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【第2部】23.不安
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店に行くより前に、聡子はトモの身に起こっていることを知らされた。
会社近くに、カズがいたのだ。
「聡子さんっ」
「あ……市川さん?」
声をかけてきたのはカズ──市川和宏だった。
「こんばんは」
「こんばんは。お久しぶり……でもないですね。その節は大変お世話になりました」
ひと月はたってはいないが、もう半月は経っている。聡子は深々とお辞儀をした。
「そんなことしないでください。あの……お身体の、怪我の具合がいかがですか」
訊いていいものかと言ったふうに、カズは尋ねた。
「おかげさまで大丈夫ですよ。ご心配ありがとうございます」
「よかったです……あ、いや、よかったって言うのもおかしいですけど、怪我が良くなっているのは安心できるなって」
カズの言葉の選び方を聞いていると、彼は頭がいい人間なのではと感じた。思ったことをそのまま口にするのではなく、相手を見て気遣いをする人なのだろうと思った。もちろん聡子が今までに出会ってきた人間たちの中での感覚ではあるが。
「お仕事帰りですか?」
「はい、そうですね。聡子さんも、帰りですよね?」
「ええ」
「ちょっと聡子さんに伝えないといけないことがあって、近くで待ってました。職場がこの辺だというのはトモさんに聞いてたので……」
伝えないといけないこと、という言葉に聡子はびくりとした。
不安な気持ちが湧き上がってくる。
「……智幸さんについてですか?」
「はい」
「わたしも、市川さんにお尋ねしたいことがあるので、あとでお尋ねしても?」
「もちろん。たぶん……聡子さんの訊きたいことって、俺が話したいことと関係がある気がします」
心臓の音が早くなってゆく──嫌な予感しかしない。
「場所、変えますか」
「……そこの公園のベンチに座りましょう」
腰を落ち着けないといけない話のような気がしたのだ。
もう子供達は遊んでいない時間帯だ。薄暗くなり、外灯が公園の通路を照らしている。
ベンチに座り、聡子はカズの話を待った。
「智幸さんと連絡が取れないんですが、そのことと関係ありそうですね」
「はい」
カズはゆっくり頷いた。
「トモさんは、今、警察にいます」
「警察!?」
どうしてですか、と聡子はカズに詰め寄る。カズは、聡子を制止するように両手を胸の前に出した。
「任意の事情聴取に呼び出されたそうです。いわゆる『取調べ』っていうものかと」
「なんで……」
聡子は瞬きもせず、じっとカズを見返した。
カズは一度目を逸らし、聡子を見やる。
「嫌なことを思い出させてしまうのですが……」
「先日の件と関係が?」
「はい。あの時の男なんですが」
「トモさんの元同僚、というか仲間だったとかいう広田、って人ですか」
「あの人が、あの後《公然わいせつ》の罪で現行犯逮捕されたそうなんです」
あの時、カズが、あのまま外に出たと思う、というような発言をしていた気がする。暴行されたあとで体中が痛んではっきりとは覚えていないが、広田が下半身を晒したままフラフラと外に出ていったであろうとことはわかった。
「それで警察に連れてかれたわけですが、広田がそういうことになった経緯に、暴行を受けたことによって……ああなった、と供述したようで、トモさんに呼び出しが」
「なっ……下半身を晒したのはトモさんは無関係ですよ!」
思い出すのは恐怖ではあるが、自分に乱暴を働く際に自ら下半身を晒したのだということを聡子はわかっていた。
「それは俺もわかってますから」
任意なので、トモはある程度親しい人間に「警察に行ってくる」と話して行ったようだ。神崎会長、カズをはじめとした同居人、そして勤務している店のオーナー夫妻。
(でもわたしには言ってくれなかったんだ……)
「逮捕、ってことになったのかどうかは今のところ不明なんですけど」
連絡がないので詳細はわからいようだ。
「広田は釈放されたみたいなんですよ」
「なんで! おかしくないですか!」
「憶測なんですが……広田は逮捕されましたが、トモさんの暴行によるものってことで、送検後に不起訴で釈放されたと思われます。供述で、自分が聡子さんにしたことは言わなかったのだろうと。きっとトモさんのことを口にしたから、トモさんが呼び出されたわけですし」
腑に落ちない。
聡子のなかで、怒りと絶望がごちゃまぜになり、言葉をうまく紡ぎ出せずにいた。
「でも、でも、あの人はわたしにしたことが許されるはずないのにどうして……」
「トモさんが、それを言うと思いますか」
「え……」
「トモさんが絶対に言わないってわかってたんですよ。それを利用して、自分の罪は供述せずに、さっさと自分は釈放されて、トモさんを売ったわけです。あくまでも、俺の想像ですけど」
仲が良くはなくとも、一緒にいたことのある広田ならトモの性格を知っていそうだ。
(どうしよう……)
冷静になろうと思うが、既に冷静ではない自分がいる。
逮捕されてしまうのだろうか。それとももう逮捕されているのだろうか。
「市川さん、智幸さんは……逮捕されて……」
「今はないのではと思います。俺は法律には詳しくないのでわからないんですけど、黙秘しているとかで勾留されているんじゃないかと思うんですよね……」
広田を暴行したのは間違いないが、それに至った要因を口にしていない。
「あの人が悪いのに……なんで……」
聡子は頭を抱えて俯いた。
カズの前だが、もうそんなことはどうでもよかった。
「どうしたらいいんだろう……」
カズは無言になり、考えているようだった。
会社近くに、カズがいたのだ。
「聡子さんっ」
「あ……市川さん?」
声をかけてきたのはカズ──市川和宏だった。
「こんばんは」
「こんばんは。お久しぶり……でもないですね。その節は大変お世話になりました」
ひと月はたってはいないが、もう半月は経っている。聡子は深々とお辞儀をした。
「そんなことしないでください。あの……お身体の、怪我の具合がいかがですか」
訊いていいものかと言ったふうに、カズは尋ねた。
「おかげさまで大丈夫ですよ。ご心配ありがとうございます」
「よかったです……あ、いや、よかったって言うのもおかしいですけど、怪我が良くなっているのは安心できるなって」
カズの言葉の選び方を聞いていると、彼は頭がいい人間なのではと感じた。思ったことをそのまま口にするのではなく、相手を見て気遣いをする人なのだろうと思った。もちろん聡子が今までに出会ってきた人間たちの中での感覚ではあるが。
「お仕事帰りですか?」
「はい、そうですね。聡子さんも、帰りですよね?」
「ええ」
「ちょっと聡子さんに伝えないといけないことがあって、近くで待ってました。職場がこの辺だというのはトモさんに聞いてたので……」
伝えないといけないこと、という言葉に聡子はびくりとした。
不安な気持ちが湧き上がってくる。
「……智幸さんについてですか?」
「はい」
「わたしも、市川さんにお尋ねしたいことがあるので、あとでお尋ねしても?」
「もちろん。たぶん……聡子さんの訊きたいことって、俺が話したいことと関係がある気がします」
心臓の音が早くなってゆく──嫌な予感しかしない。
「場所、変えますか」
「……そこの公園のベンチに座りましょう」
腰を落ち着けないといけない話のような気がしたのだ。
もう子供達は遊んでいない時間帯だ。薄暗くなり、外灯が公園の通路を照らしている。
ベンチに座り、聡子はカズの話を待った。
「智幸さんと連絡が取れないんですが、そのことと関係ありそうですね」
「はい」
カズはゆっくり頷いた。
「トモさんは、今、警察にいます」
「警察!?」
どうしてですか、と聡子はカズに詰め寄る。カズは、聡子を制止するように両手を胸の前に出した。
「任意の事情聴取に呼び出されたそうです。いわゆる『取調べ』っていうものかと」
「なんで……」
聡子は瞬きもせず、じっとカズを見返した。
カズは一度目を逸らし、聡子を見やる。
「嫌なことを思い出させてしまうのですが……」
「先日の件と関係が?」
「はい。あの時の男なんですが」
「トモさんの元同僚、というか仲間だったとかいう広田、って人ですか」
「あの人が、あの後《公然わいせつ》の罪で現行犯逮捕されたそうなんです」
あの時、カズが、あのまま外に出たと思う、というような発言をしていた気がする。暴行されたあとで体中が痛んではっきりとは覚えていないが、広田が下半身を晒したままフラフラと外に出ていったであろうとことはわかった。
「それで警察に連れてかれたわけですが、広田がそういうことになった経緯に、暴行を受けたことによって……ああなった、と供述したようで、トモさんに呼び出しが」
「なっ……下半身を晒したのはトモさんは無関係ですよ!」
思い出すのは恐怖ではあるが、自分に乱暴を働く際に自ら下半身を晒したのだということを聡子はわかっていた。
「それは俺もわかってますから」
任意なので、トモはある程度親しい人間に「警察に行ってくる」と話して行ったようだ。神崎会長、カズをはじめとした同居人、そして勤務している店のオーナー夫妻。
(でもわたしには言ってくれなかったんだ……)
「逮捕、ってことになったのかどうかは今のところ不明なんですけど」
連絡がないので詳細はわからいようだ。
「広田は釈放されたみたいなんですよ」
「なんで! おかしくないですか!」
「憶測なんですが……広田は逮捕されましたが、トモさんの暴行によるものってことで、送検後に不起訴で釈放されたと思われます。供述で、自分が聡子さんにしたことは言わなかったのだろうと。きっとトモさんのことを口にしたから、トモさんが呼び出されたわけですし」
腑に落ちない。
聡子のなかで、怒りと絶望がごちゃまぜになり、言葉をうまく紡ぎ出せずにいた。
「でも、でも、あの人はわたしにしたことが許されるはずないのにどうして……」
「トモさんが、それを言うと思いますか」
「え……」
「トモさんが絶対に言わないってわかってたんですよ。それを利用して、自分の罪は供述せずに、さっさと自分は釈放されて、トモさんを売ったわけです。あくまでも、俺の想像ですけど」
仲が良くはなくとも、一緒にいたことのある広田ならトモの性格を知っていそうだ。
(どうしよう……)
冷静になろうと思うが、既に冷静ではない自分がいる。
逮捕されてしまうのだろうか。それとももう逮捕されているのだろうか。
「市川さん、智幸さんは……逮捕されて……」
「今はないのではと思います。俺は法律には詳しくないのでわからないんですけど、黙秘しているとかで勾留されているんじゃないかと思うんですよね……」
広田を暴行したのは間違いないが、それに至った要因を口にしていない。
「あの人が悪いのに……なんで……」
聡子は頭を抱えて俯いた。
カズの前だが、もうそんなことはどうでもよかった。
「どうしたらいいんだろう……」
カズは無言になり、考えているようだった。
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