無能と蔑まれ敵国に送られた私、故郷の料理を振る舞ったら『食の聖女』と呼ばれ皇帝陛下に溺愛されています~今さら返せと言われても、もう遅いです!

夏見ナイ

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第96話:二人のウェディングケーキ

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あの世界一のプロポーズから、季節は一つ巡った。

帝国は実りの秋を経て、穏やかな冬の訪れを迎えていた。呪いから解放された大地は驚くほどの豊穣をもたらし、人々の暮らしは目に見えて豊かになった。国庫は潤い、街には活気が満ち溢れている。

そして帝国中が、今か今かと待ちわびている一つの祝祭があった。

皇帝レオンハルトと救国の聖女アリアの結婚式。

その準備は国を挙げた一大プロジェクトとして着々と進められていた。私は未来の皇后として、皇太后ヴィクトリア様から帝王学や作法についての手ほどきを受けながら、目まぐるしくも充実した毎日を送っていた。

そんなある日。私はレオン様の執務室を訪れていた。山のような書類に目を通す彼の前に、私は少しだけ緊張しながら一つの提案を切り出した。

「レオン様。一つだけ、わがままをお許しいただけないでしょうか」

私の改まった物言いに、彼はペンを置くと不思議そうな顔で私を見た。

「君のわがままなら何でも聞こう。言ってみろ」

その甘い言葉に少しだけ頬を染めながら、私は意を決して言った。

「結婚式で皆様にお出しするウェディングケーキ。あれをこの私の手で作らせてはいただけないでしょうか」

その言葉に、彼の蒼い瞳がわずかに見開かれた。

「君が自分で作ると? 馬鹿を言え。ただでさえ皇后教育で疲れているだろう。そんな大仕事、料理人たちに任せておけばいい」

彼の声には私の体を気遣う優しい響きがあった。

しかし私は首を横に振った。

「いいえ。これだけは他の誰にも任せたくないのです」

私は彼の前に進み出ると、その大きな手をそっと握った。

「これは私たちの結婚式です。だから、その象徴となるケーキは私たちの手で作り上げたい。私があなた様と、そしてこの国の人々への感謝と未来への願いを込めて作りたいのです。それは私にしかできないことですから」

私の料理人としての、そして未来の皇后としての偽らざる想い。

その真っ直ぐな瞳に彼は敵わなかった。

彼は深いため息を一つつくと、降参したように肩をすくめた。

「……分かった。君がそこまで言うのなら」

そして私の手を優しく握り返した。

「ただし、決して無理はするな。それから俺も手伝う」

「えっ!?」

彼の予想外の言葉に、今度は私が目を丸くする番だった。

「皇帝陛下が厨房にですって!?」

「何か問題でも? 夫が妻の手伝いをするのは当然のことだろう」

彼はこともなげにそう言った。そのあまりにも自然な『夫』と『妻』という言葉に、私の顔から火が出そうになった。

その日から、私と時々お忍びでやってくるレオン様、そして最高の助手である厨房の仲間たちによる、世界で一番特別なウェディングケーキ作りが始まった。

私がデザインしたのは、この王城ヴァイスフレアを模した七段重ねの巨大なケーキだった。

その土台となるスポンジには、呪いから解放された大地で初めて収穫された最高品質の小麦を使う。卵も砂糖もクリームも、全てがこの国の豊穣の象徴だった。

そして、その各段を飾るのは帝国全土から取り寄せた、色とりどりの宝石のようなフルーツたち。

一番下の段には、南の太陽を浴びて育った黄金色の桃とオレンジ色の陽柑を。
二段目には、西の平原で採れた瑞々しい葡萄もどきと洋梨もどきを。
三段目には、東の森の神秘的な青いベリーと赤い木苺を。

そして一番上の段。城の尖塔に見立てたその場所には、北の厳しい冬を乗り越え、雪解け水だけで育った幻と呼ばれる純白の苺を飾るのだ。

それはこの帝国の全ての恵みと多様な民が一つになることを象徴した、壮大なデザインだった。

中央厨房は結婚式の一週間前から、甘く幸せな香りに包まれた。

何十人という料理人たちが私の指揮の下、一糸乱れぬ動きで巨大なスポンジを焼き上げ、クリームを泡立て、フルーツをカットしていく。

「姫! こちらのクリームの硬さ、いかがですかな!?」

もちろんスイーツ騎士ギルバート様も目を輝かせながら、誰よりも熱心に味見役(という名のつまみ食い)として参加していた。

「ギルバート、貴様、つまみ食いは一度までと言ったはずだ」
「これは味見であります、宰相閣下! 最高のケーキのためには必要不可欠な…!」

そんなエリオット様とのいつもの微笑ましいやり取りが、厨房の空気をさらに和ませる。

そして時折、レオン様が本当に手伝いにやってきた。

彼は慣れない手つきで私の隣で苺のへたを取ったり、クリームを混ぜたりした。その姿は皇帝の威厳など微塵もなく、ただ愛する女性を手伝う一人の不器用な青年の姿だった。

「あ、レオン様、頬にクリームが」

私がそう言ってハンカチで拭いてあげようとすると。

彼は私の手をそっと掴んだ。そして私の指についたクリームを、子供のようにぺろりと舐めとった。

「……甘いな」

その囁きと熱っぽい視線に私の心臓は跳ね上がった。厨房の他の料理人たちが、見て見ぬふりをしながらにやにやと笑っているのが気配で分かった。

私はこのケーキに私の力の全てを注ぎ込んだ。

「このケーキを口にした全ての人が、心から幸せな気持ちになりますように」

【生命賛歌】の温かい光が私の手を通して、ケーキの隅々まで染み渡っていく。

そしてついに、結婚式の当日。

帝国で最も格式高い大聖堂。ステンドグラスから差し込む光が、虹色の粒子となって舞い踊っている。

パイプオルガンの荘厳な調べの中、私は純白のウェディングドレスに身を包み、父の代わりを務めてくれる皇太后ヴィクトリア様に手を引かれ、ゆっくりとバージンロードを歩いていた。

その先に待っていてくれる、愛しい人の元へ。

祭壇の前で私とレオン様は、神と、そして集まった全ての人々の前で永遠の愛を誓った。

その後の披露宴。

祝賀会以上の豪華な料理がテーブルを彩った。しかし、誰もが固唾をのんで待っていた。

この宴の真の主役の登場を。

やがて会場の照明が少しだけ落とされた。そして大きな扉がゆっくりと開かれる。

そこに現れたのは、七段重ねのもはや建築物と呼ぶべき巨大なウェディングケーキだった。

会場から、ため息とも歓声ともつかない大きなどよめきが湧き上がった。

ケーキはそれ自体が光を放っているかのようだった。私の力が込められているからだろうか。見ているだけで心が温かく、幸せな気持ちになっていく。

「さあ、アリア」

レオン様に促され、私たちは二人で一緒に銀のナイフを握った。

そして、その刃を一番下の段にそっと入れる。

その瞬間、会場は割れんばかりの祝福の拍手に包まれた。

ファーストバイトでは、私が少しだけ意地悪をして大きめに切り分けたケーキを彼の口元へと運んだ。彼は少しだけ呆れた顔をしながらも、大きな口を開けてそれを幸せそうに頬張った。口の周りをクリームだらけにしながら。

そのお茶目な皇帝の姿に、会場は温かい笑いに包まれた。

そして、そのケーキは会場のゲストだけではなく『幸福のおすそ分け』として、城下の広場で待つ全ての民衆にも振る舞われた。

ケーキを一口食べた人々は皆、同じ反応を示した。

そのあまりの美味しさに言葉を失い、そして次の瞬間、理由もなく心の底から温かい幸せな気持ちが湧き上がってくるのを感じた。

ある者は笑い、ある者は泣き、そして誰もが隣にいる人とその幸福を分かち合った。

私はその光景をレオン様の隣で、夢のような気持ちで眺めていた。

皇后として、そして一人の料理人として。

私は自らの手でこの国中に幸福を届けたのだ。

「君はやはり、俺の最高の皇后だ」

レオン様が私の耳元でそう囁いた。

その声は世界中のどんな甘いケーキよりも甘く、私の心を溶かしていった。

私たちの新しい人生が、今、この最高に甘くて幸せな一日から始まった。
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