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12.誓いのキスはふたりだけで
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黒のモーニングコートを身にまとった航は本当に格好よくて、こうして目の前にするとやっぱりドキドキしてしまう。見おろすブラウンの瞳は今日も透き通り、吸い込まれそう。
おごそかな雰囲気のなか、大聖堂にパイプオルガンの音が奏でられ、ソリストの独唱が響き渡った。
結婚の誓約を交わし、誓いの言葉を述べる。見つめ合い、航がベールをあげると、わたしの薬指に指輪をはめる。そしてわたしも航の薬指に。
航がわたしの腰に手を添えてリードしてくれる。ふたりで婚姻証書に署名をし、大勢の祝福を受け、式を終えることができた。
サムシングオールドは航のお母様から頂いたパールのイヤリング。サムシングニューは純白のウェディングドレス。サムシングブルーは淡いブルーの花をブーケに添えた。そしてサムシングボローは國枝先生の万年筆。婚姻証明書に署名するときに、お借りした万年筆を使わせていただいた。
婚約してから一年。わたしたちは今日、結婚式を挙げた。
感動と身が引きしまる思いで言葉にならない。そんなわたしを航はやさしく見守ってくれていた。
式を終え、控室で少しの時間ふたりだけにしてもらった。
窓を開けると、ふわりとあたたかな風が入ってきた。気持ちのいい五月の晴天を仰いだ航が目を細めた。
わたしも彼の隣に立ち、思いきり空気を吸い込んだ。
張りつめていた状態から解放され、ようやくほっとできた。ゆっくりと息を吐くと、航がわたしの手を取ってそっと握った。
「やっとこの日を迎えられたな」
「うん、ようやくだね。これからよろしくお願いします」
「こちらこそよろしく、奥さん」
昨日からようやく一緒に暮らすようになった。
プロポーズしてもらったあと、できるだけ早く同棲しようという話が出ていたけれど。結局、仕事や結婚式の準備でそれどころではなくなった。
新居は航の会社の通勤に便利な立地にあるマンション。目の前には二十四時間営業のスーパーがあって駅にも近い。広さも設備もわたしには贅沢すぎる部屋。
内見したとき、「こんなに立派な物件でなくてもいいよ」と言ったら、「これからはセキュリティレベルの高いところに住んでほしい」と言われ、素直に従うことにした。
航と結婚するということは、そういうことだ。これまでの危機管理ではだめということ。セキュリティスタッフが二十四時間いるマンションを選んだのは、航が家を空けることが多いからで、そこが重要ポイントだった。
「家に帰ると、いつも美織がいるんだって思ったら、帰るのが楽しみになるよ。今までは寝るだけって感じだったから」
「これからは奥さんとしてがんばるね」
「ごめんな、仕事のこと。國枝先生にも申し訳ないって思ってる。でも本音はそうしてくれてすごく助かるよ」
「またその話? しつこいよ、わたしはぜんぜん後悔してないんだからね」
先月、わたしは仕事を辞めた。できるだけ航のことをサポートしたくて自分で決めた。
航は、わたしが無理していないか気にしていたけれど、わたしはこれが最善だと思っている。
もちろん、大好きだった仕事を辞めるのはさみしかったし、その決断も勇気がいった。だけど國枝先生の秘書の代わりはたくさんいる。
「秘書の仕事は別にわたしじゃない人でも務まるから。むしろわたしよりも優秀な人はたくさんいる。でも航のそばにいていいのはわたしだけ。わたしの代わりはいない……。ね、そうでしょう?」
「ああ、美織じゃなきゃだめだよ。でもたくさん苦労をかけると思う。これから少しずつ日比谷家の妻としての仕事が増えていくだろうから」
「うん、わかってる。ちゃんと心得てるから。航に恥をかかせないように、しっかり勉強するね」
「ありがとう、美織」
「当然のことだよ。航がわたしのことで一生懸命になってくれるのと同じことだよ。わたしも航のためにそうしたいの。それが自分のためでもあるんだから」
航がやさしく見つめてくる。その甘さに酔いしれながら、その瞳を見つめ返すと、ゆっくりと腰を引き寄せられた。
挙式では誓いのキスはなかったから、ふたりだけの今……。たっぷりと時間をかけて、やわらかくとろけるようなキスをした。
だけどキスのあと、なんだか照れくさくなって、お互いに笑ってごまかした。
「なに笑ってんだよ?」
「航のほうこそ」
「俺は、ここまで本気モードのをするつもりはなかったからさ」
「それってわたしのせいみたいじゃない。わたしだって軽くのつもりだったのに航が……」
そして、顔を見合わせて、もう一度笑い合った。
おかしいね。今さら照れることないのにね。だけどこれはこれでいいなって思ったよ。だって朝からずっと緊張していたから、やっと笑えた。航の笑顔を見られた。
この瞬間も忘れないように心に刻んでいく。その唇も、その瞳も、その声も。
全部大切な宝物だから……。
航を大切にしたい。守りぬきたいと思う。
だけど大切すぎて、ときどき苦しくなる。
航には愛することの尊さを教えてもらった。でもそれと引き替えに、やがて訪れる永遠の別れを覚悟しなければならなくなってしまった。
わたしは航と出会い、どんなに追い求めても完璧な幸せなんてこの世に存在しないのだと知った。
それでもこの道を選んだことは正しいから……。
「愛してる」
「わたしも、愛してる」
向かい合い、互いに言葉にした。普段はめったに口にしない「愛」の言葉。今日はなぜか声に出したくなった。航もそうだったみたい。
きっと、この神聖な場所のせいなのかもしれない。神様のいるこの教会だからこそ、心の声を素直に表現できる。
命ある限り、航を愛し続け、守っていこうと思う。
──「順境にあっても逆境にあっても、健康のときも病めるときも、生涯互いに愛と忠実を尽くすことを誓います」
その誓いを胸に刻んで。
《完》
おごそかな雰囲気のなか、大聖堂にパイプオルガンの音が奏でられ、ソリストの独唱が響き渡った。
結婚の誓約を交わし、誓いの言葉を述べる。見つめ合い、航がベールをあげると、わたしの薬指に指輪をはめる。そしてわたしも航の薬指に。
航がわたしの腰に手を添えてリードしてくれる。ふたりで婚姻証書に署名をし、大勢の祝福を受け、式を終えることができた。
サムシングオールドは航のお母様から頂いたパールのイヤリング。サムシングニューは純白のウェディングドレス。サムシングブルーは淡いブルーの花をブーケに添えた。そしてサムシングボローは國枝先生の万年筆。婚姻証明書に署名するときに、お借りした万年筆を使わせていただいた。
婚約してから一年。わたしたちは今日、結婚式を挙げた。
感動と身が引きしまる思いで言葉にならない。そんなわたしを航はやさしく見守ってくれていた。
式を終え、控室で少しの時間ふたりだけにしてもらった。
窓を開けると、ふわりとあたたかな風が入ってきた。気持ちのいい五月の晴天を仰いだ航が目を細めた。
わたしも彼の隣に立ち、思いきり空気を吸い込んだ。
張りつめていた状態から解放され、ようやくほっとできた。ゆっくりと息を吐くと、航がわたしの手を取ってそっと握った。
「やっとこの日を迎えられたな」
「うん、ようやくだね。これからよろしくお願いします」
「こちらこそよろしく、奥さん」
昨日からようやく一緒に暮らすようになった。
プロポーズしてもらったあと、できるだけ早く同棲しようという話が出ていたけれど。結局、仕事や結婚式の準備でそれどころではなくなった。
新居は航の会社の通勤に便利な立地にあるマンション。目の前には二十四時間営業のスーパーがあって駅にも近い。広さも設備もわたしには贅沢すぎる部屋。
内見したとき、「こんなに立派な物件でなくてもいいよ」と言ったら、「これからはセキュリティレベルの高いところに住んでほしい」と言われ、素直に従うことにした。
航と結婚するということは、そういうことだ。これまでの危機管理ではだめということ。セキュリティスタッフが二十四時間いるマンションを選んだのは、航が家を空けることが多いからで、そこが重要ポイントだった。
「家に帰ると、いつも美織がいるんだって思ったら、帰るのが楽しみになるよ。今までは寝るだけって感じだったから」
「これからは奥さんとしてがんばるね」
「ごめんな、仕事のこと。國枝先生にも申し訳ないって思ってる。でも本音はそうしてくれてすごく助かるよ」
「またその話? しつこいよ、わたしはぜんぜん後悔してないんだからね」
先月、わたしは仕事を辞めた。できるだけ航のことをサポートしたくて自分で決めた。
航は、わたしが無理していないか気にしていたけれど、わたしはこれが最善だと思っている。
もちろん、大好きだった仕事を辞めるのはさみしかったし、その決断も勇気がいった。だけど國枝先生の秘書の代わりはたくさんいる。
「秘書の仕事は別にわたしじゃない人でも務まるから。むしろわたしよりも優秀な人はたくさんいる。でも航のそばにいていいのはわたしだけ。わたしの代わりはいない……。ね、そうでしょう?」
「ああ、美織じゃなきゃだめだよ。でもたくさん苦労をかけると思う。これから少しずつ日比谷家の妻としての仕事が増えていくだろうから」
「うん、わかってる。ちゃんと心得てるから。航に恥をかかせないように、しっかり勉強するね」
「ありがとう、美織」
「当然のことだよ。航がわたしのことで一生懸命になってくれるのと同じことだよ。わたしも航のためにそうしたいの。それが自分のためでもあるんだから」
航がやさしく見つめてくる。その甘さに酔いしれながら、その瞳を見つめ返すと、ゆっくりと腰を引き寄せられた。
挙式では誓いのキスはなかったから、ふたりだけの今……。たっぷりと時間をかけて、やわらかくとろけるようなキスをした。
だけどキスのあと、なんだか照れくさくなって、お互いに笑ってごまかした。
「なに笑ってんだよ?」
「航のほうこそ」
「俺は、ここまで本気モードのをするつもりはなかったからさ」
「それってわたしのせいみたいじゃない。わたしだって軽くのつもりだったのに航が……」
そして、顔を見合わせて、もう一度笑い合った。
おかしいね。今さら照れることないのにね。だけどこれはこれでいいなって思ったよ。だって朝からずっと緊張していたから、やっと笑えた。航の笑顔を見られた。
この瞬間も忘れないように心に刻んでいく。その唇も、その瞳も、その声も。
全部大切な宝物だから……。
航を大切にしたい。守りぬきたいと思う。
だけど大切すぎて、ときどき苦しくなる。
航には愛することの尊さを教えてもらった。でもそれと引き替えに、やがて訪れる永遠の別れを覚悟しなければならなくなってしまった。
わたしは航と出会い、どんなに追い求めても完璧な幸せなんてこの世に存在しないのだと知った。
それでもこの道を選んだことは正しいから……。
「愛してる」
「わたしも、愛してる」
向かい合い、互いに言葉にした。普段はめったに口にしない「愛」の言葉。今日はなぜか声に出したくなった。航もそうだったみたい。
きっと、この神聖な場所のせいなのかもしれない。神様のいるこの教会だからこそ、心の声を素直に表現できる。
命ある限り、航を愛し続け、守っていこうと思う。
──「順境にあっても逆境にあっても、健康のときも病めるときも、生涯互いに愛と忠実を尽くすことを誓います」
その誓いを胸に刻んで。
《完》
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あぁ~とうとう終わってしまった…。更新を楽しみに楽しみにしていた作品。作者様、本当に本当にお疲れ様でした。そして素敵なラストをありがとうございました!!美織ちゃんと航のベビちゃんのお話も読んでみたいような…
(作者様へおねだり笑)
また作者様のお話読みたいです!
★しゅんさくさん
こちらこそありがとうございました☆
はい、終わってしまいました…。私もさみしいです(涙
ですが、更新中に頂いた感想を毎回ニヤニヤしながら読ませていただき、こちらで掲載してよかったなと思えました(元気もらえました!)。
>ベビちゃん
番外編的な続編は考えていなかったので、どうしましょう。
書く書かないは明言しないでおきます、すみません…。
でも半年後ぐらいにちょろっと書いちゃってるかも???です。
美織ちゃん、航くん!!おめでとう~
\(^-^)/いや~( 〃▽〃)良かった!!!
良かった(^^)d 雫のことはまあ!!
素直になったってことで、美織ちゃんが
ほんとにいい娘だからだと思います。
お疲れ様でした~m(_ _)m
★チャルさん
ありがとうございます!ラストはやっぱりあのシーンしかないと思いまして。
雫ちゃんについては、どうしようかと悩みに悩んで、あんな感じになりました(笑)
そして…。
チャルさん、更新中は何度も感想をくださってありがとうございました。
どれだけ励みになったことか。感謝の気持ちでいっぱいです☆
美織ちゃんも航も、いい人すぎませんか?
きっと作者様がいい人なんだろうな~と思いました。私が美織ちゃんなら、こんなに雫ちゃんに優しく出来ない。フルボッコ間違いなし(笑)伏線が回収され始め、わたしの心も晴れてきつつあります!!
★しゅんさくさん
美織は理想です☆
こんなふうになりたいなあって。私も美織のように振舞えないです。いい人じゃないです。性格が歪んでいる女の子もけっこう書きます(笑)
航に関しては、雫ちゃんのいいところを知っているので(ふたりの過去は描かれていませんが)、あんな対応に。中学生の頃から知っているので、冷酷になりきれないのかなあって。でもこのあたりはうまく表現できていないのかもしれませんね~。
伏線はラストまで散りばめてありますので(伏線というほどでもない些細なことですが)、ぜひ最終話までおつき合いください!