ことばの繋ぎ手

武内れい

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第一章:見えないひずみ

19、裂け目の静音(前半)

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 夜のとばりが下りた街は、一見すると何の変哲へんてつもない静けさに包まれている。
 だが、その皮膜ひまくの下にひそむものに、誰も気づかぬままでいた。

 それは音を立てない崩壊ほうかい
 目に映らぬほころびが、確かに存在している。
 人知れず、言葉の形を模しながら、日常の隙間に侵入してくる。

 夜の街の片隅――そこに現れはじめた裂け目は、まだ誰にも名付けられていない。

 風がないのに、紙が舞う。
 音が鳴らぬはずの場所で、なにかが微かにきしむ。

 今夜、街のいたるところで、それは同時に起きはじめていた。


 *駅の構内(深夜0時過ぎ)
 ホームの明かりは最終列車の出発とともにほとんど消え、構内は仄暗ほのぐら緑灰色りょくかいしょくの世界と化していた。
 券売機の表示が一瞬だけらめき、数字の列がにじむように溶けた。

 誰もいないはずの自動改札の向こうで、微かに靴音が響く。
 ガタン、ガタン……
 電車の音ではない。床のコンクリートを、乾いた何かがこすれる音。

 構内の壁に貼られた注意書きのひとつが、パリ、と音を立てて割れた。
 紙ではない。金属製のプレートが、まるでガラスのように砕け散ったのだ。

 その断面に、ほんの僅かだが、黒い何か――文字のようで、記号のようでもない図形が浮かんでいた。
 直線と曲線が交差し、歪みの中でまたたいた。

 まるで駅そのものが、言葉にならないうめきを上げているかのようだった。


 *神社の裏山・祠の前
 月が雲に隠れ、あたりはすっかり漆黒しっこくに沈んでいた。
 神宮寺じんぐうじ家の裏手にある小さなほこら。日中でも訪れる人はほとんどおらず、今はただ、濡れた木の匂いだけが辺りに漂っている。

 その祠の前で、空気が震えていた。
 肉眼ではとらえきれないが、風もないのに草がそよぎ、灯籠の影が揺れている。

 木の根元に生えた苔がじわりと湿り、そこから音もなく黒いしみのような模様が広がっていた。
 そして祠の扉に、誰かが爪で描いたかのような曲線がひとつ――。

 それは古代の神文しんもんに似た流れを持っていたが、どの資料にもない形だった。
 意味のないはずの形が、なぜか読めそうに感じてしまう。
 目を逸らしたくなるのに、どうしてもそこに心が吸い寄せられる。

 祠の中から、乾いた音が一度だけ鳴った。
 それは木の柱がきしむ音ではなかった。
 あまりにもはっきりと、誰かがいると思わせる気配だった。


 *カフェの黒板
 カフェの灯りはすでに落とされ、店内にはほのかに残るコーヒー豆の香りと甘い焼き菓子ののこり香が漂っていた。
 外から見れば、黒い鏡のようにガラス戸が夜を映している。

 しかし、レジ横の黒板だけは、なぜか照明が落ちたはずの空間の中でもぼんやりと光を帯びていた。
 チョークの文字は確かに誰かが消したはずだった。
 だが、消した箇所から、別の詩がにじみ出るように浮かび上がってきている。

 〈この街の言葉が、守るより先に、裂けるなら。〉

 そんな一文が、まるで誰かの手が書き足したかのように現れていた。
 そして、その詩の一行がひとりでに少しだけずれた。文字列が、左右に波を打つように揺れたのだ。

 静寂の中で、壁の棚に置かれたティーポットがかすかに揺れ、コトン、と傾く。
 何かの振動――しかし地震ではなかった。

 空気そのものが、意味を持って押し寄せてくるような、そんな異様な感覚だけがあった。


 *花屋の裏口
 花屋の扉は閉められ、ガラスにうっすらと夜露がにじんでいた。
 明かりを落とした店内では、季節外れの百日草ひゃくにちそうがひとつ、花弁を落とした。

 ぽと、と音を立てて床に落ちた花弁は、数秒と経たずして黒ずみ、そしてその中心に点のような染みが広がった。
 まるでインクがにじむように、そこから微かな模様が広がっていく。

 花の根元、カード立ての中に差された花言葉のメモが、一枚だけ風もないのにゆらりと立ち上がった。
 そこに記された言葉が、音もなく書き換わっていく。

〈永遠の調和〉→〈破れゆく約束〉

 書いた覚えのないその文字に、空間が静かにきしんだ。
 匂い立つようだった花々の香りが、どこか生温なまぬるい空気に溶けていく。

 まるで花そのものが声を失っていくような、奇妙な喪失感だけが残った。


 *テーマパークの裏門
 来園者のいない夜のテーマパークは、昼の喧騒けんそうとまるで別物だった。
 電飾の消えた建物は不気味な輪郭りんかくを露わにし、静まり返ったアトラクションの影が壁をっている。

 裏門のフェンスに、誰かがチョークで描いたような線があった。
 しかしその線は、今、動いていた。
 描かれた模様が、うねり、うごめいていた。

 一瞬だけ、入場時に流れるBGMのメロディが、スピーカーの中から音割れしたように漏れてきた。
「いらっしゃいませ……」という歓迎の言葉が、途切れ途切れになり、やがて意味を失っていく。

「い、いら……しゃ……い、ま……え」

 まるで音そのものが裂け、意味をがれていく過程を生で聴いているようだった。

 フェンスの向こうに、誰かが立っていた。
 シルエットのように、音もなく――まるで現実の影そのものが意思を持って立ち現れてきたかのように。

 誰も気づかぬ場所で、
 誰も見ていない時刻に、
 静かに、しかし確かに裂け目が開きはじめていた。

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