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前編
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第二王子である僕の方が社会的な地位は圧倒的に高い。
けれど僕はいつも彼女の後ろを影のように寄り添って歩く。
そうして斜め後ろから彼女が今、何を見つめているのか。何を思っているのか。想像しながら表情の些細な変化をつぶさに眺めるのだ。
石畳の間に咲く小さな花を見た彼女が、その愛らしい顔を悲しそうに歪めて「儚くて綺麗ね」とそっと呟く。
一体何が儚くて綺麗なのか。
彼女が感じた想いを少しでも知りたくて、僕は目の前でその花を笑顔で踏みにじった。
「――ああ。本当に、儚いね」
「どうしてそんなひどいことをするの?」
顔をさらに悲痛の色に染めて、今にも泣きそうな目で僕を見上げる。
僕は答えない。
今の君の表情は兄上も知らないものだろうか。
そればかりを気にしていた。
綺麗に花を咲かせていたところで、望まれぬ場所で咲く花だ。
芽吹くのに精一杯で本来のものほど茎を長く伸ばすこともできず、懸命に咲かせた花弁だって小さい。何より、こんな場所で枯れてしまえば、人の手で簡単に根ごと摘み取られることだろう。
「アベル様なら――」
「兄上なら、こんなひどいことはしない? 兄上は僕と違って優しい方だからね」
彼女の言葉の先手を取って口にすると口を噤つぐんだ。
ひどいことをしているのはどちらだろうか。
「ごめんなさい。そんなつもりじゃなかったの」
僕が兄上と比較されることを快く思ってはいないと知っているイヴェリナは、素直に謝罪を述べた。
もっとも、本当のことを言えば僕は心の底から兄上との比較を嫌悪しているわけではない。
兄上は優秀すぎる。僕とは――この国の誰とも、生まれながらに持つものが違う。その差はあまりにも圧倒的すぎて嫉妬すら湧かない。
だけどイヴェリナ。君にだけは僕と兄上を比較しないで欲しい。
「分かってるよ。僕もごめん。目の前で花を踏みにじったりして大人げなかった」
イヴェリナは首を振った。
それから会話らしい会話を交わすこともなく、庭園を一周して回廊へと戻る。
執務が終わったのか兄上がいた。
こちらへ歩いて来るその姿を見た途端、白い薔薇が開花するかのようにイヴェリナが表情を綻ばせる。
「アベル様」
並び立てば、まるで一枚の絵から切り取ったかのように二人は似合う。
兄上は手近で咲き誇るピンク色の薔薇の一本を手折り、棘がついていないことを確認するとイヴェリナの淡い金色の髪にそっと差した。
「ありがとうございます、アベル様」
「とてもよく似合うよ」
イヴェリナはさらに嬉しそうに破顔する。
だけど薔薇を手折った兄上と、花を踏みにじった僕と、その行為にどれほどの差があるというのだろうか。
どちらも自分勝手に花の命を奪う行為に変わりない。
あの花を手折ってイヴェリナの髪を飾れば良かったのだろうか。
僕の胸の内に淡い恋の花を咲かせることすら許してもくれない君の方が、とても残酷だと思った。
僕より三か月ほど後に生まれたイヴェリナは、生まれる前から兄上の婚約者になることを運命づけられていた。
正確には、兄上が生まれる前からすでに決まっていたと言うべきだろうか。
王家とイヴェリナの生家・エルディエンス侯爵家との間に、以前から取り決めがあったのである。
性別の異なる子供が三歳以内の年齢差で生まれた時は婚姻を結ぶ、と。
どうしてそんな取り決めが交わされているのかは分からない。口さがない連中の噂によると、僕や兄上の祖母に当たる皇后がイヴェリナの祖父のエルディエンス先代侯爵と恋仲にあったのを、事情により引き裂かれたかららしい。
父上たちは条件には当てはまらず、孫の代となる僕たちに約束が引き継がれたという話だ。
三年という期限が設けられているのも、確実に生まれるか分からない女児の誕生を待って王太子の婚約者を決めずにいることはできないからなのだと。
もっともらしい理由は誰からも否定されず信憑性を増し、やがて兄上が、そこから二年と八カ月後に僕が生まれた。
「初めまして、アベルリウス殿下、カインロッド殿下。本日はお目にかかれて光栄に存じます」
兄上と僕に初めて引き合わされた六歳のイヴェリナは恥ずかしそうに、屈託のない笑みを浮かべる。
おそらくは覚えたばかりなのだろう。まだどこかぎこちなさを残す仕草で淑女の礼をしてみせた。
その時、僕の中で初めて兄上への羨望が生まれた。
イヴェリナがあとひと月遅く生まれていたら。
そうしたら取り決めにより、彼女は兄上ではなく僕の婚約者になっていたのに。
あるいは兄上がイヴェリナに心を寄せず、邪険に扱ってくれたら。
けれど祖父母の口約束によって果たされただけの出会いでも、兄上はイヴェリナを一人の女性として扱って心からの寵を注いだ。イヴェリナもまた、そんな兄上からの愛情を受け、同じかそれ以上の想いで応えている。
兄上とイヴェリナは決められていた出会いの中、お互いの意思で恋に落ちた。
僕にできることは、兄上たちが身体の成長と共に恋を育んで行くその様を、いちばん近くで眺めるだけだ。
けれど僕はいつも彼女の後ろを影のように寄り添って歩く。
そうして斜め後ろから彼女が今、何を見つめているのか。何を思っているのか。想像しながら表情の些細な変化をつぶさに眺めるのだ。
石畳の間に咲く小さな花を見た彼女が、その愛らしい顔を悲しそうに歪めて「儚くて綺麗ね」とそっと呟く。
一体何が儚くて綺麗なのか。
彼女が感じた想いを少しでも知りたくて、僕は目の前でその花を笑顔で踏みにじった。
「――ああ。本当に、儚いね」
「どうしてそんなひどいことをするの?」
顔をさらに悲痛の色に染めて、今にも泣きそうな目で僕を見上げる。
僕は答えない。
今の君の表情は兄上も知らないものだろうか。
そればかりを気にしていた。
綺麗に花を咲かせていたところで、望まれぬ場所で咲く花だ。
芽吹くのに精一杯で本来のものほど茎を長く伸ばすこともできず、懸命に咲かせた花弁だって小さい。何より、こんな場所で枯れてしまえば、人の手で簡単に根ごと摘み取られることだろう。
「アベル様なら――」
「兄上なら、こんなひどいことはしない? 兄上は僕と違って優しい方だからね」
彼女の言葉の先手を取って口にすると口を噤つぐんだ。
ひどいことをしているのはどちらだろうか。
「ごめんなさい。そんなつもりじゃなかったの」
僕が兄上と比較されることを快く思ってはいないと知っているイヴェリナは、素直に謝罪を述べた。
もっとも、本当のことを言えば僕は心の底から兄上との比較を嫌悪しているわけではない。
兄上は優秀すぎる。僕とは――この国の誰とも、生まれながらに持つものが違う。その差はあまりにも圧倒的すぎて嫉妬すら湧かない。
だけどイヴェリナ。君にだけは僕と兄上を比較しないで欲しい。
「分かってるよ。僕もごめん。目の前で花を踏みにじったりして大人げなかった」
イヴェリナは首を振った。
それから会話らしい会話を交わすこともなく、庭園を一周して回廊へと戻る。
執務が終わったのか兄上がいた。
こちらへ歩いて来るその姿を見た途端、白い薔薇が開花するかのようにイヴェリナが表情を綻ばせる。
「アベル様」
並び立てば、まるで一枚の絵から切り取ったかのように二人は似合う。
兄上は手近で咲き誇るピンク色の薔薇の一本を手折り、棘がついていないことを確認するとイヴェリナの淡い金色の髪にそっと差した。
「ありがとうございます、アベル様」
「とてもよく似合うよ」
イヴェリナはさらに嬉しそうに破顔する。
だけど薔薇を手折った兄上と、花を踏みにじった僕と、その行為にどれほどの差があるというのだろうか。
どちらも自分勝手に花の命を奪う行為に変わりない。
あの花を手折ってイヴェリナの髪を飾れば良かったのだろうか。
僕の胸の内に淡い恋の花を咲かせることすら許してもくれない君の方が、とても残酷だと思った。
僕より三か月ほど後に生まれたイヴェリナは、生まれる前から兄上の婚約者になることを運命づけられていた。
正確には、兄上が生まれる前からすでに決まっていたと言うべきだろうか。
王家とイヴェリナの生家・エルディエンス侯爵家との間に、以前から取り決めがあったのである。
性別の異なる子供が三歳以内の年齢差で生まれた時は婚姻を結ぶ、と。
どうしてそんな取り決めが交わされているのかは分からない。口さがない連中の噂によると、僕や兄上の祖母に当たる皇后がイヴェリナの祖父のエルディエンス先代侯爵と恋仲にあったのを、事情により引き裂かれたかららしい。
父上たちは条件には当てはまらず、孫の代となる僕たちに約束が引き継がれたという話だ。
三年という期限が設けられているのも、確実に生まれるか分からない女児の誕生を待って王太子の婚約者を決めずにいることはできないからなのだと。
もっともらしい理由は誰からも否定されず信憑性を増し、やがて兄上が、そこから二年と八カ月後に僕が生まれた。
「初めまして、アベルリウス殿下、カインロッド殿下。本日はお目にかかれて光栄に存じます」
兄上と僕に初めて引き合わされた六歳のイヴェリナは恥ずかしそうに、屈託のない笑みを浮かべる。
おそらくは覚えたばかりなのだろう。まだどこかぎこちなさを残す仕草で淑女の礼をしてみせた。
その時、僕の中で初めて兄上への羨望が生まれた。
イヴェリナがあとひと月遅く生まれていたら。
そうしたら取り決めにより、彼女は兄上ではなく僕の婚約者になっていたのに。
あるいは兄上がイヴェリナに心を寄せず、邪険に扱ってくれたら。
けれど祖父母の口約束によって果たされただけの出会いでも、兄上はイヴェリナを一人の女性として扱って心からの寵を注いだ。イヴェリナもまた、そんな兄上からの愛情を受け、同じかそれ以上の想いで応えている。
兄上とイヴェリナは決められていた出会いの中、お互いの意思で恋に落ちた。
僕にできることは、兄上たちが身体の成長と共に恋を育んで行くその様を、いちばん近くで眺めるだけだ。
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