金額が手元に残る。

 金貨を見て目の色を変えた伯父がロイを引き取り、後見人になってくれることになった。

 何にお金を使うつもりかは知らないが、それでもナタリーにとっては充分ありがたい。

「サンドイッチ、美味しかったな」

 レストラン『ハナニワ』で待ち合わせをした際、お腹を空かせていたのを覚えてくれていたのだろうか。

 空っぽの屋敷を見て、食事すら満足に食べられない貧乏貴族だと、心配してくれたのだろうか。

 あんなに酷いことをして騙したのに、今日は軽食やお土産を持参してくれた上、危ないからと護衛まで置いてくれた。

 子守りに慣れているのか、人見知りのロイがあっという間に懐いてしまう。

 つい甘えたくなってしまう、優しい物腰。
 穏やかで柔らかい雰囲気は安心感を与え、一緒にいるととても居心地が良い。

「素敵な人だったな……」

 明日の正午に、伯父がロイを引き取りにくる。
 その後、自分を買った男と金貸しが迎えにくる手筈になっていた。

 十六歳の少女を金で買うような男だ。
 一体何をさせられるのか怖くて仕方がないが、清濁併せ呑むくらいでなくてはこの先きっと自分の心を守れない。

 弟と一緒にいられるのは、あと半日……せめて笑顔で送り出してあげたい。

 そして、そんな自分を覚えていてくれたら嬉しい――。

 こぼれそうな涙に蓋をするように瞼を閉じて、身動いだロイの小さな身体をギュッと抱きしめたのである。


 ***


 すべての準備を整え、正午まであと半刻というところで呼び鈴が鳴った。

「伯父様かもしれないわ。少し待っていてね」

 ロイを二階に待たせ玄関の扉を開くと、衛兵だろうか、帯剣した大きな男が立っている。

「!?」

 圧迫感に怯えて周囲を見回すと、馬車から歩いてくるルドルフが目に入った。

「ナタリー様、おはようございます。昨夜は健やかにお休みいただけましたか?」

 不安気に見つめるナタリーの視線に気付いたルドルフは、少し気取った様子で声をかけてくる。

「はい、ありがとうございます。護衛の方がいてくださったおかげで、安心して眠れました」
「それはなによりです。こちらの彼は王都の衛兵……仮面舞踏会で割ってしまったお皿の件で参りました」

 昨夜小屋に泊まった護衛二人もルドルフの後ろに控えていえる。

 何やら物々しいが、一体どうしたことだろうか。

「中に入れていただいても?」

 これまでの優しい眼差しとは違う、責めるような冷たい瞳。

 ナタリーが承諾の返事をする前に、衛兵がずいっと中に足を踏み入れた。

「えッ、あ、あの……」

 止める間もなく、四人の男がズカズカと屋敷へ入ってくる。

 一階の応接へ案内すると、ルドルフと衛兵は乱暴にソファーへと腰掛けた。

「これについて、何か弁明はあるか?」

 これまで見てきた彼とはまったく違う、命令するような冷たい声でそう告げたルドルフは、テーブルの上に何かの破片を置く。

 カシャンと軽い音を立てて散らばったソレ・・は、見覚えのある……そう。アーデル子爵お手製の、一見『高価に見える皿』。

 なぜそんな物を持ってきたのか。

 ――もしかして、バレた?
 思い当たることは一つしかなく、ナタリーが青褪めながら拳を握ると、またしても呼び鈴が鳴った。

「出て構わない。ついでだ、ここに連れてこい」

 有無を言わさず命じられ、ロイを迎えにきた伯父を応接へ案内すると、部屋を覗くなり思いもよらぬ状況に、伯父は扉口で固まってしまった。

「はじめまして、成金平民のルドルフと言えばお分かりになりますでしょうか」

 金持ちといえど、ルドルフは平民。
 だが横柄な態度で臨む彼の姿に、伯父はムッとしたように口を開いた。

「勿論、知っている。平民がこの屋敷に何の用だ? 噂を聞きつけて、貴族のおこぼれが貰えないかと馳せ参じたのか?」
「伯父様! なんて酷いことを!?」

 あまりに失礼な物言いに驚いたナタリーが詰め寄り、やめさせようと腕を掴むと、伯父は苛立ったように大きく腕を振り払う。

「きゃあッ!!」

 思わずよろめき尻餅を突くと、慌てて駆け寄った衛兵が助け起こしてくれた。

「残念だが、もう買い手はついている。お前に売るわけにはいかんな」

 この人は、なんてことを言うのだろう。
 喉の奥でクッと笑う伯父の姿を、ナタリーは信じられない思いで見つめていた。

「そうですか? 実を言いますと、こちらも色々困っておりまして」

 ルドルフは鞄から資料を取り出し、先ほどの破片の上へ放り投げた。

 貴族に対する態度とはとても思えない傲慢な様子で、読めと指を差す。

 一体何が書いてあるのか……ソファーに座り、渋々拾い上げた伯父は、ページを一枚めくるごとに青褪めていった。

「こちらの破片は元々大きな皿だったのですが、美術品だと称し貴族の身分を笠に着て、ナタリー様から金貨百枚を騙し取られまして」

 だ、騙し取る!?
 確かにそのとおりなのだが、納得の上でのお支払いだと思っていたのに……違ったらしい。

 お茶を出す暇もなく話し始めた二人を余所に、ナタリーはゴクリと喉を鳴らす。

「困って衛兵に相談したところ、たくさんの埃を見付けまして……とても覚えきれないので文字に起こした次第です」

 侮蔑の視線を送るルドルフを、資料を読み終えた伯父が血走った目で睨みつけた。

「まずあの皿の価値ですが、せいぜい銀貨十枚。それを金貨百枚とは……」
「ナタリーがやったことだろう。それに一度受け取った物を返せと言われても、無理な話だ」
「そうですか。実はアーデル子爵の借金についても、件の金貸しを捕まえ話を聞いたのですが」

 頬杖を突き、ルドルフは呆れたように頬を引くつかせる。

「元々、貴方の借金だったようですね? 使用人への給与未払いは、経理を任された貴方が使い込んだことが原因だとか」
「伯父様、それは本当ですかッ!?」

 驚きのあまりナタリーが伯父の手から資料を奪い、目を落とし……段々と血の気が引いていく。

「借金の金貨百枚も、伯父様の……?」
「返せるあてもなく、アーデル子爵が亡くなったのをいいことに、それでは取れそうなところから搾取しようと、金貸しと共謀して名義をアーデル子爵に書き換えたんだ」
「……!!」

 それが本当なら借金を押し付けた挙げ句、ナタリーの身売りを斡旋したことになる。

 さらにはロイの後見人に名乗りを上げ……ロイのために預けるつもりだった金貨まで、手に入れるつもりだったのだろうか。

「この金貸しには以前から目を付けていまして、先ほど捕らえて聴取中です。すぐに証拠は出揃いますよ」

 先ほどナタリーを助け起こしてくれた衛兵が、すかさず補足する。

 嘘であって欲しいと思ったが、これは――。
 ナタリーはショックのあまり両手で口元を押さえ、その場にへなへなとしゃがみ込んだ。

「それでは、お引き取り願いましょうか」

 ルドルフがにこりと微笑んだのを合図に、控えていた護衛に捕縛され、引きずられるようにして屋敷の外へと連れ出される。

「邪魔者もいなくなったので、本題に入らせてもらおうか。……二人きりにしてくれ」

 ルドルフの言葉を受け、その場にいた者が部屋を退室する。

 正面に座るよう促され、怯えるように座したナタリーは、緊張に震える手をぎゅっと握りしめた。

「お、お皿の件、申し訳ございませんでした……ッ!!」

 許してもらえるとは思わないが、でもそのおかげでこうやって伯父の悪行を明るみに出せた。

 どんな罪に問われても受け入れようとナタリーが次の言葉を待っていると、長い溜め息が耳へと届く。

「……お前を買った貴族は、金貸しへ代金を支払い済のため、身売りについて無かったことにはできない」

 しかも、身売りをしたのがバレてしまった。
 この人には知られたくなかったのに……ナタリーはキツく唇を噛みしめる。

「こちらも叩けば埃が出る身だったらしい。少し突ついたら、すぐに交渉に応じた」

 売られる本人すら誰が買ったか知らないのに、どうやって調べ上げたのだろうか。

 だが伯父を頼れなくなった今、ロイを守る術がない。

「なので、俺が買わせてもらった」
「――え?」

 その言葉に、ナタリーは信じられない思いでルドルフを見つめた。




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