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狭い部屋に、十人余りの子供が集められている。
今日は久々に彼らを作ったブリーダーが帰ってきたのだ。
年長格の少年は、ブリーダーに腕のタトゥーを見せびらかす。
「かっけーだろ!」
「まァたお前は勝手に……」
ブリーダーは呆れているが、強く叱ったりはしない。
少年は体格が大きく、少々気性が荒かった。
「見てんならこっち来いよ、カイリ」
一部始終を部屋の隅で見ていたカイリは、タトゥーの少年に呼びつけられる。
逆らってもいいことはないので素直に行くと、肩を抱いて引き寄せられた。
「でぇ? なんだよ狭い部屋に押し込めて」
長い襟足を手櫛で直しながら、少年……リクトは全員の疑問を代弁する。
一応二人から三人で使う部屋はあったし、帰ったからといって子供たちと戯れるタイプのブリーダーでもない。
違法ブリーダーがそう真っ当なら、ブリーダーに免許はいらないだろう。
「……新しい友達を連れてきた」
「はぁ? トモダチィ?」
遅れて入ってきたブリーダーの部下が、少年の首根っこを掴んで連れてくる。
さながら奴隷商人のように。
「はーい、今日から皆と暮らす新入り君でぇーす。お前らと同じで番号とかねぇから、適当に呼び名考えてやって」
本来、ブリーダーに作られた子供にはブリーダーに紐付く識別番号があった。
無論、違法ブリーダーの元で暮らす子供に識別番号はない。
名前や戸籍が与えられるのは親が決まるか成人してからだが、識別番号がないとその手続きすら出来ないのだ。
つまり、違法ブリーダーに作られれば一生名無しの人生が確定するのである。
新入りだという少年は、俯いて誰とも目を合わせない。
部屋に連れて行かれると、夕飯の時間になっても出て来なかった。
「あぁ、カイリ。これ新入り君に持ってってくれる?」
他の子供はさっさと食べてしまい、カイリだけが残った食堂。
食事係の大人に頼まれたカイリは、新入りの部屋へと夕飯が乗ったお盆を届けた。
ノックをし、置いておくと伝えてみたが、反応はない。
次の朝、部屋の前には手付かずの食事がそのまま放置されていた。
声を掛けても返事のない部屋の前に、カイリが食事を置くのが習慣になった頃。
新入りはただの一口も食べなかったし、冷めた料理を戻したところで大人たちは誰も彼を気にかけはしなかった。
「新入り君、今日のご飯はオムライスだよ。皆に取られないようにとっておくの大変だったんだからね」
いつもの食事係が作るのは即席の汁物と簡単なおかずくらいのものだが、今日は食事係が休みだから日雇いのバイトが来た。
そのバイトも違法ブリーダー出身で、まともな企業に就職出来ないと聞いた。
強情な新入りは、オムライスの香ばしい香りにも動じない。
昨日までのカイリであれば、ドアに鍵なんか付いていないのを知っていてもお盆を置いて帰った。
断りもせずに入ったのは、報われない努力に嫌気がさしたからだろうか。
もしくは一度顔を見ただけの少年に何かを感じていたのかもしれない。
「ねぇ、食べないと死ぬよ」
「……」
一見寝ているようだった。しかし目は開いていて、単にカイリに意識を全く向けていないのだ。
普通は無視されていても存在を認識しているのは伝わってくる。
新入りはカイリが入ってきたことにすら気付いていなかった。
体は覚醒しているのに、思考はどこかに行ってしまっている。
「ねぇってば。おーい!」
まだ八歳のカイリには、新入りの状態が理解不能だった。
話し掛けてもどうにもならないので、スプーンで小さく割ったオムライスを新入りの口に突っ込む。
オムライスは唇の隙間にしか入らず、歯は食い縛ったままで咀嚼などもっての他である。
「……置いておくから」
一口分のオムライスが乗ったスプーンを皿に戻し、カイリは部屋を後にする。
きっと、新入りはじきに死ぬのだろう。
身近に迫る死の気配に、カイリは恐ろしくなった。
明日新入りの部屋に行ったら、ガリガリに痩せた体は冷たくなっている。
そんな想像をすると、朝の食事を届けるのも気が重かった。
「新入り君……?」
翌朝。カイリがドアを開けると、新入りは昨晩と同じ位置に座っている。
唯一違った点は、数口食べられて減ったオムライスだ。
「……! 食べたんだ……」
一瞬喜びかけるカイリだが、大半は残されている。
たった数口で腹が膨れたのではないだろうし、何日も食べていないから胃が受け付けないのだろう。
「ちょっと待ってて!」
新しい食事を持ったまま、カイリは食堂に戻る。
熱を出したりして数日食欲がなかった後は、具合が良くなっても固形物が食べ辛かったりした経験を思い出したのだ。
台所に立ったカイリはお椀の白米を鍋に移し、水を注ぐ。
鍋に火をかけ、固まりかかった米を箸でほぐした。
「何やってんだよ、カイリ」
「あ、リクト……」
早食いのリクトがこんな時間に食堂に居るのに驚いたカイリは、つい大袈裟に後ずさってしまった。
別に悪い企みをしているのではないのに、変に怪しい態度だ。
いやに勘が鋭いリクトだから、機嫌が悪ければ徹底的に詰められる。
「た、頼まれて……新入り君が食べないから、お粥にでもしてやれって」
「ふーん?」
自主的にしているのは伏せて、カイリは食堂での用事をリクトに伝える。
リクトは、カイリが自分以外と積極的に関わるのを嫌うのだ。
「ま、いいや。俺の部屋に集まってるから、済んだら来いよ」
「わかった」
リクトが去ると、カイリはお粥を器に流し入れる。
意外とリクトがあっさりしていたから、サラサラとした仕上がりになった。
おかずにラップをして冷蔵庫にしまっておく。
こうすれば誰かが食べて無駄にはならないだろう。
新入りの部屋へと急いだカイリは、早速息を吹き掛けて冷ましたお粥を新入りの口にお見舞いする。
「あっづ……!?」
目を見開いた新入りが、何センチか後退した。
初めて発された声は、意外と低くて掠れている。
「お前……」
「おれ? カイリだけど」
「いや、そういう話じゃねーし」
新入りはいきなり熱いものに触れた唇を擦る。
猫舌なのだろうか。とはいっても、舌にまで到達していなかった。
「新入り君は? 名前あるの?」
「……ねーよ」
「じゃあ新入り君のままでいい?」
「好きにすれば」
あの放心状態が嘘のように、普通の人間然とし出した新入り。
けれど名前は教えてくれない。
「じゃ、後は自分で食べるんだよ!」
遅くなるとリクトがうるさいから、お喋りは次の機会にとっておくことにした。
新入りにスプーンを渡し、カイリはすくっと立ち上がる。
カイリが走り去ると、新入りの隣の部屋のドアがゆっくりと開く。
室内から現れたのは、無表情なリクトだ。
そしてここはリクトの部屋なんかではなく、長い間使われていない空き部屋だった。
角を曲がったカイリが見えなくなり、リクトも歩を進める。
仲間を自室に集めておくのを忘れた。嘘はすぐにばれるだろう。
だがカイリはリクトの部屋に来るし、別にいいのだ。
五歩進み、そこにあったドアをリクトは蹴る。
向こうに人がいる部屋とは思えないほど、次の瞬間は静かだった。
今日は久々に彼らを作ったブリーダーが帰ってきたのだ。
年長格の少年は、ブリーダーに腕のタトゥーを見せびらかす。
「かっけーだろ!」
「まァたお前は勝手に……」
ブリーダーは呆れているが、強く叱ったりはしない。
少年は体格が大きく、少々気性が荒かった。
「見てんならこっち来いよ、カイリ」
一部始終を部屋の隅で見ていたカイリは、タトゥーの少年に呼びつけられる。
逆らってもいいことはないので素直に行くと、肩を抱いて引き寄せられた。
「でぇ? なんだよ狭い部屋に押し込めて」
長い襟足を手櫛で直しながら、少年……リクトは全員の疑問を代弁する。
一応二人から三人で使う部屋はあったし、帰ったからといって子供たちと戯れるタイプのブリーダーでもない。
違法ブリーダーがそう真っ当なら、ブリーダーに免許はいらないだろう。
「……新しい友達を連れてきた」
「はぁ? トモダチィ?」
遅れて入ってきたブリーダーの部下が、少年の首根っこを掴んで連れてくる。
さながら奴隷商人のように。
「はーい、今日から皆と暮らす新入り君でぇーす。お前らと同じで番号とかねぇから、適当に呼び名考えてやって」
本来、ブリーダーに作られた子供にはブリーダーに紐付く識別番号があった。
無論、違法ブリーダーの元で暮らす子供に識別番号はない。
名前や戸籍が与えられるのは親が決まるか成人してからだが、識別番号がないとその手続きすら出来ないのだ。
つまり、違法ブリーダーに作られれば一生名無しの人生が確定するのである。
新入りだという少年は、俯いて誰とも目を合わせない。
部屋に連れて行かれると、夕飯の時間になっても出て来なかった。
「あぁ、カイリ。これ新入り君に持ってってくれる?」
他の子供はさっさと食べてしまい、カイリだけが残った食堂。
食事係の大人に頼まれたカイリは、新入りの部屋へと夕飯が乗ったお盆を届けた。
ノックをし、置いておくと伝えてみたが、反応はない。
次の朝、部屋の前には手付かずの食事がそのまま放置されていた。
声を掛けても返事のない部屋の前に、カイリが食事を置くのが習慣になった頃。
新入りはただの一口も食べなかったし、冷めた料理を戻したところで大人たちは誰も彼を気にかけはしなかった。
「新入り君、今日のご飯はオムライスだよ。皆に取られないようにとっておくの大変だったんだからね」
いつもの食事係が作るのは即席の汁物と簡単なおかずくらいのものだが、今日は食事係が休みだから日雇いのバイトが来た。
そのバイトも違法ブリーダー出身で、まともな企業に就職出来ないと聞いた。
強情な新入りは、オムライスの香ばしい香りにも動じない。
昨日までのカイリであれば、ドアに鍵なんか付いていないのを知っていてもお盆を置いて帰った。
断りもせずに入ったのは、報われない努力に嫌気がさしたからだろうか。
もしくは一度顔を見ただけの少年に何かを感じていたのかもしれない。
「ねぇ、食べないと死ぬよ」
「……」
一見寝ているようだった。しかし目は開いていて、単にカイリに意識を全く向けていないのだ。
普通は無視されていても存在を認識しているのは伝わってくる。
新入りはカイリが入ってきたことにすら気付いていなかった。
体は覚醒しているのに、思考はどこかに行ってしまっている。
「ねぇってば。おーい!」
まだ八歳のカイリには、新入りの状態が理解不能だった。
話し掛けてもどうにもならないので、スプーンで小さく割ったオムライスを新入りの口に突っ込む。
オムライスは唇の隙間にしか入らず、歯は食い縛ったままで咀嚼などもっての他である。
「……置いておくから」
一口分のオムライスが乗ったスプーンを皿に戻し、カイリは部屋を後にする。
きっと、新入りはじきに死ぬのだろう。
身近に迫る死の気配に、カイリは恐ろしくなった。
明日新入りの部屋に行ったら、ガリガリに痩せた体は冷たくなっている。
そんな想像をすると、朝の食事を届けるのも気が重かった。
「新入り君……?」
翌朝。カイリがドアを開けると、新入りは昨晩と同じ位置に座っている。
唯一違った点は、数口食べられて減ったオムライスだ。
「……! 食べたんだ……」
一瞬喜びかけるカイリだが、大半は残されている。
たった数口で腹が膨れたのではないだろうし、何日も食べていないから胃が受け付けないのだろう。
「ちょっと待ってて!」
新しい食事を持ったまま、カイリは食堂に戻る。
熱を出したりして数日食欲がなかった後は、具合が良くなっても固形物が食べ辛かったりした経験を思い出したのだ。
台所に立ったカイリはお椀の白米を鍋に移し、水を注ぐ。
鍋に火をかけ、固まりかかった米を箸でほぐした。
「何やってんだよ、カイリ」
「あ、リクト……」
早食いのリクトがこんな時間に食堂に居るのに驚いたカイリは、つい大袈裟に後ずさってしまった。
別に悪い企みをしているのではないのに、変に怪しい態度だ。
いやに勘が鋭いリクトだから、機嫌が悪ければ徹底的に詰められる。
「た、頼まれて……新入り君が食べないから、お粥にでもしてやれって」
「ふーん?」
自主的にしているのは伏せて、カイリは食堂での用事をリクトに伝える。
リクトは、カイリが自分以外と積極的に関わるのを嫌うのだ。
「ま、いいや。俺の部屋に集まってるから、済んだら来いよ」
「わかった」
リクトが去ると、カイリはお粥を器に流し入れる。
意外とリクトがあっさりしていたから、サラサラとした仕上がりになった。
おかずにラップをして冷蔵庫にしまっておく。
こうすれば誰かが食べて無駄にはならないだろう。
新入りの部屋へと急いだカイリは、早速息を吹き掛けて冷ましたお粥を新入りの口にお見舞いする。
「あっづ……!?」
目を見開いた新入りが、何センチか後退した。
初めて発された声は、意外と低くて掠れている。
「お前……」
「おれ? カイリだけど」
「いや、そういう話じゃねーし」
新入りはいきなり熱いものに触れた唇を擦る。
猫舌なのだろうか。とはいっても、舌にまで到達していなかった。
「新入り君は? 名前あるの?」
「……ねーよ」
「じゃあ新入り君のままでいい?」
「好きにすれば」
あの放心状態が嘘のように、普通の人間然とし出した新入り。
けれど名前は教えてくれない。
「じゃ、後は自分で食べるんだよ!」
遅くなるとリクトがうるさいから、お喋りは次の機会にとっておくことにした。
新入りにスプーンを渡し、カイリはすくっと立ち上がる。
カイリが走り去ると、新入りの隣の部屋のドアがゆっくりと開く。
室内から現れたのは、無表情なリクトだ。
そしてここはリクトの部屋なんかではなく、長い間使われていない空き部屋だった。
角を曲がったカイリが見えなくなり、リクトも歩を進める。
仲間を自室に集めておくのを忘れた。嘘はすぐにばれるだろう。
だがカイリはリクトの部屋に来るし、別にいいのだ。
五歩進み、そこにあったドアをリクトは蹴る。
向こうに人がいる部屋とは思えないほど、次の瞬間は静かだった。
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