修復術師のパーティメイク――『詐欺術師』と呼ばれて追放された先で出会ったのは、王都で俺にしか治せない天才魔術師でした――

紅葉 紅羽

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第五章『遠い日の約定』

第三百四十話『起き抜けには酷な速度』

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「わ、わ、わああああッ⁉」

「あんまり叫ばない方がいいわよ、舌を噛むかもしれないから!」

 最後方から聞こえてくる悲鳴のような少女の声に、リリスからあくまで真剣な注意が返ってくる。視界の隅では高速で景色が後ろへと流れていて、普段通りの速度でリリスが動いているのがよく分かった。

 当面の間行動を共にすることに決めた俺たちが今目指しているのは、この森から一刻も早く脱出することだ。俺たちの戦闘が結構な数の魔物を呼び起こしてしまったらしく、おたおたしていると魔物の妨害を受けて脱出が困難になりかねないというのが現状らしい。……つまり、初めてリリス式の移動方法を経験する少女に対して配慮できる余裕なんてないわけで。

「叫ぶなって言ったって、こんな速度で動いたことなんてないんだけ……どおおおおっ⁉」

 少女がリリスに言葉を返そうとした瞬間、風の球体は急激に進行方向を斜めに変える。それに伴って生まれた横殴りの力にあおられて、少女の不満はリリスに届くことなく森の中へと消えていった。

「はあ、はあ……。なんで二人とも、こんな早く動いて少しも動揺してないの……?」

 何とか呼吸を整えながら、少女は俺とツバキの方に視線を向ける。その眼も声色も短時間でかなり疲れ切ったものに変わっていて、この高速移動が刺激的なものであることがありありと分かった。

 この子のことを見てると、俺も随分リリスたちのやり方に慣れてきた――もとい染まってきたんだろうってことを実感させられるな……。そういえば初めてリリスに連れられて空を飛んだ時、俺も凄い声を上げてたっけ。

 多分そういう反応の方がこれに対しては自然なもので、移動しながら雑談までできるようになったのは本当に過ごした時間の長さによるものなのだろう。今のリリスならこの速度でも事故を起こすとは思えないし、これ以上に安全で快適な移動方法は中々思い当たらなかった。

「動揺する要素がないから、かな。今みたいに急な方向転換とかをするときはそこそこ強い衝撃がかかるけど、それで風の球体が壊れないことは知ってるし」

「だな。最初は無茶苦茶な力技だと思ってたけど、今じゃこれが一番頼れる移動手段だよ」

「……人間って、こんな高速移動にも慣れられるものなんだ……?」

 俺たちから返ってきた答えに、手を握ったまま少女は小さく肩を竦める。そのやり取りを聞きつけたのか、リリスもこっちを振り返ってこう付け加えた。

「大丈夫よ、これでも制御はうまくなった方だから。前まではブレーキの掛け方が上手くなくて、ちゃんと止まるにはそれなりの工夫か根性が必要だったからね」

「影の受け皿もしばらく顔を出さなくなって久しいね。――最後に投げ出されるところまで含めてリリスらしい移動方法だって思ってたから、それに関しては少し寂しさもあるけれど」

「ちょっと待って、少し前までは投げ出されてたの……?」

 和やかなやり取りの中に不穏な要素を見つけ出して、少女は少し震えながら俺の方に視線を向けてくる。ここで嘘を吐くのも忍びないし、俺は正直に首を縦に振った。

「おう、最後に投げ出されたのは確か三か月前とかだったかな。ツバキの言う通りあれ含めて俺たちの移動って感じがしてたから、最後の手順が省略されるようになったのは嬉しいというか少し寂しいというか」

「……嬉しいと思うべきよ、安全性のためにも」

『この人も一緒だった』と言いたげなジト目を向けて、少女は軽くため息を吐く。その意見は辛辣だったが、だからこそ少女が少しこっちに心を開いてきてくれているような手ごたえがあった。

 無機質な対応をされるよりは感情をストレートにぶつけてくれた方がずっとありがたいからな。それが純粋な行為とかじゃなくて戸惑いが混じったものだとしても、それを垣間見ることが出来るだけありがたいというものだろう。

 森を出るまで焦らないとは決めたが、俺たちはこの少女のことを少しでも多く知らなくちゃいけないんだ。折角一緒に行動するからにはできる限り早く打ち解けたいとも思うし。

「安心して、今は事故も起きないようになってるから。さっきから何回か曲がったり急加速したりしてるけど、それでも私たちが明後日の方向に吹き飛ばされるなんてことは起きてないでしょ?」

「一回でもそんなことが起きてたら大問題よ……。これ、大きな風魔術の球体の中にあたしたちを入れて進んでるんでしょ?」

「ああ、ざっくり説明するとそんな感じだね。しっかり覚えててくれて嬉しいよ」

 少女の確認にツバキは頷いて、少女とつないだ手を軽く上下に揺さぶる。その言葉を聞くと少女は周囲をぐるりと見まわして、そして一つ大きな息を吐いた。

「あたしも風魔術を特訓してたから分かるけど、普通の人にはこんなこと絶対できないのよね……聞いた話だとあたしの傷を治してくれたのも同じ人って話だけど、本当にどんな修練をしてきたの?」

「申し訳ないけどそれはまだ秘密ね。だけどまあ、必要だったからここまでできるようになったとだけは答えておくわ」

 いつの間にか視線を進行方向へと戻し、リリスは少女の疑問に対してはぐらかすような答えを返す。それに少女は一瞬不満そうに頬をむくれさせたが、やがてだらりと力を抜いて俺たちの手に大衆を預けた。

「必要だったから……か。それで回復魔術も風魔術も扱えるようになるの、随分ととんでもない境遇の中で冒険者をしてるんじゃないの?」

「いいえ、今は恵まれた環境でやらせてもらってるわよ。……まあ、そうなるまでに少し刺激的な毎日をツバキと一緒に過ごしてたことはあるけど」

「そうだね、あの時は毎日がまるで綱渡りのようだったよ。苦手な事でもどうにか突破するしかなくて、特異なことをやらせてもらえる方が少なくて。その中でも死に物狂いで頑張ったから今があるし、あんまり恨み節ばかりを言うのは控えるようにしてたんだけどさ」

 リリスから水を向けられて、ツバキは微笑を浮かべながら小さく頷く。そう言われてしまえば、リリスたちが割といろいろな技能に適性を持つのは納得ができるような気がした。

 もちろん二人とも弱点がないってわけじゃないけど、弱点が被るようなことは中々ないんだよな。リリスが苦手な事ならツバキが対応するし、ツバキの苦手分野はリリスの魔術が大体解決している。ただ強い戦士二人の組み合わせだという以上に、二人のコンビはいろいろな分野で相乗効果を生み出していた。

 それを語る二人の様子はどこか楽しげなものだったが、少女からすると結構ショッキングな話だったらしい。少し下を向いた少女の瞳は、申し訳なさそうにゆらゆらと揺れていた。

「……ごめんなさい。あんまり聞かれたくない話だった?」

「ううん、まったく。ボクにとってもリリスにとってもあの話はもう過去の話で、おまけに解決済みの問題だからね。そもそもあれがなかったらマルクとも出会えてないし、それで悪印象も全部ノーカウントにしても問題ないかなってぐらい」

「私もあの時の話を嫌だと思ったことはないわね。話し手と言われれば話すし、なんなら自発的に話し出すことだってあるし。そこに関してはマルクがよく分かってるでしょ?」

「だな。お前たちが過去に色々とやってた話ならよく知ってるよ」

 アネットなんかは今でも会うたびに二人の経験談をせがんでくるし、二人もそれを少し楽しんでる節があるからな。過去のことをそういうエピソードとして昇華してくれるのは、実は二人にとってもありがたいことなのかもしれない。

「そう、それならいいんだけど――前向きなのね、二人とも」

「後ろを向いてもいいことがないような状況ばかり目にしてきたからね。今この居場所でようやく過去を振り返れるようになって、『ボクは今恵まれた場所にいるんだなあ』って自覚したものだよ」

 感服するような少女からの質問に、ツバキは深い笑みを浮かべながら答える。三年かそこらしか俺たちとは変わらないはずなのだが、ツバキの言葉を受け止める少女の姿はなんだかもっと年の離れた妹のようだった。

 これもまた一つの姉力、と言う奴なのだろうか。思えば王都についてから、年下とコミュニケーションを取る機会というのはなかったような気もする。やっぱりそういう所には経験の差が出るもんなのかね……。

「……三人とも、そろそろ森の外に出るわ。その前に景気よく一発ぶっ飛ばすから、心の準備だけしておいて頂戴」

 妙な感慨にふけっていると、前を見据えるリリスが真剣な口調で俺たちに宣言する。……途端、俺の手を握り締める少女の力がぐっと強くなったのが触覚だけで分かった。

「くれぐれも俺たちごとぶっ飛ばすようなことにはしないでくれよ……?」

「大丈夫よ、そうならないようにコントロールする練習を積み重ねてきたんだもの。――それでも気になるっていうなら、前を向いてよく目に焼き付けておきなさい」

 一切の不安を感じさせない態度で、リリスは俺の懸念に応える。その勧めに従って俺が前を向くと、風の球体の少し奥側に小さな渦が付いているのが見えた。

 小さいとは言ってもその規模はしっかりしたもので、渦は地面の土を巻き込んでは話し手を繰り返している。……十中八九、アレは手荒な使い方をするために生み出されたものなのだろう。

「今まで辿ってきたルートが一番魔物に出くわさないで済む道のりだったんだけど、そこを行くと最後の最後で木に阻まれて行き止まりになっちゃうのよね。――だから、無理やりにでも道を作ることにしたわ」

「ああ、そう来たか。確かにそれはリリスらしいや」

「……え、今から何をする気なの……?」

 俺と同じタイミングでツバキもその使い道に思い至って、少女だけが戸惑いを隠せないような声を上げる。それが表出した弱々しい声に応えて、リリスは勇ましく地面を蹴った。

「何をするも何も、道を作るのよ。こうやって――ねッ‼」

 リリスの足踏みと声を号砲にして、先端で渦巻いていた風が弾丸となって森の中を駆け抜ける。それは俺たちの進行方向に立ちふさがっていた大木をやすやすと吹き飛ばし、強引に俺たち四人が通り抜けられるルートを構築していた。

 風の弾丸が切り開いた道を通り抜けて、俺たちは森の外に向かって加速する。……久しぶりの直射日光が俺たちを照らし出したのは、弾丸が打ち出されてから十五秒した後の事だった。

 うっそうとした森が唐突に途切れて、平和な原っぱが俺たちの視界の全面に広がる。それを確認すると同時俺たちの速度がゆっくりと緩んでいき、やがて誰も転倒することなく綺麗に停止を完了した。

「……よし、ここまで来ればとりあえず安心ね。これでようやく落ち着いて自己紹介ができるわ」

「ちょ……ちょっとだけ、待ってほしいけどね……?」

 自分の仕事に満足げな表情を浮かべ、リリスは緊張を解いた様子で原っぱの上に腰掛ける。その至って楽そうな様子とは裏腹に、何とか最後まで食らいついた少女はどうにか息を整えるのに必死だ。

「まあ、初めてでちゃんと食らいつけただけ上出来だよ。あそこで手を離しちゃってたら大変なことになってただろうからね」

 膝に手を当てて息を吐く少女の背中を優しく叩きながら、ツバキはねぎらいの言葉をかける。そのフォローも聞いたのか、少女は一分経たないぐらいのタイミングで体をまっすぐ起こした。

「……うん、もう大丈夫。自己紹介、あたしからするってことでいい?」

「ええ、そのためにみんな待ってるんだもの。一応名乗ってる私達とは違って、あなたのことはほぼ何も知らないに等しい状態だし」

 元気を取り戻した少女に頷いて、俺たちは自己紹介を促す。俺たちの視線を一身に浴びる少女は、緊張をほぐすかのように何度か深呼吸を繰り返すと――

「……改めまして、助けてくれて本当にありがとう。あたしの名前はレイチェル・グリンノート。帝国の中では平和な方にある家の一人娘――だったんだけど、今はもうそんなことは言えないわね」

 そんな少女――レイチェルの自己紹介を聞いて、俺たちの表情は僅かに硬直する。それは自己紹介の中に混ぜられた自虐がレイチェルを襲った事件の凄惨さを示しているから――というのもあるのだけれど、本質はそこではなくて。

 この自己紹介を聞いた瞬間、レイチェルが何らかの要因で転移してきたことは百パーセント確実なことになった。だが、それと同時に一つの疑問が存在する。……そんなことをやってのけるためには、一体どれだけの魔力が必要になるのだろうかと。

「……帝、国?」

 改めて口に出して、俺はその異常性を再認識する。……この世界で『帝国』と呼ばれるのは、王都から遥か西側に国境を接する実力主義国家、『ヴァルデシリア帝国』以外にあり得なかった。
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