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宵朧国の気候は独特で、朝の十時まで暗闇に包まれる。
明るい時間が極端に少ないからこそ、宵朧国などと呼ばれているのだ。
枕元にズラリと並べた目覚ましを順に叩き、朱雀はリビングの電気をつける。
彼は寝起きが極端に悪かった。
スマホの電源ボタンを押し、家族写真を壁紙にしたホーム画面からいつものアプリを起動する。
上海に居る妻のカイリと子供たちとビデオ通話をするのは、朱雀の毎朝の日課だ。
『とーちゃんだ!』
『今日は珍しく早いんだね』
毎朝……ではなく起きてすぐの日課であった。
「んやぁ今日は梓容の奴が……ま、やめとくわこんな話」
ただでさえ家を出るまで時間の余裕がないのに、それを同僚の愚痴に費やすのはあまりに下らない。
長男の海舟が朝食を口にべったり付けているのを指摘したりして、朱雀は身支度を進めた。
テレビをつけると、朝のニュースが流れている。
どうやら日本のブリーダーが、女児の培養に成功したらしい。
ある時を境に人間の女は徐々に減少し、今では世界に数人しか居なくなってしまった。
その貴重な女性というのも、老婆ばかりで若いのは一人も居ない。
以前のような規模の自然生殖が困難になった人間は、子宮の役割を果たす代替品を開発した。
『人間培養器』を扱い、生まれた子供を手元で育てるには、試験を受けた上で免許を取得する必要がある。
人間ブリーダーは、無資格で出来る職業ではない。
しかし、これもあくまで法の上での話だ。
全ての人間がルールに従うだなんてあり得ないし、無秩序な場所というのは存在している。
見逃されていたり、知っていて目を逸らされているだけなのだ。
朱雀が滞在しているマンションを出ると、既に迎えの車が来ていた。
どこへ行くにもバイクを乗り回していた朱雀も、大分背広上下が身体に馴染んだ。
風になびくジャケットの派手な裏地には、まだ彼のやんちゃさが残っていた。
車は、朱雀らの拠点の一つであるオフィスへと向かう。
朱雀一派が違法ブリーダーに殴り込みをかけて奪い取った建物だ。
ブリーダーの資格もなければ、まともな子供の扱いも心得ていない連中だったから、使い道もないだろうと思い殺してやった。
約束していた部屋に着くと、同僚の梓容が待ち構えていた。
朱雀が所属するチャイニーズマフィア・青龍のボスである俊熙から寝盗ったカントボーイの騎良を伴って。
「よっ、朱雀」
「っす、珍しっすね騎良さん」
朱雀は俊熙の右腕であり忠臣だが、俊熙を捨てて梓容に乗り換えた騎良との関係は至って良好だ。
他人の色恋には興味がないし、寝盗られるのは割りと自己責任というのが朱雀の持論である。
朱雀は愛妻家だが、非常にドライな恋愛観を持っていた。
人となりを詳しく知らずとも悪女然としているのが伝わってくる騎良は、女性器のある男……カントボーイだ。
カントボーイの出現については、女が減った人間という種族なりの進化の形と世間では解釈されている。
朱雀の妻・カイリもカントボーイで、十五歳にして二児の母だった。
「で、今日はどういったご用件で」
「朱雀お前、今度日本に出張だろ?」
「まぁ……」
「俺も連れていけ」
絶対にそう来るだろうと予想はしていた。日本は騎良の母国である。
特に断る理由もないので了承すると、騎良の後ろから梓容が睨んだ。
二人がかりで説得するつもりだったのだろうか。
誰がそんな面倒なことをするものか。
「二人で話し合ってくださいよ。俺は本当、どっちでもいいんで」
朱雀が部屋を出てドアを閉めるなり、言い争いが始まる。
コーヒーか煙草か迷い、ぶらぶらと適当に歩いていた。
「あっ、朱雀じゃん」
「……よう」
玄関前の階段では、まだ幼さの残る少年が煙草を吸っている。
彼は、違法ブリーダーが金持ちに売り付ける子供を産まされていたカントボーイだ。
同じ境遇のカントボーイが他に数人居て、事務仕事でもさせるかと考えて保護したが、こいつらは全く仕事をしない。
「来たばっかでしょ? 暇になんの早すぎん? 俺とヤってく?」
「ヤんねーよ、妻も子も居んだよ」
彼に魅力がないかというとそういうわけではない。
だが、仮に所帯持ちでなくとも朱雀はその気にはならないだろう。
淡白故に絡まれがちな男である。
「つかお前最初梓容狙いだったろ。あれを俺で補えんのかよ」
もしあいつに似ているなどと言われたら、正直どんな罵倒よりも朱雀に効く。
「確かに系統全然違うけどさぁ~。朱雀は二推しっていうか」
「んだそりゃ」
朱雀が煙草を咥えると、少年は勝手に話を続ける。
「騎良さんって魔性なんだよ、勝てる気しない」
「……まァそうだわな。俺も最初は親分がヘタレだからだと思ってたが、あの空気は騎良さんが作ってた」
「自分のボスをヘタレって」
ケラケラと笑う少年。
息を吐くと、思いの外周囲が煙だらけになった。
「あの人はやくざの才能はある。でも恋愛は駄目駄目だ。チー牛並みだ」
「うわぁ、ボロクソ」
「自分の親分をその辺で判断してねぇからどうでもいんだわ」
俊熙が意中の相手に散々利用された挙げ句捨てられようが、朱雀にとってはどうでもいい。
とはいえ、騎良の魔性に深入りしたくないのも事実だった。
「あーっ、俺のカイリが魔性のオンナじゃなくて良かったぜぇ」
「惚気うざ」
カイリが傍に居たから、朱雀は自分が破天荒ながらも幸せに生きてきたと思う。
カイリは朱雀を正しい軌道に乗せてくれている。
共に過ごしてきて、騎良がするように破滅に誘われた感覚はなかった。
そこで朱雀はふと、ある男を思い出した。
いかにも人畜無害なカイリが狂わせた、唯一の男を。
七年前、朱雀は違法ブリーダーに拐われ、カイリとそいつに出会ったのだ。
そいつにとってのカイリは、紛れもなく魔性だっただろう。
朱雀とカイリ、そしてリクト。
三人が揃って起きたのは、決していい出来事ではなかった。
しかし、今の朱雀とカイリが在る為に必要な時間ではあったのだ。
語るでもなく、朱雀は当時を一人回顧した。
明るい時間が極端に少ないからこそ、宵朧国などと呼ばれているのだ。
枕元にズラリと並べた目覚ましを順に叩き、朱雀はリビングの電気をつける。
彼は寝起きが極端に悪かった。
スマホの電源ボタンを押し、家族写真を壁紙にしたホーム画面からいつものアプリを起動する。
上海に居る妻のカイリと子供たちとビデオ通話をするのは、朱雀の毎朝の日課だ。
『とーちゃんだ!』
『今日は珍しく早いんだね』
毎朝……ではなく起きてすぐの日課であった。
「んやぁ今日は梓容の奴が……ま、やめとくわこんな話」
ただでさえ家を出るまで時間の余裕がないのに、それを同僚の愚痴に費やすのはあまりに下らない。
長男の海舟が朝食を口にべったり付けているのを指摘したりして、朱雀は身支度を進めた。
テレビをつけると、朝のニュースが流れている。
どうやら日本のブリーダーが、女児の培養に成功したらしい。
ある時を境に人間の女は徐々に減少し、今では世界に数人しか居なくなってしまった。
その貴重な女性というのも、老婆ばかりで若いのは一人も居ない。
以前のような規模の自然生殖が困難になった人間は、子宮の役割を果たす代替品を開発した。
『人間培養器』を扱い、生まれた子供を手元で育てるには、試験を受けた上で免許を取得する必要がある。
人間ブリーダーは、無資格で出来る職業ではない。
しかし、これもあくまで法の上での話だ。
全ての人間がルールに従うだなんてあり得ないし、無秩序な場所というのは存在している。
見逃されていたり、知っていて目を逸らされているだけなのだ。
朱雀が滞在しているマンションを出ると、既に迎えの車が来ていた。
どこへ行くにもバイクを乗り回していた朱雀も、大分背広上下が身体に馴染んだ。
風になびくジャケットの派手な裏地には、まだ彼のやんちゃさが残っていた。
車は、朱雀らの拠点の一つであるオフィスへと向かう。
朱雀一派が違法ブリーダーに殴り込みをかけて奪い取った建物だ。
ブリーダーの資格もなければ、まともな子供の扱いも心得ていない連中だったから、使い道もないだろうと思い殺してやった。
約束していた部屋に着くと、同僚の梓容が待ち構えていた。
朱雀が所属するチャイニーズマフィア・青龍のボスである俊熙から寝盗ったカントボーイの騎良を伴って。
「よっ、朱雀」
「っす、珍しっすね騎良さん」
朱雀は俊熙の右腕であり忠臣だが、俊熙を捨てて梓容に乗り換えた騎良との関係は至って良好だ。
他人の色恋には興味がないし、寝盗られるのは割りと自己責任というのが朱雀の持論である。
朱雀は愛妻家だが、非常にドライな恋愛観を持っていた。
人となりを詳しく知らずとも悪女然としているのが伝わってくる騎良は、女性器のある男……カントボーイだ。
カントボーイの出現については、女が減った人間という種族なりの進化の形と世間では解釈されている。
朱雀の妻・カイリもカントボーイで、十五歳にして二児の母だった。
「で、今日はどういったご用件で」
「朱雀お前、今度日本に出張だろ?」
「まぁ……」
「俺も連れていけ」
絶対にそう来るだろうと予想はしていた。日本は騎良の母国である。
特に断る理由もないので了承すると、騎良の後ろから梓容が睨んだ。
二人がかりで説得するつもりだったのだろうか。
誰がそんな面倒なことをするものか。
「二人で話し合ってくださいよ。俺は本当、どっちでもいいんで」
朱雀が部屋を出てドアを閉めるなり、言い争いが始まる。
コーヒーか煙草か迷い、ぶらぶらと適当に歩いていた。
「あっ、朱雀じゃん」
「……よう」
玄関前の階段では、まだ幼さの残る少年が煙草を吸っている。
彼は、違法ブリーダーが金持ちに売り付ける子供を産まされていたカントボーイだ。
同じ境遇のカントボーイが他に数人居て、事務仕事でもさせるかと考えて保護したが、こいつらは全く仕事をしない。
「来たばっかでしょ? 暇になんの早すぎん? 俺とヤってく?」
「ヤんねーよ、妻も子も居んだよ」
彼に魅力がないかというとそういうわけではない。
だが、仮に所帯持ちでなくとも朱雀はその気にはならないだろう。
淡白故に絡まれがちな男である。
「つかお前最初梓容狙いだったろ。あれを俺で補えんのかよ」
もしあいつに似ているなどと言われたら、正直どんな罵倒よりも朱雀に効く。
「確かに系統全然違うけどさぁ~。朱雀は二推しっていうか」
「んだそりゃ」
朱雀が煙草を咥えると、少年は勝手に話を続ける。
「騎良さんって魔性なんだよ、勝てる気しない」
「……まァそうだわな。俺も最初は親分がヘタレだからだと思ってたが、あの空気は騎良さんが作ってた」
「自分のボスをヘタレって」
ケラケラと笑う少年。
息を吐くと、思いの外周囲が煙だらけになった。
「あの人はやくざの才能はある。でも恋愛は駄目駄目だ。チー牛並みだ」
「うわぁ、ボロクソ」
「自分の親分をその辺で判断してねぇからどうでもいんだわ」
俊熙が意中の相手に散々利用された挙げ句捨てられようが、朱雀にとってはどうでもいい。
とはいえ、騎良の魔性に深入りしたくないのも事実だった。
「あーっ、俺のカイリが魔性のオンナじゃなくて良かったぜぇ」
「惚気うざ」
カイリが傍に居たから、朱雀は自分が破天荒ながらも幸せに生きてきたと思う。
カイリは朱雀を正しい軌道に乗せてくれている。
共に過ごしてきて、騎良がするように破滅に誘われた感覚はなかった。
そこで朱雀はふと、ある男を思い出した。
いかにも人畜無害なカイリが狂わせた、唯一の男を。
七年前、朱雀は違法ブリーダーに拐われ、カイリとそいつに出会ったのだ。
そいつにとってのカイリは、紛れもなく魔性だっただろう。
朱雀とカイリ、そしてリクト。
三人が揃って起きたのは、決していい出来事ではなかった。
しかし、今の朱雀とカイリが在る為に必要な時間ではあったのだ。
語るでもなく、朱雀は当時を一人回顧した。
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