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本編

30 お互いの身上【冬悟】

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羽花が家族旅行に行ったことがないことは羽花の父親から聞いて知っていた。
老舗和菓子屋『柳屋』の暖簾を守るため、父娘で必死にやってきたのはわかっている。
だからこそ、新婚旅行は羽花の行きたいと思うところにするつもりだった。
そして、羽花が楽しいと思えるような旅行にしたかった。
厳選に厳選を重ねたパンフレットと旅行雑誌。
旅行になれていない羽花でも疲れずに楽しめそうな場所をピックアップした。
山積みにした旅行雑誌やパンフレットが机の上に広げられている。
羽花がさっきまでペンで丸をつけたり、付箋をはったりして、楽しそうにしていた姿を思い出して頬が緩む。

「羽花さんに喜んでいただけてよかったですね」

「ああ」

仙崎せんざきは俺の心を読んだかのように言ってきて、いつもなら俺が悪態をつくところだったが、今はその言葉を素直に受け取った。

「ただいま戻りましたー。あー、会議、かったるかったなあ」

会議を終えた竜江たつえが戻ってきた。
あいつも昔はスーツの似合わない男だったが、今ではちゃんとした社会人に見える。
手には会議資料がある。
嶋倉建設の重役でもある竜江は見た目よりずっと仕事ができる奴だった。

「部長の話がなげえの。いやー、自分の苦労話に発展した時には殺意を覚えましたね」

「お前が殺意とか言うと冗談にならないからな」

「冬悟さんには言われたくないっす。仙崎さん、護衛交代しますよ」

竜江はどさっとソファーに座った。
なにが護衛だ。
お前は昼寝でもするつもりか。
ぎろりとにらむと竜江は笑ってごまかした。
そして、資料を眺めて仕事をしているフリをする。
竜江のやつめ。
こういう要領のよさだけは一流だな。

「会議が昼休みまでに終わってマジ良かったですよー」

「昼休み?なにか楽しみなことでもあるのか?」

「羽花ちゃんが俺達の分も弁当を作ってくれたんですよ。知りませんでした?」

―――知らなかった。
そういえば、重箱におにぎりをせっせと詰めていたな。

「料理上手だし、可愛いし、ちょっと胸は小さいですけどって、にらまないでくださいよ!」

「羽花を変な目でみるな」

「わ、わかってますって。冬悟さんは視線だけで殺しにくるからなぁ……ほんっと、こえーよ……」

「それにしても、羽花さん。遅いですね」

仙崎がドアの方を見た。

「ん?羽花ちゃんがどうかした?」

「秘書室にあるコピー機まで行ったはずなんですが」

「え?いなかったけど?俺、秘書室で明日の会議資料、受け取ってきたとこだし」

竜江は手に持っていた会議資料をバサバサと振った。
部屋の空気が重くなった。

「―――礼華か」

あいつ、羽花を連れ去ったな。
会社に出入りしている矢郷やごう組の人間は礼華だけ。
竜江はバッと立ち上がって言った。

「まだわかりませんよ。とりあえず、社内を探してみます」

すぐに出ていった。

「仙崎。矢郷組に行くぞ」

「冬悟さん。いいんですか……?足を洗った時に矢郷組と争わないと決めたはずでは……」

仙崎はじいさん同士が決めたことを破るのではと気にかけているようだった。

「争うからなんだ。怖じ気づいてんのか」

「いえ。すぐに車の用意をしましょう」

俺の鋭い視線に仙崎は気づき、『すみませんでした』と謝ると車のキーを手にした。

「冬悟さん!やっぱり、礼華さんですよ!」

竜江が礼華をひきずって社長室に連れてきた。

「ちょっと!乱暴にしないでよ。腕が痛いでしょ!」

「礼華。羽花はどこだ」

「知らないわよ。ウチの若い衆が連れていったんだから」

礼華はふんっと顔を背けた。

「悪いのは冬悟よ。私との婚約を無視して結婚して、兄さんの初恋相手まで奪って!因果応報でしょ!」

「婚約は断ったはずだ」

「そうね。私を馬鹿にしてくれたお礼はキッチリさせてもらうわ。あの子、今ごろ、ウチの若い衆に囲まれて怖くて泣いてるんじゃない?」

礼華は俺のそばまでくると指で頬を撫でた。

「あの子の顔に傷でもつけてやればいいわよって言ったから、どんなふうになってるか知らないわよ」

仙崎と竜江が息を飲んだ。

「居場所が知りたい?知りたいなら、あの子と別れて、私をあなたの妻にしてくれたら教えてあげる」

結婚指輪にふれようとした瞬間、礼華の首をつかんでいた。
凶悪な気持ちが胸の中に巡る。

「羽花はどこだ?」

「と、冬悟……」

「ふざけた真似をしてくれたな。ほら、答えろよ。早くしないと首が締まるぞ」

「ぐっ……」

「ああ。今は答えられねぇか」

力を込めると礼華はもがき、苦しそうに口を動かした。

「冬悟さん!それ以上はまずいですって!」

竜江に止められてハッとした。
手を離すと礼華が苦しそうにせき込み、床に崩れ落ちた。
その姿を見ても哀れだとは思わなかった。

「仙崎、竜江。こいつを連れて矢郷組に行くぞ」

「はい」

仙崎は部下を呼び、礼華の体をつかんだ。

「なっ、なにするのよ!離しなさいよっ!」

「今のところ危害は加えない。人質として矢郷組との取引材料にするためにな」

「あ、足を洗ったんじゃなかったの!?矢郷組と争っていいと思ってるんじゃないでしょうねっ!」

「俺は争うつもりはない。連れ去られた自分の妻を助けに行くだけだ」

なあ?そうだろう?と顔を近づけると礼華は青い顔をして震えていた。
首に赤い手の跡が残っている。

「礼華さん。冬悟さんは自分の境遇に近い礼華さんのことには同情していました。けれど、やりすぎましたね。羽花さんに傷の一つでもついていたら、礼華さんの命の保証はできません」

そう言って、仙崎はサングラスに指を触れさせた。

「仙崎。ほどほどにな」

「心得ております」

「おっ!ひさしぶりに暴れちゃいますかー」

竜江の口調は軽い。
さっきまで羽花がいて、楽しそうにしていたのが夢のように思えた。
羽花が書いた文字が見える。
『二人で沈む夕日がみたい』
仙崎が渡したパンフレットに書いてあったのをボールペンで消してある。
恥ずかしくなって消したのだろう。
綺麗に消えていないせいで、何と書いてあたのかすぐにわかってしまった。
そして、ボールペンで書いたらしいハート型が見えた。

「ラブラブっすね……」

竜江が俺をちらりと見た。

「うるさい。行くぞ」

「場所はわかるんですか」

「羽花は矢郷組の本部にいる」

「本当に!?」

言い切った俺に驚いて竜江は聞き返す。
すぐにわかることだ。
なぜなら―――

「羽花を隠すなら、俺が絶対に手だしできない場所にする」

そんな場所はただ一つだけ。
仙崎と竜江はすぐに納得した、
羽花は怖い思いをして怯えているだろう。
そう考えると胸が痛む。
待っていてくれ―――羽花。
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