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自責の念と懸念
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王城から帰還したジスランを出迎えたのは、よりにもよってにやけ面の美少年――ハシュアであった。
「おかえり、どうだった?」
「どうもこうもない」
彼がくぐり抜けたばかりの扉は、閉ざされると同時に非活性状態となり輝きを失う。彼の魔力により空間移動通路と化す扉は、建国以来、王城の一画へと通じていた。
「最悪だった。貴族の面々が一堂に会し、私を糾弾するための場であったさ」
「予想通りだね」
「ああ。まるで誰かの手の上で転がされているようだった」
半円に座した王侯貴族と英讃教の面々の前に引っ立てられた時には、既に裁判が始められたのかと思ったほどだ。
「まあ、一つだけ、有益な情報を手に入れられたような気もするが」
「へえ、どんな?」
着飾った老獪や狡猾そうな壮年の男が並ぶ中、一人だけ異彩を放っていたのは、英讃教団の謳姫だ。蒼いドレスと、慈愛に満ちた微笑で武装した乙女の眼差しは、どこか異質だった。ジスランを咎めるでも、疑うでも、庇おうとするのでもない。四肢の末端から絡めとるような、いやしかし値踏みし食らい尽くそうというのでもなかった。どう表現したらいいのかは分からないが、教団を束ねる謳姫であるということを差し引いても、とても二十歳かそこらの娘の目つきとは思えなかった。
自分はともかく、彼女たちは確実に国の中枢に食い込んでいる。力を持ち過ぎているともいえた。もし彼らが国家の転覆を目論んだとして、誰がそれを事前に察知できるだろう――。
「教えない。まだ不確定要素が多すぎる」
「あれ、俺の真似? 拗ねてるなんて珍しいねえ」
ジスランは深くため息をつくと、鈍く痛むこめかみのあたりを押さえ、はたと足を止めた。
――そうか、角はもう消えたのだったか。
爬虫類じみていた虹彩も人間性を取り戻し、肌に浮かんでいた鱗も剥がれ落ちている。すべて、マリアンナのおかげだった。
魔人化は、強力な魔術を行使するため体内に封じ込めていた魔力を放出することで引き起こされる。人の世に適した形に作り替えた体が最大限に魔力を利用できるよう元に戻ってしまうためだ。種として植え付けられた闘争本能がそうさせる。そのため扱うべき魔力が枯渇すれば自然と低動力状態――つまり人間としての形を取り戻せるが、それにはハシュアの尽力を得たとしても一月近くの時を要する。
それをマリアンナは、一晩で鎮めた。
魔力と性欲は親和性が高い。精から魔力を得る種族があるのも、特定の条件下で交合することで魔力を高める術が実在したのもそのためだ。魔物に女を差し出し、その隙をついて首を打ち取ったという伝承もある。これは前者とは逆に、吐精は魔力そのものの放出に他ならず、魔力を失い弱ったところを狙い定めたわけだ。魔物も単に快楽に耽るあまり警戒を怠ったわけではない。
ジスランの魔人化が解けた理由も後者のそれと同じだった。こんな手段を取るつもりはなかった。しかも相手はマリアンナだ、そんな無体を強いただなんて自身の蛮行に吐き気を催しそうになる。それと同時に後ろ暗い歓びがぞくぞく這い上がるのも、心底胸糞が悪い。
この件についての事情説明は、お礼とともにニケットに任せたはずだが。
「どうしたジスラン、急に立ち止まって。ああ、こちらは何事もなかったよ、魔獣も出ていない」
それは知っている、様子を見守っていた以前と同じように、常にマリアンナの傍に使い魔を残していた。異変が起きれば手下の目と耳を通して察知できるよう配備していた。
「……いや、何でもない、書斎へ戻る」
「お供しよう。しかしすごいね、マリーは。前も同じ手段を取ったときは、女が五人必要だったのに」
ジスランは再び足を止め、隣を歩くハシュアの顔を睨むように見下ろした。
「? 下世話だって? 本当のことだろう?」
「お前はいったいどういうつもりで……」
マリアンナを差し出したのか、という言葉はかろうじて呑み込んだ。おそらく聞いても無駄だ、苛立ちが募るばかりだろう。
「そういう趣味なのか」
「どんな趣味?」
「大切な相手だからこそ痛めつけたくなるとか、そういう歪んだ願望を持っているのか?」
「……もしかして数百年前のことを今更怒ってる?」
「違う、そういうわけでは……!」
「ジスランは遠回しすぎていけないな。話がしたいなら後にしようよ、ほら、着替えて食事をとらなきゃ」
「食事? 城で済ませて来た、調査の報告を確認して、場合によってはすぐに発たねば」
「何言ってるの、マリーが待ってるよ?」
ジスランは言葉に詰まった。
「あ、凍り付いた。こらこら、逃げようったってダメだよ、せっかくみんなが準備したんだ」
「そんな命令は出していない! お前、また命令を偽装したな⁉」
「だってマリー、辛そうな顔をしてるんだもの、仲直りの機会をあげたくもなるよ」
避難路を探しながら、ジスランは舌打ちしそうになる。長い時を生きると感情が鈍るとはいえ、なんてデリカシーのない男なんだ。別に慕っているわけでもない雇用主に無理やり組み敷かれたのだ、年頃の娘が落ち込んで当然だろう。そこに当事者を引き合わせようだなんてどうかしている。
「いいかハシュア、私は王城から帰る途中に疫病を患った」
「はあ?」
「だからしばらく部屋からは出ない、侍従とは以前と同じく扉越しにやり取りをする。いいな」
「良くないよ、なんだってそんな強情に」
「合わせる顔がないからに決まっているだろうが……!」
マリアンナにも、お前にも――とは言えなかった。マリアンナには、ここで暮らすだけで構わないと、そういう条件で留置くことに成功した。それなのに、こんなにもあっさりと営みを強行してしまった。ハシュアに対しては、彼が選んだ謳姫を穢してしまった。彼が直々に手を下すなんて数百年ぶりのことだったのに。それを台無しにしかけた。
「でも、彼女は待ってる。一番綺麗なドレスを着せなきゃってニケットが意気込んでた。君に会いたくないとは一言も言ってない。合わせる顔がないってぐらい反省してるなら謝罪はしておいていいんじゃない?」
飄々とのたまう男を怒鳴りつけてやりたくなる。そうしなかったのは、結果的に彼に救われたからだ。事態を拗らせないために、これ以上の策はなかったといっても過言ではないだろう。わかっている、感情論を抜きにして結果だけを重視するならば、彼の方が何倍も正しく、そして統率者らしい采配が出来ている。
「…………わかった、少し遅れると、マリアンナにも伝えておいてくれ」
許してくれるだろうか、マリアンナは。
そこでやっと、ジスランはあの仮住まいさせているだけの少女に厭われることを、ひどく恐れている自分に気づいた。
「おかえり、どうだった?」
「どうもこうもない」
彼がくぐり抜けたばかりの扉は、閉ざされると同時に非活性状態となり輝きを失う。彼の魔力により空間移動通路と化す扉は、建国以来、王城の一画へと通じていた。
「最悪だった。貴族の面々が一堂に会し、私を糾弾するための場であったさ」
「予想通りだね」
「ああ。まるで誰かの手の上で転がされているようだった」
半円に座した王侯貴族と英讃教の面々の前に引っ立てられた時には、既に裁判が始められたのかと思ったほどだ。
「まあ、一つだけ、有益な情報を手に入れられたような気もするが」
「へえ、どんな?」
着飾った老獪や狡猾そうな壮年の男が並ぶ中、一人だけ異彩を放っていたのは、英讃教団の謳姫だ。蒼いドレスと、慈愛に満ちた微笑で武装した乙女の眼差しは、どこか異質だった。ジスランを咎めるでも、疑うでも、庇おうとするのでもない。四肢の末端から絡めとるような、いやしかし値踏みし食らい尽くそうというのでもなかった。どう表現したらいいのかは分からないが、教団を束ねる謳姫であるということを差し引いても、とても二十歳かそこらの娘の目つきとは思えなかった。
自分はともかく、彼女たちは確実に国の中枢に食い込んでいる。力を持ち過ぎているともいえた。もし彼らが国家の転覆を目論んだとして、誰がそれを事前に察知できるだろう――。
「教えない。まだ不確定要素が多すぎる」
「あれ、俺の真似? 拗ねてるなんて珍しいねえ」
ジスランは深くため息をつくと、鈍く痛むこめかみのあたりを押さえ、はたと足を止めた。
――そうか、角はもう消えたのだったか。
爬虫類じみていた虹彩も人間性を取り戻し、肌に浮かんでいた鱗も剥がれ落ちている。すべて、マリアンナのおかげだった。
魔人化は、強力な魔術を行使するため体内に封じ込めていた魔力を放出することで引き起こされる。人の世に適した形に作り替えた体が最大限に魔力を利用できるよう元に戻ってしまうためだ。種として植え付けられた闘争本能がそうさせる。そのため扱うべき魔力が枯渇すれば自然と低動力状態――つまり人間としての形を取り戻せるが、それにはハシュアの尽力を得たとしても一月近くの時を要する。
それをマリアンナは、一晩で鎮めた。
魔力と性欲は親和性が高い。精から魔力を得る種族があるのも、特定の条件下で交合することで魔力を高める術が実在したのもそのためだ。魔物に女を差し出し、その隙をついて首を打ち取ったという伝承もある。これは前者とは逆に、吐精は魔力そのものの放出に他ならず、魔力を失い弱ったところを狙い定めたわけだ。魔物も単に快楽に耽るあまり警戒を怠ったわけではない。
ジスランの魔人化が解けた理由も後者のそれと同じだった。こんな手段を取るつもりはなかった。しかも相手はマリアンナだ、そんな無体を強いただなんて自身の蛮行に吐き気を催しそうになる。それと同時に後ろ暗い歓びがぞくぞく這い上がるのも、心底胸糞が悪い。
この件についての事情説明は、お礼とともにニケットに任せたはずだが。
「どうしたジスラン、急に立ち止まって。ああ、こちらは何事もなかったよ、魔獣も出ていない」
それは知っている、様子を見守っていた以前と同じように、常にマリアンナの傍に使い魔を残していた。異変が起きれば手下の目と耳を通して察知できるよう配備していた。
「……いや、何でもない、書斎へ戻る」
「お供しよう。しかしすごいね、マリーは。前も同じ手段を取ったときは、女が五人必要だったのに」
ジスランは再び足を止め、隣を歩くハシュアの顔を睨むように見下ろした。
「? 下世話だって? 本当のことだろう?」
「お前はいったいどういうつもりで……」
マリアンナを差し出したのか、という言葉はかろうじて呑み込んだ。おそらく聞いても無駄だ、苛立ちが募るばかりだろう。
「そういう趣味なのか」
「どんな趣味?」
「大切な相手だからこそ痛めつけたくなるとか、そういう歪んだ願望を持っているのか?」
「……もしかして数百年前のことを今更怒ってる?」
「違う、そういうわけでは……!」
「ジスランは遠回しすぎていけないな。話がしたいなら後にしようよ、ほら、着替えて食事をとらなきゃ」
「食事? 城で済ませて来た、調査の報告を確認して、場合によってはすぐに発たねば」
「何言ってるの、マリーが待ってるよ?」
ジスランは言葉に詰まった。
「あ、凍り付いた。こらこら、逃げようったってダメだよ、せっかくみんなが準備したんだ」
「そんな命令は出していない! お前、また命令を偽装したな⁉」
「だってマリー、辛そうな顔をしてるんだもの、仲直りの機会をあげたくもなるよ」
避難路を探しながら、ジスランは舌打ちしそうになる。長い時を生きると感情が鈍るとはいえ、なんてデリカシーのない男なんだ。別に慕っているわけでもない雇用主に無理やり組み敷かれたのだ、年頃の娘が落ち込んで当然だろう。そこに当事者を引き合わせようだなんてどうかしている。
「いいかハシュア、私は王城から帰る途中に疫病を患った」
「はあ?」
「だからしばらく部屋からは出ない、侍従とは以前と同じく扉越しにやり取りをする。いいな」
「良くないよ、なんだってそんな強情に」
「合わせる顔がないからに決まっているだろうが……!」
マリアンナにも、お前にも――とは言えなかった。マリアンナには、ここで暮らすだけで構わないと、そういう条件で留置くことに成功した。それなのに、こんなにもあっさりと営みを強行してしまった。ハシュアに対しては、彼が選んだ謳姫を穢してしまった。彼が直々に手を下すなんて数百年ぶりのことだったのに。それを台無しにしかけた。
「でも、彼女は待ってる。一番綺麗なドレスを着せなきゃってニケットが意気込んでた。君に会いたくないとは一言も言ってない。合わせる顔がないってぐらい反省してるなら謝罪はしておいていいんじゃない?」
飄々とのたまう男を怒鳴りつけてやりたくなる。そうしなかったのは、結果的に彼に救われたからだ。事態を拗らせないために、これ以上の策はなかったといっても過言ではないだろう。わかっている、感情論を抜きにして結果だけを重視するならば、彼の方が何倍も正しく、そして統率者らしい采配が出来ている。
「…………わかった、少し遅れると、マリアンナにも伝えておいてくれ」
許してくれるだろうか、マリアンナは。
そこでやっと、ジスランはあの仮住まいさせているだけの少女に厭われることを、ひどく恐れている自分に気づいた。
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