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第二章
(12)謎の井戸
しおりを挟むその人物は、明るい昼間だというのに頭からすっぽりフードをかぶっていて、人目を避けるように顔を伏せていた。そのいかにも怪しげな風体で、せかせかと歩いている。
距離を置いてこっそり観察していると、その不審者は立派な木がある廃屋の塀の前で足を止めた。そこは塀が壊れて、人がかろうじて通れるほどの隙間ができていた。
これはあやしい。
そう思いながら見ていると、不審者はキョロキョロと周囲を確かめてから、するりと隙間から中へと入っていった。
……すごく怪しいな。
思いきり怪しすぎて、好奇心が私を駆り立てる。こっそりと足を忍ばせ、気配を殺し、生まれ育った領地で得た全技術を駆使して、私は不審者の後を追って中に忍び込んだ。
壊れた塀の中は、予想通りの光景が広がっていた。
日当たりがいい場所では雑草が生い茂っている一方で、鬱蒼と茂りすぎた木々の下では日光が完全に遮られてしまって、ほとんど何も生えていない。
不審者に驚いて飛び立った小鳥たちは、気配を殺している私には気付いていないようで、のんびり地表に降りたり小枝を飛び回ったりしている。
この小鳥たちのくつろぎ方、やはりここには人が住んでいないようだ。
そろりそろりと進むうちに、さっきの不審者がを見つけた。フードを深くかぶったまま、古い井戸を覗き込むように立っている。
あの人、何をしているんだろう。
無性に気になって、こっそりと雑草の中を移動して、よく見える位置まで回り込んだ。
どうやら井戸に向けて何か言っているらしい。でも、私には何も聞こえない。
おかしい。
あの口の動かし方、それに大きく息をつくような肩の動き。
どう考えても「叫んでいる」ように見える。なのに、かなり近付いているのに何も聞こえなかった。
何気なく周りを見ると、不審者の近くでは小鳥が砂浴びをしていた。やはり私だけが聞こえないわけでもないようだ。
しばらくして、不審者はくるりと井戸に背を向けた。
不思議なことに、最初に見かけた時の怪しさ全開の雰囲気が消えていた。フードを被ったままの胡散臭い姿なのに、何だか清々しさすら感じる。
口元が微笑んでいるせいだろうか。
まるで……全ての怨みつらみを放出し切ったかのような、そんな爽やかさだ。
明るい雰囲気になった不審者は、軽やかな足取りで塀の方へと戻っていった。そのまま外に出るようだ。
でも、今度は後を追わなかった。
あの不審者のことは、もうどうでもいい。
今の、興味の対象は井戸だ。
どうみても叫んでいたのに、何も聞こえなかった井戸。
ストレスが消え去ったようなあの足取りを見て、私はピンときた。それを確かめなければ。……主に私の好奇心のために!
まず、そっと井戸に近寄いてみる。近くから見ても、井戸はごく平凡な井戸にしか見えなかった。
本来は蓋がついていたみたいだけど、木の板が朽ちてしまって、閉まっているのは半分以下の状態になっている。
子供が遊びに来る場所ならとても危険だ。ここは滅多に人が来ないようだけど、ぽっかりと暗い空間が深々と続いていた。
水面も底も全く見えない。王都の井戸にしては深すぎる。ますます怪しい。
私は小石を拾って井戸の内壁を狙って投げてみた。
小石は狙い通りに壁に当たって落ちていく。でも、何も音はしない。
次に、手を叩いてみた。まずは井戸の内部に身を乗り出して。次は井戸の石積みの枠の上で。さらに一歩離れた場所で。
井戸から一歩離れて、ようやく手を叩く音が聞こえた。
それまでは、手のひらがピリリと痛むほど叩いているのに、全く音がしなかった。
「……ふむ。つまりこれは、音を吸い込む井戸なのかな?」
私は気取った姿勢で呟くと、にやりと笑った。
早速、井戸に向けて思いっきり叫んだ。「あー!」とか「ヤッホー!」とか叫んだはずなのに、私の耳には何も聞こえない。
振り返ると、ちょうど通りかかった猫がのんびりと歩いていた。
私が大きな声を出して、動物があんなにのほほんとしているなんてあり得ない。領地にいた頃は、声だけでウサギを狩るとまで言われた私だからね!
ふふふ。実にいいものを見つけてしまった。
この不思議な井戸、最大限に活用させてもらいましょう!
『……クズは滅びろっ!』
井戸の奥に向けて思いっきり叫んだ。
『二十四歳のいい大人のくせに、十六歳の小娘の手に触って喜ぶなぁぁぁっ!』
腹の底から叫んでいるのに、何も聞こえない。
ああ、なんて素晴らしい! 私のためにあるようなストレス解消場所だっ!
さらにクズ男への不平不満を叫びながら、私は喜びに浸っていた。
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