修復術師のパーティメイク――『詐欺術師』と呼ばれて追放された先で出会ったのは、王都で俺にしか治せない天才魔術師でした――

紅葉 紅羽

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第六章『主なき聖剣』

第五百四十九話『エースの進化』

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 突如襲った浮遊感に身体が受け身を取ろうとする前に、伸ばされた華奢な腕が俺の身体をぐっと抱き寄せる。顔を上げてみれば、衝撃をものともしなかった様子のリリスが嬉しそうに笑っていた。

 揺れが止んでしばらく経っても俺を解放する様子はなく、口角はにやにやと緩みっぱなしだ。この状況を余すことなく堪能しているその振る舞いに、俺はリリスの意図を悟った。

「……お前、さてはこうなるのを分かってて言わなかったな?」

「ご想像にお任せするわ。私もマルクも怪我しなかったんだし、結果的にはそれでいいでしょう?」

 俺の質問に意味深な笑みだけを返して、リリスはあくまで黙秘を貫く。前からそういう一面はあったが、想いを伝えあってからのリリスはさらに子供っぽさが増しているように思えた。

 それが素の姿なら見せてくれるのは光栄なことだし、俺もリリスが楽しそうにしてるのを見るのは好きだからいいんだけどな。それはそれとして焦りはしたから少しぐらい警告があってもいいとは思うが、まぁそれは胸の内にしまっておこう。

 何はともあれ、これがリリスたちによって引き起こされた何かの余波なのは間違いなさそうだ。澄ました表情を崩さないままでこんなことをやってのけるあたり、やはり二人の戦い方の根底には力押しの気があるんだろう。

 作戦を仕掛ける側の俺たちにもそれだけの衝撃が来るのだから、標的にはきっとそれ以上の物が襲い掛かっているのだろう。ここら一帯を残らず一掃することは難しくても、壊滅的な損害は与えられていると見て間違いない――

「――え」

 俺の考えを確かめようと窓の外を覗き込んで、俺は思わず絶句する、そして同時に納得した。……これだけの事をしていたなら、俺の身体が浮き上がるのも納得できる話だ。

 人が五人は並んで歩けそうな通りのほぼ全てが、青白い氷によって埋め尽くされている。ローブ姿の男がその中に閉じ込められているのを見て、俺はこのあたりに陣取っていた敵が辿った末路を察した。

「言ったろう、ボクたちの魔術も進化してるんだ。これぐらいは軽くやってのけなきゃあクライヴに勝つなんてことは口が裂けても言えないよね」

 呆然とする俺の肩を叩き、ツバキが満足げな笑みを浮かべる。ツバキたちの才能を舐めていたつもりなど一切ないのだけれど、それでもなお目の前の光景は俺の想像を超えるものだった。

「この氷、リリスの――だよな?」

「勿論よ。逆に私以外にこんな魔術を使える人が居ると思う?」

 上機嫌に答えたリリスは、何かに合図を送るかのように両手を軽やかに打ち鳴らす。それが通りの中に響き渡ったのと外を覆っていた氷の一部が溶け落ちたのは、ほぼ同じタイミングでのことだった。

 氷から解放された敵が鈍い音を立てながら地面に落下するが、再び動き出す気配はない。警戒するチャンスすら与えられないまま突如襲い掛かった氷の波は、その命を芯から凍り付かせてしまったようだ。

 これ以上ない本人証明を見せつけられて、俺はただ感嘆することしかできずにいる。いつの間にか作り上げた氷の球を指先で弄びながら、リリスは得意げに笑っていた。

「何が起こったか分からないみたいだし、貴方のために種明かしをしてあげる。目を凝らしてよく見てて頂戴ね」

 まだ衝撃が抜けきらない俺に声をかけると、指先で転がされていた氷がひょいっと投げ上げられる。ふんわりとした動きにつられて俺が視線を上げると、リリスの唇が小さく言葉を紡ぐのが見えた。

「咲き誇りなさい」と呼びかける声が凛と響き、さっきも聞いたような破砕音が氷から聞こえてくる。その直後、爪の先ほどの大きさしかなかったはずの氷の粒が弾けるように巨大化した。

 元のサイズの十倍――いや、それすらも余裕で上回っているかもしれない。小さな種がいつか大きな花に成るのと同じように、ただ丸かっただけの氷の球体は花を象ったような繊細な形状へと変化していた。

「ま、こういう事よ。細かく形を弄るのはまだ不慣れだから、ちょっと不格好な出来になっちゃったのは許してくれると嬉しいわ」

 落ちてきた氷の華を掌で受け止めて、リリスはどこかはにかむように笑う。とても信じられないようなことをやってのけてなお『不慣れ』だと言えてしまう事が、リリス・アーガストがまた一歩先の領域へと踏み込んだことの何よりの証明だと思えた。

「何回見ても不思議だよね、これ。本人曰く魔力を閉じ込めてるらしいけど、よく暴発したりしないものだよ」

 氷の華を軽く指でつつきながら、ツバキは不思議そうにリリスの顔を見上げる。それにスンと鼻を鳴らすと、リリスは誇らしげに胸を張った。

「その辺りは努力の成果って奴よ。属性ごとに向いてる魔術の使い道も違うって話だから、影魔術で同じことができるかって言ったら怪しいけど」

「その事情を踏まえたところで、生半可な実力でできることじゃないのは変わりませんって。帝国の魔術師が見たらみんな揃ってひっくり返りますよこれ」

 あれこれといろんな角度から氷の花を覗き込み、スピリオはため息交じりの感想を述べる。氷に反射するその瞳には、年相応の好奇心が宿っているように見えた。

「もし皆さんが帝国に居ついたらほとんどの傭兵が食い扶持に困っちゃいますし、そういう意味でも規格外って奴ですよ。……確認のため一応お聞きしますけど、全部終わったら王国に帰るんですよね?」

「もちろん。ボクたちの家は王都にしかないし、意味もなく他の国の内情を掻きまわすつもりもないからね」

「そもそも国単位の問題に引っ張り出されるのも本当なら勘弁願いてえけど、ここまで首突っ込んで今更そんなことも言えないしな。そういうわけで、よっぽどのことがない限り帝国と関わるのはこれっきりだ」

 それが実現するときはきっとお互いが平和な時だし、何かの間違いが起きた時に敵として帝国と向き合うのも御免だからな。俺たちはあくまで冒険者、小さなクエストをこなしながらのんびり生活できるならそれが理想なんだ。

「そう言ってくれると自分としても安心です。皆さんが帝国に居つけばそれだけで歴史が動く様な大事になりかねませんから」

「そう言われると余計に関わる気が失せるわね。普通にしてるだけで争いに巻き込まれる場所とか想像するだけで住みたくないわ」

「荒れに荒れてる王都でも流石にゆっくりする時間ぐらいはあったもんね……。そりゃ確かに住むのは遠慮しときたいな」

 ツバキとリリスは顔を見合わせ、そしてお互いに苦笑を交換する。改めて付け加えるまでもなく、俺も二人と同じ感想を抱いていた。

 強さが全ての原理は俺には合わないし、何なら俺が重点的に狙われるようになる未来が目に見えてるしな。決して悪い国ではないのだろうけれど、こればかりは積み重ねてきた歴史の違いだ。俺の肌にはなじまないし、多分それでよかった。

「そもそもここに来たのはマルクを連れ戻すためだしね。……さあ、そろそろ進もうか」

 軽く俺の背中を叩き、ツバキがここまでの話に区切りをつける。同時に消えた影の領域も、俺たちに先を促しているかのように思えた。

 隠れ忍ぶための魔術を解除したという事はすなわち、警戒すべき対象はすでに殲滅ということだろう。他の二人が待ったをかける様子もないし、その考えは正しいと見て良さそうだ。

 俺が首を縦に振ると、リリスが先陣を切って扉の外へと踏み出す。「大丈夫よ」と声が聞こえて外に出てみれば、通りのあちこちにはローブを身に纏った死体が転がっていた。

 それは徐々に感覚を狭めながら点々と続き、集団がどちらの方向にあるのかを文字通り体を張って教えてくれている。この死体の一つ一つがリリスたちの策が成功した証であり、スピリオと連携した位置把握が完璧に行われたことの裏付けだ。

 死体に傷はなく、ともすれば本人すら死んだことに気づけていないのではないかと思えるぐらいに穏やかだ。もがいた様子もなく、ただ一瞬で命を氷漬けにされている。ウォルターとのやり取りを経た俺には、その終わりが随分と優しいものに思えてならなかった。

 そんなことを考えてしまうあたり、ウォルターは俺の中に確かに影響を遺しているらしい。死ぬのは怖いし、ぐちゃぐちゃに傷つけられるのだって怖い。気付いてしまえば当たり前なのだけれど、傷つく事をどこか軽視している俺がかつて居たことも決して否定できないわけで――

「……マルク、大丈夫かい?」
 
  ふと気が付けば、隣に並んだツバキがこちらを心配そうに見つめている。俺の中では既に一区切りをつけていたつもりなのだが、自分で思っていたよりもはっきりと顔に出ていたらしい。

「んや、ちょっと考え事してただけだ。話すと長くなるから、詳しくは後にさせてくれ」

 どう答えようかしばらく考えた末に、俺はひとまず先送りにすることを選ぶ。ツバキとリリスにだけは言い訳なんてしたくないし、適当にはぐらかすことも嫌だった。あの体験は簡単に振り払えるものでもないってたった今思い知らされたばかりだしな。

「分かった、今はそれでいいよ。色々終わったら君の事情も一つ残らず聞かせてもらうからね」

「おう、約束する」

 仕方ないと言いたげに息を吐いたツバキに、俺は感謝を込めて笑顔を向ける。その心遣いをありがたく受け止めていると、先頭を行くリリスがぴたりと足を止めて俺たちの方へと振り返った。
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