ことばの繋ぎ手

武内れい

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第一章:見えないひずみ

18、音なき呼び声(後半)

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 それぞれの場所で、それぞれの時間の中で、
 五人の子どもたちは、まだ見ぬ何かにそっと触れ始めていた。

 見えないひずみは確かにそこにあり、
 言葉の皮を一枚めくった奥で、静かに息づいている。
 それは、共通の呼び声のように――音のない波紋はもんとなって、彼らの胸に広がっていく。

 ■ 神宮寺こころ ― 家路の途中、黄昏時たそがれどき

 掃除を終えて帰る道すがら、こころは山裾やますその細道を歩いていた。
 風が冷たくなり、木の間から差す陽が傾いてくる。
 小道に敷き詰められた砂利が、足元でさくりさくりと鳴った。

 そのとき、不意に背中をすっと何かが撫でたような感覚がした。
 振り返っても、誰もいない。
 ただ、夕陽に照らされた地面に、小さな白い紙切れが一枚、舞い降りていた。

 拾い上げると、そこには見慣れぬ記号がひとつ、墨で書かれていた。

 ……これは、祝詞のりと補助符ほじょふに似ている。
 だが、祖父からは一度も教わっていない形だった。

 こころは息を呑み、紙をたもとにそっとしまった。
 胸の奥がじわりと温かくなり、それと同時に、どこかが冷たくなっていく。

(この感覚……私だけじゃない気がする)

 誰かと、どこかで繋がっているような――そんな奇妙な安心感が、不安の隙間に忍び込んできた。


 ■ 中村蒼 ― 自室のベッドの上、夕暮れ

 蒼はイヤホンをつけて、駅の構内放送の録音を繰り返し聞いていた。
 数日前に自分のレコーダーで録音したもの。
 普通の人なら気にもしないようなノイズの入り方に、彼は耳を凝らしていた。

(……やっぱり、ある。ここ。『しんがり』って、言ってる……?)

 録音の中に、一瞬だけ、時刻案内とは無関係な言葉が混じっていた。
「しんがり」。
 まるで誰かが、放送の影にまぎれて何かを残していったかのようだ。

 そして次の瞬間、窓の外の電線に、カラスが一羽、止まった。
 ガラス越しの視線が重なった気がして、蒼は息を呑んだ。

 そのカラスが、何か知っているような気がした。
 言葉にならない、曖昧な確信。
 恐怖と興奮がないまぜになり、彼の胸を締めつけた。

(ひとりじゃない……。この異音は、誰かに向けて鳴ってる)

 蒼はレコーダーをぎゅっと握りしめた。
 その手のひらに、答えはまだない。


 ■ 安藤みなみ ― カフェの裏口、日没直後にちぼつちょくご

 閉店準備を終えた美波は、裏口のごみ出しに出た。
 空は藍色あいいろに染まり、遠くの空に一番星いちばんぼしがちらりと顔を覗かせている。

 ふと耳を澄ますと、背後から微かな声が聞こえた。
「ひとつ、ことばを置いていく……」

 それは、黒板のポエムの一節。
 誰かが、まるで読み上げているかのような抑揚よくようで、すぐ後ろからささやいていた。

 美波は凍りついたように動けなかった。
 しかし、勇気を出して振り返ると、そこには誰もいなかった。

 代わりに、路地の隅に落ちていた紙片しへんに目が留まる。
 拾い上げると、それには黒板に書かれたはずの詩と同じ言葉が墨で綴られていた。

 だが、最後の一行が違っていた。

〈言葉が守るのではない。言葉を守る者がいる。〉

 喉の奥で何かがつかえ、美波は紙を握りしめた。
 胸が、静かに、けれど確かに脈打つ。

(私……呼ばれてる?)


 ■ 伊集院春 ― 花屋の裏手、仕分け室しわけしつ

 夕飯を済ませた後、春は店の裏手にある小さな仕分け室で、翌日の準備をしていた。
 だが、そこに置かれていた一束の花――青い紫陽花あじさいが、音もなく崩れた。

 花びらが地面に舞い、まるで何かの合図のようだった。

「枯れて……いないのに」

 春はしゃがみ込み、花びらを拾い上げる。
 その中に、折り畳まれた紙がひとつ混じっていた。
 開くと、そこにはやはり見慣れぬ記号と、誰かの手書きの文字。

〈花が語る声を聞け〉

 それだけが、淡墨うすずみで記されていた。
 それは、彼が自分の中だけに抱えていた思いと、まったく同じ言葉だった。

 春は、誰かが自分を知っていることに驚き、そして、恐ろしくなった。
 だが、その紙を手放すことはできなかった。


 ■ 堀内叶多 ― ベッドの中、夜更よふ

 天井を見上げながら、叶多は今日のテーマパークでの出来事を思い出していた。
 あの、言葉を噛んだキャスト。
 その直後に現れた、奇妙な来園者。

「ただの偶然……じゃないよな」

 手元のスマホに入っている、録音ファイルを再生する。
 パークの出入り口で毎日流れるセリフ。
「またのお越しを、お待ちしております!」

 しかし今日の録音は違っていた。
 一瞬、声が重なっていたのだ。

「またのおこしを――ま……ま、ま……」

 その奇妙なノイズに似た繰り返しが、なぜか頭から離れない。

(言葉って、壊れるのか……?)

 そんなことを考えた自分に驚きながらも、叶多の胸には確かに何かが残っていた。
 まるで、遠くで誰かが呼んでいるような、そんな感覚。

 五人はまだ出会っていない。
 だが、互いを知らぬままに、同じ波に足を踏み入れ始めている。

 言葉の裏に広がる見えない網目あみめが、ゆっくりと彼らを導き、ひとつに束ねようとしていた。
 夜の深まりとともに、その気配は確かさを増していく。

 ――呼ばれている。
 言葉に、意味ではない何かが宿っているとしたら。

 それはもう、偶然ではない。

 やがて来るべき時のために、彼らはそれぞれの場所で、気づきという名の扉を叩き始めていた。

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