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「さとり温泉にいくの巻」
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ゴールデンウィークは気持ちのよい快晴が続いていた。そうすけの休みに合わせて、さとりたちは一泊二日の温泉旅行へときていた。今夜は例の「ばらえてぃ」番組でそうすけが勝ち取った旅館に泊まって、明日は海のほうへと足を伸ばす予定になっている。
温泉はもちろん、どこかへ泊まりがけで出かけるのなんて、さとりは初めてだ。結局、前の夜は緊張して一睡もできなかった。
ピーヒョロロロ……。
「さとり、こっち」
大きく口をぽかんと開けて青空を見上げていたさとりを、そうすけが呼ぶ。さとりははっとして、そうすけの元へと駆け寄った。電車で二時間半ほど揺られた温泉地は、山が近いせいか空気がひんやりとしていて、どこかさとりの故郷を思い出させた。
一日に数客しか予約をとらない老舗高級旅館は、建物からして立派だった。打ち水がされた清々しい玄関をくぐり抜けると、美しい着物を身にまとった女将がさとりたちを出迎えてくれた。
「荻上さま。本日はようこそいらっしゃいました」
「お荷物お持ちいたします」
屋号を背負った法被を着た初老の番頭がそうすけの手から荷物受け取る。思わずびくっとしてそうすけの後ろに隠れてしまったさとりに気がつくと、番頭はにこにこと微笑んだ。
「どうぞお部屋へご案内いたします」
はっとして、さとりは慌ててぺこりと頭を下げた。
「あ、ありがとうございます!」
それを見たそうすけが、ふっと笑みを浮かべる。
「お世話になります」
絨毯張りの廊下を通って、さとりたちが泊まる部屋へと案内される。二部屋あるうちの一部屋は和室で、掛け軸と生花か飾られた床の間の前に座卓がある。もう一方の部屋は和洋室になっており、ふかふかのベッドが気持ちよさそうだ。障子戸が目隠しになった奥は外へと出られるようになっていて、なんとそこには広いデッキが付いた露天風呂までもがあった。いい匂いがするのは、檜だろうか。
こ、こんなすごい場所にお泊まりするの?
自分がこの場にいていいのかと、どきどきしながら部屋のようすを窺うさとりに、そうすけがぽんとその肩を叩いた。
『だいじょうぶだよ』
肩胛骨のあたりに触れる手のぬくもりから、そうすけの気持ちが伝わってくる。緊張でわずかに強ばっていたさとりの身体から、ふっと力が抜けた。そうだ、たとえどんな場所だろうとそうすけと一緒なら大丈夫だという気持ちが沸いてきて、心の中があたたかくなる。
「失礼いたします」
そのとき、さきほど出迎えてくれた女将が部屋の入り口で三つ指をついて挨拶をした。
「本日は、はるばるお越しくださいましてありがとうございます。華の宿の女将でございます」
女将は部屋に設置されてあった漆塗りの茶道具入から急須と湯呑みを取り出すと、さとりとそうすけにお茶を淹れてくれた。
お世話になります、というそうすけの声に倣って、さとりもぴょこんと頭を下げた。さとりのしぐさに、女将はふっと視線をゆるめた。
『まあま、かわいらしいこと。うちの五歳の息子みたい』
さとりは普段そうすけ以外の人間の心の声を聞くのは得意ではない。めったにない好意的な心の声に、さとりは大きく目を見開いた。ドキドキと鼓動が早鐘を打つ。
「ーー夕食は何時頃にご用意いたしますか?」
「さとり。夕食は何時ごろがいい? 電車の中で弁当を食べちゃったからな。……七時くらいでいいか?」
そうすけの言葉に、さとりはこくこくと頷いた。さとりがぼうっとしている間にも、そうすけと女将は細々としたことを決めていく。そのとき、「大浴場は……」という女将の声が聞こえてきて、さとりは目を見開いた。
大浴場って、テレビでもやってた、大きなお風呂のこと?
「とりあえず風呂にでも入るか」
『せっかくだから、夕食前にさとりと露天でいちゃいちゃして……』
温泉旅館には、まるで泳げるほどに大きなお風呂があるという。実は密かに憧れていた大浴場に入れると聞いて、さとりは期待に満ちたそうすけの心の声も聞き飛ばしてしまった。
「入る! 入る! 大きなお風呂入る。そうすけ、お風呂で泳げるんでしょ?」
え、と聞こえてきたそうすけの声に、さとりは期待に満ちたきらきらした瞳を向ける。
ふ、と微かな笑い声が聞こえたような気がした。びっくりしてさとりが振り向くと、女将が視線をそらし、笑いを堪えるような表情を浮かべていた。わずかに頬を染めたそうすけが、コホンと咳をした。
『まあ、露天は夕食後でもいいか……』
なぜかややがっかりしたようなそうすけの心の声が聞こえて、さとりはえ? と思う。
おいら、何かおかしなこと言ったの?
「そ、そうすけ?」
おろおろと不安げに視線を揺らすさとりに、そうすけはにっこりと微笑んだ。
『大丈夫だよ。なんでもないから』
……ほんとに?
「それじゃあ大きな風呂に入りにいくか」
「うん!」
さとりはこくこくと頷いた。
ゴールデンウィークは気持ちのよい快晴が続いていた。そうすけの休みに合わせて、さとりたちは一泊二日の温泉旅行へときていた。今夜は例の「ばらえてぃ」番組でそうすけが勝ち取った旅館に泊まって、明日は海のほうへと足を伸ばす予定になっている。
温泉はもちろん、どこかへ泊まりがけで出かけるのなんて、さとりは初めてだ。結局、前の夜は緊張して一睡もできなかった。
ピーヒョロロロ……。
「さとり、こっち」
大きく口をぽかんと開けて青空を見上げていたさとりを、そうすけが呼ぶ。さとりははっとして、そうすけの元へと駆け寄った。電車で二時間半ほど揺られた温泉地は、山が近いせいか空気がひんやりとしていて、どこかさとりの故郷を思い出させた。
一日に数客しか予約をとらない老舗高級旅館は、建物からして立派だった。打ち水がされた清々しい玄関をくぐり抜けると、美しい着物を身にまとった女将がさとりたちを出迎えてくれた。
「荻上さま。本日はようこそいらっしゃいました」
「お荷物お持ちいたします」
屋号を背負った法被を着た初老の番頭がそうすけの手から荷物受け取る。思わずびくっとしてそうすけの後ろに隠れてしまったさとりに気がつくと、番頭はにこにこと微笑んだ。
「どうぞお部屋へご案内いたします」
はっとして、さとりは慌ててぺこりと頭を下げた。
「あ、ありがとうございます!」
それを見たそうすけが、ふっと笑みを浮かべる。
「お世話になります」
絨毯張りの廊下を通って、さとりたちが泊まる部屋へと案内される。二部屋あるうちの一部屋は和室で、掛け軸と生花か飾られた床の間の前に座卓がある。もう一方の部屋は和洋室になっており、ふかふかのベッドが気持ちよさそうだ。障子戸が目隠しになった奥は外へと出られるようになっていて、なんとそこには広いデッキが付いた露天風呂までもがあった。いい匂いがするのは、檜だろうか。
こ、こんなすごい場所にお泊まりするの?
自分がこの場にいていいのかと、どきどきしながら部屋のようすを窺うさとりに、そうすけがぽんとその肩を叩いた。
『だいじょうぶだよ』
肩胛骨のあたりに触れる手のぬくもりから、そうすけの気持ちが伝わってくる。緊張でわずかに強ばっていたさとりの身体から、ふっと力が抜けた。そうだ、たとえどんな場所だろうとそうすけと一緒なら大丈夫だという気持ちが沸いてきて、心の中があたたかくなる。
「失礼いたします」
そのとき、さきほど出迎えてくれた女将が部屋の入り口で三つ指をついて挨拶をした。
「本日は、はるばるお越しくださいましてありがとうございます。華の宿の女将でございます」
女将は部屋に設置されてあった漆塗りの茶道具入から急須と湯呑みを取り出すと、さとりとそうすけにお茶を淹れてくれた。
お世話になります、というそうすけの声に倣って、さとりもぴょこんと頭を下げた。さとりのしぐさに、女将はふっと視線をゆるめた。
『まあま、かわいらしいこと。うちの五歳の息子みたい』
さとりは普段そうすけ以外の人間の心の声を聞くのは得意ではない。めったにない好意的な心の声に、さとりは大きく目を見開いた。ドキドキと鼓動が早鐘を打つ。
「ーー夕食は何時頃にご用意いたしますか?」
「さとり。夕食は何時ごろがいい? 電車の中で弁当を食べちゃったからな。……七時くらいでいいか?」
そうすけの言葉に、さとりはこくこくと頷いた。さとりがぼうっとしている間にも、そうすけと女将は細々としたことを決めていく。そのとき、「大浴場は……」という女将の声が聞こえてきて、さとりは目を見開いた。
大浴場って、テレビでもやってた、大きなお風呂のこと?
「とりあえず風呂にでも入るか」
『せっかくだから、夕食前にさとりと露天でいちゃいちゃして……』
温泉旅館には、まるで泳げるほどに大きなお風呂があるという。実は密かに憧れていた大浴場に入れると聞いて、さとりは期待に満ちたそうすけの心の声も聞き飛ばしてしまった。
「入る! 入る! 大きなお風呂入る。そうすけ、お風呂で泳げるんでしょ?」
え、と聞こえてきたそうすけの声に、さとりは期待に満ちたきらきらした瞳を向ける。
ふ、と微かな笑い声が聞こえたような気がした。びっくりしてさとりが振り向くと、女将が視線をそらし、笑いを堪えるような表情を浮かべていた。わずかに頬を染めたそうすけが、コホンと咳をした。
『まあ、露天は夕食後でもいいか……』
なぜかややがっかりしたようなそうすけの心の声が聞こえて、さとりはえ? と思う。
おいら、何かおかしなこと言ったの?
「そ、そうすけ?」
おろおろと不安げに視線を揺らすさとりに、そうすけはにっこりと微笑んだ。
『大丈夫だよ。なんでもないから』
……ほんとに?
「それじゃあ大きな風呂に入りにいくか」
「うん!」
さとりはこくこくと頷いた。
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