7 / 45
おじさん、出戻るの巻
第7話 おじさん、いろいろ食べる
しおりを挟む
「はい、これ」
セオリアが手に二つ持ったパンを片方差し出す。
「なにこれ?」
「食堂のおばちゃ──職員の方がケントにって」
二枚の薄いパンの間には瑞々しいトメルト、レンタス、ピックル、オンニオ、そして薄く切ったベーコンが挟んである。
(ほぅ、これは……)
受け取ってさっそく。
はむりっ。
みずみずしさ~☆
瑞々しい!
口いっぱいに広がる心地のいい歯ごたえ。
野菜の元来持ってる苦み、甘み、旨味も絶妙にマッチしてる。
ベーコンも塩辛すぎない。
まさに口直しにちょうどいい塩梅だ。
グッ!
俺は食堂のおばちゃんに親指を立てる。
バチィン!
きっぷのいいおばちゃんがウインクで返してくる。
「さっきの男だけどね……偉い貴族の息子なの。で、味音痴のあいつに合わせて料理も作らされてたみたいで……。おばちゃ──職員の方、感謝してたわよ。『本当に味のわかる人が言ってくれてスカッとした』って。で、ケントならきっとこういう味が好きだろうってことで、お詫びに」
「なるほどなぁ、騎士団も色々あるんだな。しっかし、これ美味いな~。まさに『こういうのでいいんだよ』な味だ。うん、なかなかの腕だ。セオリアが出世したら、お抱えにしたらいいんじゃないか? いや……それよりも店を出して誰でも食いに行けるようにした方がいいか……?」
「ふふっ……それ聞いたら喜ぶわよ、おばちゃ──職員の方」
食堂のおばちゃんを執拗に「職員の方」と言い直すセオリア。
「お前さぁ……素直に『おばちゃん』って呼べば? そっちの方がお前らしいぞ?」
「ふぇ!? 私らしい……? で、でも騎士団長としての威厳が……えっと、あの……ケントは、どっちの方が……その……すき……ぃ?」
「ん? 素直な方だ。お前が無理して偉そうにしてるの見ると、な~んか肩凝るんだよ。お前にはお前のいいところがあるんだから、べつに無理してそんな偉ぶるこたぁねぇだろ」
「そ、そう……!?」
なんか急にふにゃふにゃし始めるセオリア。
周りの騎士たちが何事かと注目する。
「ケントがそう言うなら考えとくね……! わ、私のいいところ……ぐふふふ……ケントが……ケントが私のこと『好き』って言った……! ケントが私の素直なとこ『好き』って言った……! ぐふ、ぐふふふ……」
「え~っと、セオリア?」
「──ハッ! な、なんでもないわ! ほら、今から書類の手続きを済ませましょう! その後はデート……じゃない、街を散策よ!」
「お、おう。大丈夫なら別にいいんだが……」
「大丈夫! 私ならこの通り元気なんだから!(パンむしゃり!) ンゴッ……! ゲホッ……ゲホォッ!」
「おいおい、大丈夫か?(背中トントン)」
ムセるセオリアの背中を叩きながら、俺は周りからの「え? マジでなんなんあいつ? セオリア団長と気安すぎじゃね? 殺っちゃう? ねぇねぇ殺っちゃっていい?」という念をかわしつつ食堂を後にした。
◇
「ん~! お疲れ様!」
詰め所から出たセオリアがノビをする。
「文字なんて久々に書いたよ」
「ええっ!? あ、でもあんなところで暮らしてたら仕方ないかぁ。うん、よしっ! それじゃあ頑張って十年ぶりに文字を書いたケントに、私がなんでもご褒美を買ってあげましょ~!」
「え、いいよ。悪いし」
「え、ガーン……。迷惑……? イヤだった……?」
あ、泣きそう。
「イヤとかじゃなくてさ、こんな若い子に奢ってもらうなんてカッコがつかんよ。これでもいい年のおっさんなんだ、勘弁してくれ」
フォロー、フォローっと。
「そ、そう……。『こんな若くて可愛い子に奢ってもらうなんて』ね……ぐふふ……」
「おい? そこまでは言ってないぞ?」
「え~っと、じゃあこうしましょう!」
「無視かよ……」
「私がお金を貸します! だから、それで私に奢って!」
「えぇ~……?」
「なんでイヤそうなのよ!」
「お金を貸してくれるのは助かるんだが、お前に奢る理由がない」
「へぇ~……?」
セオリアは意地悪そうに笑うと。
「『つ』ぅ~?」
と、口を突き出し。
「『ぐ』ぅ~?」
と続けて近づいてくる。
タコみたいな口をして。
(う~む、唇ツヤツヤ……)
……じゃなくて!
これはマズいだろ……。
天下の騎士団長様のこんな格好を見られたら誤解されるだろうが……。
「はいはい! つぐない、つぐない! 償うから早く行こう! で、なにが欲しいんだ? 高いのはダメだぞ?」
「うん!」
パァ~☆
セオリアの顔が輝く。
(ハハ、子どもみたいな顔しやがって)
そう思った瞬間、俺の脳裏に蘇った。
セオリアを、パーティーに誘った時の記憶が。
(なんだ……案外憶えてるもんだな)
忘れてるだけ。
いや、忘れたかった。
忘れようとしてただけなのかもしれない。
「ねぇ、ケント?」
「ん? なんだ?」
「あの……手、繋いでも……」
「は? 子供じゃないんだぞ?」
「え~、償い……」
「そういう問題じゃない、お前は騎士団長なんだ。しっかりしろよ、ったく……」
「うぅ~……!」
シュッ──!
ババッ──!
シュシュッ──!
シュパパパパッ──!
俺は手を繋いでこようとするセオリアを『超感覚』でかわす。
そんな俺たちを見た通行人が囃し立てる。
「あらあら、騎士団長様、こんな町中でも組手の稽古をしてらっしゃる」
「真面目で立派だな、女騎士団長どのは」
(なるほど……手を繋ぐとは「組手」──もしくは「合気」のことだったのか。なら、なおさら手を抜くことは出来んな……潜る──!)
シュバッ!
シュババババッ!
そうして俺たちは。
そのまま、いい匂いのする露天の方へと自然に吸い込まれていった。
◇
「え~、そっちなのぉ~!? あっちの『宮廷風カルモガブラックペッパー海楼蒸し』の方が高級品よ? お金多めに貸したげるからあっちにしときなさいよ、せっかく王都に来たんだし」
「いや、俺はこっちでいいわ」
「え~、でもぉ……」
広場脇の通り。
狭い道にギュウギュウに詰め込まれるように露天が建ち並んでいる。
俺はその中で一番安そうな店へと向かう。
「うぇ、しかもこれって……」
セオリアが鼻をつまむ。
「なんだ? ここは、いいとこの嬢ちゃんが来るような店じゃねぇぞ?」
いかつい店主がセオリアに凄む。
俺は気にせず注文。
「イトロマフライをひとつ……いや、二つくれるか? それとエールも」
「いいのか? お嬢さんは向こうの金持ち用の店でも行ってたほうがいいんじゃねぇか?」
「いや、いいんだ。ここがいいんだよ」
「そうか? いいなら別にいいんだが返品は不可だぞ?」
「ああ、わかってる」
ジュッ……。
すりつぶされたイトロマの塊が鍋に投入される。
粗悪な油の霧が舞う。
その熱が顔にビッとまとわりつく。
セオリアが顔をしかめる。
「ほらよ」
ドンッ。
ボロボロのグラスがふたつ、テーブル代わりの木箱の上に置かれる。
中には生ぬるいエール。
「ねぇ、ケント……これ、ほんとに飲むの……? エールなのに冷えてないんだけど……」
「セオリアは酒はいつから?」
「騎士団に入門して……一人前だと認められた叙任儀式の後のパーティーと……あとはやっぱり何かのパーティーで数回……」
「なら魔法で冷やされたエールを飲んでたわけだな」
「そう……ね」
「よし、じゃあこれをちょっとだけ口に含んでみるんだ」
「えぇ~? ちょっと匂いが腐ったみたいな……う~……グビッ」
エールを口に含んだセオリアは、情けない顔をして口をへの字に曲げる。
「はい、お待ち」
ドンッ。
木箱の上にイトロマフライが並べられる。
「ほら、すぐ手にとって一口。熱いから気をつけろよ?」
「うぅ~……」
不安そうな顔でフライを口に運ぶセオリア。
シャク──ゥ。
「……!? んむ~! んむぅぅ~~~!」
「ハハ、落ち着けってセオリア」
「むにゅ、むにゅ……ごきゅん! ……ッはぁ……! にゃ、にゃにこれぇ……! めちゃくちゃ美味しいんだけどぉ!?」
「ああ、これは先にこの粗悪なエールを口に含んどくのがコツでな。この酸味がイトロマの苦みを打ち消して旨味を引き出すんだ。どっちも高貴な連中の食べるものじゃないからな。俺たち貧民の知恵が生んだ食べ方なんだよ」
「こんにゃの……知らなかった……ゴクゴクハグハグ」
王都に来るまでの道中でも思ったが。
セオリアは本当に美味そうに食う。
釣った魚。
採った果実。
獲った鳥。
なんでも目を輝かせて食べた。
俺は一人で十分満足して生きていると思ってたんだが……。
「こういう時に感じる幸福──ってのもあるもんなのか……」
「ふぇ? にゃに?」
「いや、なんでもない。おやじ! これあと八つくれ! それから果糖汁を六つ、持ち帰りできるように頼む」
「ちょ……いくらなんでもそんなに食べられないわよ!?」
「いいんだよ、俺たちはすぐにお腹いっぱいになって返品不可なフライと果糖汁をここに置いていくんだから」
「はぁ? なに言って……」
ちらっ。
「あっ……!」
目線の先。
薄暗い路地裏の物陰。
指をくわえ、よだれを垂らしながらこちらを見てるスラムの子どもたち。
その数六人。
「ケント、あなた最初から……!」
「俺もああだったからな。自分が昔してもらったことを、そのまましてるだけだ」
「ケントにそんな過去が……」
「あのとき俺に恵んでくれた人……今頃どうしてるかね。今もどこかで元気にしてくれてるといいんだが」
ドンッ!
乱暴に置かれるフライ二つ。
それとナッツの盛り合わせ。
「……ナッツは頼んでないが?」
「ったくよぉ、冷やかしかと思ったんだが……ちったぁ、この辺のことをわかってるじゃねぇか。要するにこれはあれだ……おまけだ」
「そうか、ならありがたくいただこう」
「それと! 残りのフライ六つと果糖汁は、それを食い終わるくらいに持っていけばいいんだよな?」
「ああ、そうしてくれるとありがたい」
「へっ、毎度あり……」
「ケント……ほんとにあなたって人は……ごにょごにょ(どこまでカッコいいのよ……)」
王都、か。
何の未練もないはずだった。
けど、いざ来たら来たで色んなことが思い出されてくるな……。
それから、しばしのもぐもぐタイムの後。
「あ~、もうお腹いっぱい! 注文しすぎちゃった分、食べきれないわぁ~! あ、でもここ返品不可なんだってぇ~! しょうがないからここに残していくしかないわね~! あ~、もったいないけど仕方ないな~! このまま置いていくけど誰かが食べてくれたらな~!」
セオリア……いくらなんでもそれは棒読みが過ぎるぞ……。
でも。
セオリアは満足気に俺にウインクを飛ばす。
うん。
いいんだよ。
こういうので。
歓喜に沸く子どもたちの声を背中に受けながら。
俺達は、ゆっくりと露天を後にした。
その日から。
王都カイザスにひとつの噂が立ち始めた。
『黒髪の賢者
カイザスに現る。
かの者、慈悲に溢れ
その振る舞いはまるで『風』のよう。
かの者、機智に富み
風靡かつ風流を極む。
その『乙』なる者
見たもの全てを虜にす』
と。
セオリアが手に二つ持ったパンを片方差し出す。
「なにこれ?」
「食堂のおばちゃ──職員の方がケントにって」
二枚の薄いパンの間には瑞々しいトメルト、レンタス、ピックル、オンニオ、そして薄く切ったベーコンが挟んである。
(ほぅ、これは……)
受け取ってさっそく。
はむりっ。
みずみずしさ~☆
瑞々しい!
口いっぱいに広がる心地のいい歯ごたえ。
野菜の元来持ってる苦み、甘み、旨味も絶妙にマッチしてる。
ベーコンも塩辛すぎない。
まさに口直しにちょうどいい塩梅だ。
グッ!
俺は食堂のおばちゃんに親指を立てる。
バチィン!
きっぷのいいおばちゃんがウインクで返してくる。
「さっきの男だけどね……偉い貴族の息子なの。で、味音痴のあいつに合わせて料理も作らされてたみたいで……。おばちゃ──職員の方、感謝してたわよ。『本当に味のわかる人が言ってくれてスカッとした』って。で、ケントならきっとこういう味が好きだろうってことで、お詫びに」
「なるほどなぁ、騎士団も色々あるんだな。しっかし、これ美味いな~。まさに『こういうのでいいんだよ』な味だ。うん、なかなかの腕だ。セオリアが出世したら、お抱えにしたらいいんじゃないか? いや……それよりも店を出して誰でも食いに行けるようにした方がいいか……?」
「ふふっ……それ聞いたら喜ぶわよ、おばちゃ──職員の方」
食堂のおばちゃんを執拗に「職員の方」と言い直すセオリア。
「お前さぁ……素直に『おばちゃん』って呼べば? そっちの方がお前らしいぞ?」
「ふぇ!? 私らしい……? で、でも騎士団長としての威厳が……えっと、あの……ケントは、どっちの方が……その……すき……ぃ?」
「ん? 素直な方だ。お前が無理して偉そうにしてるの見ると、な~んか肩凝るんだよ。お前にはお前のいいところがあるんだから、べつに無理してそんな偉ぶるこたぁねぇだろ」
「そ、そう……!?」
なんか急にふにゃふにゃし始めるセオリア。
周りの騎士たちが何事かと注目する。
「ケントがそう言うなら考えとくね……! わ、私のいいところ……ぐふふふ……ケントが……ケントが私のこと『好き』って言った……! ケントが私の素直なとこ『好き』って言った……! ぐふ、ぐふふふ……」
「え~っと、セオリア?」
「──ハッ! な、なんでもないわ! ほら、今から書類の手続きを済ませましょう! その後はデート……じゃない、街を散策よ!」
「お、おう。大丈夫なら別にいいんだが……」
「大丈夫! 私ならこの通り元気なんだから!(パンむしゃり!) ンゴッ……! ゲホッ……ゲホォッ!」
「おいおい、大丈夫か?(背中トントン)」
ムセるセオリアの背中を叩きながら、俺は周りからの「え? マジでなんなんあいつ? セオリア団長と気安すぎじゃね? 殺っちゃう? ねぇねぇ殺っちゃっていい?」という念をかわしつつ食堂を後にした。
◇
「ん~! お疲れ様!」
詰め所から出たセオリアがノビをする。
「文字なんて久々に書いたよ」
「ええっ!? あ、でもあんなところで暮らしてたら仕方ないかぁ。うん、よしっ! それじゃあ頑張って十年ぶりに文字を書いたケントに、私がなんでもご褒美を買ってあげましょ~!」
「え、いいよ。悪いし」
「え、ガーン……。迷惑……? イヤだった……?」
あ、泣きそう。
「イヤとかじゃなくてさ、こんな若い子に奢ってもらうなんてカッコがつかんよ。これでもいい年のおっさんなんだ、勘弁してくれ」
フォロー、フォローっと。
「そ、そう……。『こんな若くて可愛い子に奢ってもらうなんて』ね……ぐふふ……」
「おい? そこまでは言ってないぞ?」
「え~っと、じゃあこうしましょう!」
「無視かよ……」
「私がお金を貸します! だから、それで私に奢って!」
「えぇ~……?」
「なんでイヤそうなのよ!」
「お金を貸してくれるのは助かるんだが、お前に奢る理由がない」
「へぇ~……?」
セオリアは意地悪そうに笑うと。
「『つ』ぅ~?」
と、口を突き出し。
「『ぐ』ぅ~?」
と続けて近づいてくる。
タコみたいな口をして。
(う~む、唇ツヤツヤ……)
……じゃなくて!
これはマズいだろ……。
天下の騎士団長様のこんな格好を見られたら誤解されるだろうが……。
「はいはい! つぐない、つぐない! 償うから早く行こう! で、なにが欲しいんだ? 高いのはダメだぞ?」
「うん!」
パァ~☆
セオリアの顔が輝く。
(ハハ、子どもみたいな顔しやがって)
そう思った瞬間、俺の脳裏に蘇った。
セオリアを、パーティーに誘った時の記憶が。
(なんだ……案外憶えてるもんだな)
忘れてるだけ。
いや、忘れたかった。
忘れようとしてただけなのかもしれない。
「ねぇ、ケント?」
「ん? なんだ?」
「あの……手、繋いでも……」
「は? 子供じゃないんだぞ?」
「え~、償い……」
「そういう問題じゃない、お前は騎士団長なんだ。しっかりしろよ、ったく……」
「うぅ~……!」
シュッ──!
ババッ──!
シュシュッ──!
シュパパパパッ──!
俺は手を繋いでこようとするセオリアを『超感覚』でかわす。
そんな俺たちを見た通行人が囃し立てる。
「あらあら、騎士団長様、こんな町中でも組手の稽古をしてらっしゃる」
「真面目で立派だな、女騎士団長どのは」
(なるほど……手を繋ぐとは「組手」──もしくは「合気」のことだったのか。なら、なおさら手を抜くことは出来んな……潜る──!)
シュバッ!
シュババババッ!
そうして俺たちは。
そのまま、いい匂いのする露天の方へと自然に吸い込まれていった。
◇
「え~、そっちなのぉ~!? あっちの『宮廷風カルモガブラックペッパー海楼蒸し』の方が高級品よ? お金多めに貸したげるからあっちにしときなさいよ、せっかく王都に来たんだし」
「いや、俺はこっちでいいわ」
「え~、でもぉ……」
広場脇の通り。
狭い道にギュウギュウに詰め込まれるように露天が建ち並んでいる。
俺はその中で一番安そうな店へと向かう。
「うぇ、しかもこれって……」
セオリアが鼻をつまむ。
「なんだ? ここは、いいとこの嬢ちゃんが来るような店じゃねぇぞ?」
いかつい店主がセオリアに凄む。
俺は気にせず注文。
「イトロマフライをひとつ……いや、二つくれるか? それとエールも」
「いいのか? お嬢さんは向こうの金持ち用の店でも行ってたほうがいいんじゃねぇか?」
「いや、いいんだ。ここがいいんだよ」
「そうか? いいなら別にいいんだが返品は不可だぞ?」
「ああ、わかってる」
ジュッ……。
すりつぶされたイトロマの塊が鍋に投入される。
粗悪な油の霧が舞う。
その熱が顔にビッとまとわりつく。
セオリアが顔をしかめる。
「ほらよ」
ドンッ。
ボロボロのグラスがふたつ、テーブル代わりの木箱の上に置かれる。
中には生ぬるいエール。
「ねぇ、ケント……これ、ほんとに飲むの……? エールなのに冷えてないんだけど……」
「セオリアは酒はいつから?」
「騎士団に入門して……一人前だと認められた叙任儀式の後のパーティーと……あとはやっぱり何かのパーティーで数回……」
「なら魔法で冷やされたエールを飲んでたわけだな」
「そう……ね」
「よし、じゃあこれをちょっとだけ口に含んでみるんだ」
「えぇ~? ちょっと匂いが腐ったみたいな……う~……グビッ」
エールを口に含んだセオリアは、情けない顔をして口をへの字に曲げる。
「はい、お待ち」
ドンッ。
木箱の上にイトロマフライが並べられる。
「ほら、すぐ手にとって一口。熱いから気をつけろよ?」
「うぅ~……」
不安そうな顔でフライを口に運ぶセオリア。
シャク──ゥ。
「……!? んむ~! んむぅぅ~~~!」
「ハハ、落ち着けってセオリア」
「むにゅ、むにゅ……ごきゅん! ……ッはぁ……! にゃ、にゃにこれぇ……! めちゃくちゃ美味しいんだけどぉ!?」
「ああ、これは先にこの粗悪なエールを口に含んどくのがコツでな。この酸味がイトロマの苦みを打ち消して旨味を引き出すんだ。どっちも高貴な連中の食べるものじゃないからな。俺たち貧民の知恵が生んだ食べ方なんだよ」
「こんにゃの……知らなかった……ゴクゴクハグハグ」
王都に来るまでの道中でも思ったが。
セオリアは本当に美味そうに食う。
釣った魚。
採った果実。
獲った鳥。
なんでも目を輝かせて食べた。
俺は一人で十分満足して生きていると思ってたんだが……。
「こういう時に感じる幸福──ってのもあるもんなのか……」
「ふぇ? にゃに?」
「いや、なんでもない。おやじ! これあと八つくれ! それから果糖汁を六つ、持ち帰りできるように頼む」
「ちょ……いくらなんでもそんなに食べられないわよ!?」
「いいんだよ、俺たちはすぐにお腹いっぱいになって返品不可なフライと果糖汁をここに置いていくんだから」
「はぁ? なに言って……」
ちらっ。
「あっ……!」
目線の先。
薄暗い路地裏の物陰。
指をくわえ、よだれを垂らしながらこちらを見てるスラムの子どもたち。
その数六人。
「ケント、あなた最初から……!」
「俺もああだったからな。自分が昔してもらったことを、そのまましてるだけだ」
「ケントにそんな過去が……」
「あのとき俺に恵んでくれた人……今頃どうしてるかね。今もどこかで元気にしてくれてるといいんだが」
ドンッ!
乱暴に置かれるフライ二つ。
それとナッツの盛り合わせ。
「……ナッツは頼んでないが?」
「ったくよぉ、冷やかしかと思ったんだが……ちったぁ、この辺のことをわかってるじゃねぇか。要するにこれはあれだ……おまけだ」
「そうか、ならありがたくいただこう」
「それと! 残りのフライ六つと果糖汁は、それを食い終わるくらいに持っていけばいいんだよな?」
「ああ、そうしてくれるとありがたい」
「へっ、毎度あり……」
「ケント……ほんとにあなたって人は……ごにょごにょ(どこまでカッコいいのよ……)」
王都、か。
何の未練もないはずだった。
けど、いざ来たら来たで色んなことが思い出されてくるな……。
それから、しばしのもぐもぐタイムの後。
「あ~、もうお腹いっぱい! 注文しすぎちゃった分、食べきれないわぁ~! あ、でもここ返品不可なんだってぇ~! しょうがないからここに残していくしかないわね~! あ~、もったいないけど仕方ないな~! このまま置いていくけど誰かが食べてくれたらな~!」
セオリア……いくらなんでもそれは棒読みが過ぎるぞ……。
でも。
セオリアは満足気に俺にウインクを飛ばす。
うん。
いいんだよ。
こういうので。
歓喜に沸く子どもたちの声を背中に受けながら。
俺達は、ゆっくりと露天を後にした。
その日から。
王都カイザスにひとつの噂が立ち始めた。
『黒髪の賢者
カイザスに現る。
かの者、慈悲に溢れ
その振る舞いはまるで『風』のよう。
かの者、機智に富み
風靡かつ風流を極む。
その『乙』なる者
見たもの全てを虜にす』
と。
応援ありがとうございます!
35
お気に入りに追加
120
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる