修復術師のパーティメイク――『詐欺術師』と呼ばれて追放された先で出会ったのは、王都で俺にしか治せない天才魔術師でした――

紅葉 紅羽

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第五章『遠い日の約定』

第三百九十五話『跡地に残ったもの』

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「……ひとまず、ボクたちの勝ち――で、いいんだよね?」

「生き残った、って意味ではそうでしょうね。……分からないことが増えすぎて、正直全然そんな気はしないのだけれど」

 数十分前の賑わいが嘘のように荒廃した街並みを見つめながら、リリスはツバキの問いにそう答える。主がどこかに去ってもなお凍り付き続ける氷像が、今はなんだかとても虚しく映った。

 時間稼ぎによって戦力を削ぐという襲撃者の狙いを打ち破り、身体にも今のところ異常はない。そのリザルトだけを見れば割と理想的な戦果だと言ってもいいが、最後にネルードが垣間見せたあの気配だけでその雰囲気は完全に打ち破られてしまった。……あのまま戦いが続いていたら、リリスたちは最低でも戦闘不能に陥っていただろうし、最悪の場合なら死んでいた。リリスたちだけの力でその結末を覆すことは、ほぼ間違いなく不可能だ。

 だが、現実の戦いは違う結末を迎えている。ネルードから放たれていた濃密な気配は突如現れた女が突き立てた刃によって収められ、そのまま転移魔術によって回収された。……わざわざ一緒に帰ったのだ、死んだなんてことはないと考えた方が自然だろう。

「……人の命を容易く奪いにかかる割には、仲間意識が強いのよね」

 転移魔術によって仲間を回収する光景自体は、バラックの古城でも見たことだ。たとえどれだけボロボロになろうとも、襲撃者は同法を回収することを躊躇わない。それが友情と呼べる類のものなのか、それとも別のラベリングをするべき何かなのか。……それはまだ、分からないままだ。

「ああ、ボクたちはそれに救われたと言っても過言じゃないね。……あの状態の相手とまともに戦うべきじゃないことは、魔力を感じられないボクにも分かる」

 額から流れる冷や汗をぬぐいながら、ツバキはリリスの独り言に同調する。支援を絶えず送りながら戦況を見つめていたツバキにも、ネルードの異様な雰囲気はひしひしと伝わっていたようだった。

「ええ、アレは魔術師というよりは自然現象みたいなものだわ。真正面から向き合って力比べしようなんてあまりにも無謀で、私たちはそれを耐え凌ぐために知恵を絞ることしかできない」

 その知恵と言うのがリリスたちの防御魔術であり、あの女が突き立てた刃物に宿っていた効果なのだろう。『研究』なんて口走っていたあたり、あの女も研究者の類なのだろうか。

 投与した対象の魔力を減衰させる薬なんて話は聞いたことがないが、アグニやネルードの特性を想えば襲撃者たちに常識を求めようとするのがそもそもおかしな話だ。転移魔術を何度も連発できることも、たった一人の人間があれだけの魔力を発することも、そもそも常識では『あり得ない』と笑い飛ばされるような与太話なのだから。

「……恐ろしいわね、どいつもこいつも」

 今までに戦ってきた襲撃者たちの顔を改めて思い浮かべて、リリスは思わずそう吐き捨てる。護衛として戦い続けてきた時も、敵に対して今以上の脅威を感じることはなかった。

 それも、今まで敵に回してきたのとは別の恐ろしさだ。底が見えない、いつまでたっても相手の全貌が見えてこないことの恐ろしさ。……いつまでも『初見殺し』に怯えなくてはいけないことが、リリスからしてみればとてつもなく厄介だ。

 リリスの強さは魔術の腕前や身体能力、そしてツバキの支援によって担保されている部分が大半だが、経験則を武器として戦っていることが少なくないのもまた事実だ。経験に基づいた推測が踏み込みを一歩早め、その一歩が相手を制する一撃を通すためのきっかけとなる。……いつだってリリスのことを支えてきたそれが、襲撃者たち相手には通用しないのだ。

 常識の土俵で戦おうとしたら最後、常識から外れた手札を持つ相手のペースに一気に引きずり込まれる。それによって追い込まれたのがアグニとの初対面であり、今のネルードとの闘いだ。……経験則なんてものは、襲撃者を迎撃する助けになどなってくれない。

「リリス……」

 いつになく難しい表情をしているリリスの横顔を覗き込んで、ツバキは心配そうな声を上げる。とりあえずの脅威は遠ざけたはずなのに、そこに漂っているのはまるで負けてしまった時のような重苦しい雰囲気だ。出来るだけ早く次の行動に映らなければならないのだとしても、その雰囲気を引きずっていくのもいい判断には思えないわけで――

「……あ、あのぉ! 殺人者たちはひとまず去ったと、そう考えていいんですよね⁉」

――リリスでもツバキでもない裏返った声が通りに響いたのは、ツバキが思い悩む矢先の事だった。

「……え?」

 眉間にしわを寄せていたリリスの表情が、その声を聴いた瞬間に驚きに満ちたものへと変わる。とっさに首を声がした方へと向けてみれば、ボロボロになったスーツを纏った男が力なくへたり込んでいた。

 腰が抜けているのだろうか、這うようにしてこちらに近寄ってくるその姿はひどく弱々しい。だが、その体に目立った負傷がない事も事実だ。……観察の末にそう結論付けて、リリスは改めて感嘆した。

 状況が動きすぎていつの間にか意識できなくなってしまっていたが、無事ではいられないだろうと思っていたのだ。石畳は所かまわず隆起して、物たちは寄り集まって刃物やら人形やらになって。……そんな状況の巻き添えを食っていない確証なんて、どこにもなかったんだから。

 そう思っていたからこそ、リリスは内心で目の前の男に万雷の拍手を贈る。……ウーシェライトが贈っていた『賢い人』と言う評価は、もしかするととても的確なのかもしれなかった。

「……君、生きていたのかい⁉」

 ツバキも少し遅れて男の方を見やり、驚きに目を見開きながら声を上げる。……たまたまリリスたちの傍にいたことによってウーシェライトに目を付けられたあの男は、へたり込みながらも確かに生きてリリスたちの前へと現れていた。

「はい、どさくさに紛れてではありますが……。あなたたちがあの鉄女を殺してくれたことで、私を捉えていた檻も消え失せたんですよ。その後に声を掛けようとしたんですが、そんな暇もなく次の人が現れて。……その人ともいきなり戦いだすものですから、私は手近な建物の奥にこもって戦いが止むのを待つしかありませんでした」

 情けない話ではあるのですがね――と、男は自らの行動に渇いた笑みを浮かべながらそう説明する。その言葉には自嘲の意が大いに含まれていたが、それは自分を卑下しすぎているというものだ。そんな意志を込めて、二人は首をぶんぶんと横に振った。

「いいえ、あなたがしたのは現状でできる最良の判断よ。あの男との戦いにあなたが巻き込まれたら、もう少し戦況は面倒になるかもしれなかったわ」

「そうだね、人質にとられたりでもしたらそれだけで時間は稼がれちゃうし。突然生み出されたこの惨状の中で君は最上の選択をしたって、ボクたちが胸を張って保証するよ」

 そんな言葉とともにツバキから目配せが飛んできたので、リリスは大きく頷いてその言葉を後押しする。……すると、男の表情が僅かに明るいものになった。

「……そう、ですかね。逃げることしかできなかったことが最良などと、この街を動かす側の人間として情けない限りなのですが」

「でも、逃げることに徹したおかげでこうして今生きているのでしょう? ……生きている限り、挽回のチャンスが訪れないなんてことはないわよ」

 残酷で冷徹な話ではあるが、死んでしまえば全てそこで終わりだ。その生命の一生はそこで打ち切られて、新しい記録が刻まれることはほぼあり得ない。もしその最期が失敗とともにある物だとしたら、それをぬぐう事は不可能だと言ってもいいだろう。

 だが、生きているのなら話は違う。どれだけ自分が情けなくても、どん底に落ち込もうと、生きている限り逆転のために行動することは出来る。今下した判断が本当に情けなかったかどうかは、失敗だったかどうかの判断は、一生を駆け抜け終えた後にようやく下されるものだ。

 たとえ一度魔術を使えない身になろうと、生きていたからマルクたちと出会えたように。たとえ誘拐されたことによって将来を歪められたとしても、その先に今の生活があるように。……何が良くて何が悪いかなんて、全部終わって見なければ分からないのだ。

「少なくとも、今あなたが出てきてくれたことで私は少し救われたわ。何も得る物がないと思ってた戦いに、一つ意味が増えたから」

 ネルードとの戦闘は確かに勝利をおさめたが、その戦利品はないに等しかった。短いとはいえ時間を稼がれたことには変わりがないし、ネルードにもあの女にも謎の部分が大量に残されている。この場所で戦闘を余儀なくされたうえで相手の戦力を独りも削れないのならそれは大局的に見て敗北も同然じゃないかと、そんな考えはリリスの脳内にずっと渦巻いていた。

 だが、その中にも意味はあったのだ。リリスたちが奮闘したことによって、この男の命は繋がった。……それは、『夜明けの灯』の一員として確かに価値のあることで。

「ありがとう、逃げることを選んでくれて。……貴方は情けないかもしれないけれど、少なくとも私たちはその判断に敬意を表するわ」

 男に軽く頭を下げ、リリスは感謝の言葉を口にする。隣に立つツバキはそれを一瞬驚いたように見つめていたが、やがてそれは柔らかな笑みに変わった。

「……そうですか。あなたがそう言ってくれるのであれば、私の心も少しは楽になるというものです」

 それを正面から受けて、男は少しだけ硬さが取れた様子でそう答える。そのままゆっくりと立ち上がると、リリスとツバキの眼をはっきりと見据えた。

「ありがとうございます、おかげで私も罪悪感が少し軽くなりました。……そんなあなたたちにこんなことを頼まなければならないのは、少し心苦しいことではあるのですが」

「頼まなければならないことがある……? 君が、ボクたちにかい?」

 話の流れがまた一つ変わったことに勘付き、ツバキは確認のための質問を一つ。それに男は「はい」と頷くと、スーツについた埃を払いながら答えた。

「鉄女が来る前にもお話ししましたが、私はこのベルメウと言う都市の運用に関わる者です。そして今、ベルメウの都市機能は襲撃者たちに掌握されていると言ってもいい。……いくら私が臆病者だとしても、都市を司る組織の一員としてそれを看過するわけにはいきません」

 ある程度汚れを落としてスーツを整えながら、男は早口で説明する。そこにあるのは、街に仕える物としてのプライド。たとえ命の危機に晒されても消えなかったそれを口にしながら、男は深々と頭を下げた。

「お願いです。……私がベルメウの都市庁舎に向かうのを、お手伝いしてはいただけませんか。私の愛するこの都市で今何が起きているのか、生き残った私はそれを知らなくてはならないんです」
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